10、宮沢賢治 | 綾小路有則のスピリチュアル・レポート

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作家の宮沢賢治氏は、仏教書に出会って、その思想に感動し、


「何とか、この思想を自分なりに世に知らしめる方法はないものだろうか」


と考えたそうです。


その結果、芸術家としての才能を生かして、霊的人生観を持つことの大切さを、世の中の人に少しでも感じて頂けるよう、次々と作品を発表していきました。


しかも彼は、大変細やかな霊的資質を持たれた方で、様々な不思議な体験をしています。



その経験をあれだけさわやかに、かつ普遍的、感動的に世に知らしめた実績を私は大変尊敬しております。


私も彼のように感得しえた霊的人生観を、絵と文章を使って世の中に紹介していきたいと思っています。


何年かかるかはわかりませんが、一生懸命努力しようと思います。


今日は、私の尊敬する「宮沢賢治」氏の霊的人生観について紹介させて頂きます。



※ 以下、敬称略



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宮沢賢治は、岩手県の花巻町に生まれた作家です。


『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』、『セロ弾きのゴーシュ』等、数多くの心暖まる物語を残しました。(絵や詩も、たくさん残しているんですよ。(^^))




※ 参考・ウィキペディア「宮沢賢治」



あまり知られていないようですが、宮沢賢治は非常に霊的な感覚に優れた方で、そのほとんどの作品が、精霊からインスピレーションを頂いて描いています。


1896年、明治29年8月27日、宮沢賢治は5人兄弟の長男として生まれました。


実家は大きな古着屋と質屋をやっていて、地元で指折りの資産家でした。


宮沢賢治が生まれた頃は、農家の人々は、いつも冷害や干ばつに苦しんでいました。


暮らしに困った農家の皆さんは、宮沢賢治の実家の質屋さんに毎日色々なものを持って来て、お金を借りていきました。


彼は、このやり取りを子どもの頃から見ていて、だんだん疑問を感じるようになりました。


いくら商売とはいえ、貧しい人々の苦しみを利用して生活をしなければならない辛さを痛切に感じはじめていたのです。


しかし賢治は、17才で中学校を卒業した後、家業の質屋を手伝わなければならなくなりました。


心の優しい彼は、貧しい人たちを相手に商売をすることがとてもできませんでした。


何と、壊れて動かない時計を持って来た人にも、通常の何倍ものお金を貸してあげていたのです。


あげくは、手ぶらで来た人にもお金を貸していました。


そんな賢治に転機の時が訪れました。


お父さんは、仕事の他にも文学や宗教に詳しく、家にはたくさんの本がありました。


ある日、賢治は、お父さんが持っていた仏教の本
『法華経』を読んで、体の震えが止まらないほどの激しい感動を覚えました。


法華経は、



「世界の苦しみを自分の苦しみとして、1人ひとりがお互いの幸せのために、
 できる限りの努力を尽くして生きなければならない」


ということを唄ったお経です。


賢治は、



「他の人のために生きることの大切さ」


をこのときに胸に刻み込みました。


そして、人間のみならず動物も植物さえも、全てのものは神仏から生まれた兄弟であり、森羅万象は目に見えない糸で結ばれていることを硬く信じたのです。


この法則を仏教的に言うと、全てのものは、お互いに影響し合って存在していることから、




 依他起性(えたきしょう)


 重重無尽(じゅうじゅうむじん)


 インドラの網


 空間縁起



などと呼びます。



※ 参考・絵画『銀河系大樹』
 (画面をスクロールダウンして、スピリチュアル・レポートをご覧下さい)



※ 参考・絵画『永遠の悟り』
 (画面をスクロールダウンして、スピリチュアル・レポートをご覧下さい)




その後、賢治のお父さんは、


「この子は心が優しすぎるので、今のままでは商売には向かない」


と判断し、取りあえず進学させることにしました。


宮沢賢治は大変喜んで猛勉強をし、盛岡農林高等学校に首席で合格しました。


賢治が受かった農学科は、東北の人々を苦しめていた冷害や凶作を乗り越えるための研究をしていたからです。


しかし高校を卒業すると、賢治はお父さんと大喧嘩をしてしまいました。


あくまでも質屋を継がせようとする父と、他人のために生きたいという2人の間には、大きな溝ができていたからです。


彼はある日突然家出をし、上京してしまいます。


東京に着くと、賢治は、ある法華経の団体を尋ねました。


そこで、



「自分が得意とする方法で法華経の教えを広めれば良い」


という話を聞き、天啓に打たれるのです。



「そうだ、僕は文章が得意だ。

 文章を使って、仏神の愛の思想を世の中に伝えていこう!

 世界中が幸せにならなければ、僕も幸せになることはできない!!」



彼は、こう心に誓いました。


宮沢賢治は、昼は印刷屋でアルバイト、夜は童話を書くという生活をはじめ、なんと、1ヶ月で原稿用紙3,000枚、1日100枚もの原稿を書きまくりました。


そして、この頃から彼は、精霊達からインスピレーションを受けられるようになっていったようです。


賢治曰く、



「原稿から文字が、一字、一字、飛び出してきて、僕におじぎをするのです」


という言葉を残しています。



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その後賢治は故郷に戻り、小学校の先生になりました。


彼は専門の農業だけでなく、英語や化学も教えました。


彼の授業は、子供達の間でとても人気がありました。


生徒達が賢治が作った歌を唄いながら野山を歩いていると、彼は花や稲や石を取って色々なことを教えました。


教室の中で教科書ばかり読んでいるより、自分達が暮らしている土地を体で感じることが、とても大切なことだと思っていたからです。


こんなときに、賢治にはよくインスピレーションが降りていました。


インスピレーションは、リラックスしているときに降りやすいのです。



※ 参考・レポート「インスピレーションの降ろし方(1)」(編集中)


※ 参考・レポート「インスピレーションの降ろし方(2)」(編集中)


※ 参考・レポート「インスピレーションの降ろし方(2)の質疑応答」(編集中)


※ 参考・レポート「インスピレーションの降ろし方(3)」(編集中)


※ 参考・レポート「インスピレーションの降ろし方(3)の質疑応答」(編集中)


※ 参考・レポート「インスピレーションの降ろし方(3)の質疑応答・Part2」(編集中)


※ 参考・レポート「いろいろ質疑応答♪」(編集中)



生徒達と歩いていると、賢治は突然立ち止まりました。


光や風から何かが閃くと、彼はおもむろに走り出して、



「ほっ、ほ~っ!」



と叫びます。


そして思いついた内容をすごい勢いでメモに書き留めるのです。


これが、後の詩や童話の原形になりました。


宮沢賢治の作品は、どれも素晴らしいものばかりですが、私は特に『銀河鉄道の夜』が大好きです。


『銀河鉄道の夜』は正に霊界物語であり、その内容は精霊達の息吹で満ちあふれています。


『銀河鉄道の夜』は、1985年にアニメーション化されました。


この映画は、原作の持つ霊的なイメージをとてもうまく表現しています。


みなさんも機会がありましたら、是非ご覧になって下さい。




※ TSUTAYA「銀河鉄道の夜」


※ Amazon「銀河鉄道の夜」







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大正15年、30才になった賢治は、



「ぼくは、本当の農民になる!」


と言って、4年間勤めた農学校を退職しました。


生徒には、



「りっぱな農民になって下さい」


と常に教えているのに、当の自分が、まったく農業に従事していないことが許せなくなったのです。


彼は家族と別れ、町外れの一軒家に住み、農業をはじめました。


幼い頃から目にして来た農民達の苦しみを分かち合いたいと思ったからです。


賢治は近くの農民を集めて、学校のようなものを開きました。


自分の学んできた学問を彼らのために役立てたかったからです。


学校をやめた後の賢治の生活は決して楽なものではなかったのですが、


彼は雨の日も風の日も田んぼをまわり続け、冷害に苦しんでいる農民を救おうと、足を棒にして解決策を教え続けました。


しかし、厳しい生活を繰り返しているうちに、賢治はとうとう結核にかかってしまいました。


この病気は栄養が悪いとかかる病なのですが、賢治は、



「動物がかわいそうだから…」


と言って、肉や魚をほとんど食べませんでした。


「そんなひどいことまでして、病気を治そうとは思いません」


と、悲しそうな顔をしていたそうです。


賢治は血を吐きながらも童話を書き続けました。


その内容は、自分の命を捨ててでも他の人の命を救っていくという、愛の物語でした。



※ 参考・電子図書館「グスコーブドリの伝記」



その後賢治の容態は急変し、昭和8年9月21日、宮沢賢治は家族に見守られながら、37才の短い生涯を閉じました。


不思議なことに、岩手県はこの秋、大豊作を迎えました。


賢治が亡くなったあと、彼の愛用のトランクの中から一冊の手帖が見つかりました。


その中にひとつの詩が書かれていました。


皆さんが良く知っているあの詩です。



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雨ニモマケズ



雨にも負けず 、風にも負けず、


雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫なからだをもち、


慾はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている。


一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、


あらゆることを自分を勘定に入れずに、


よく見聞きし分かり、そして忘れず、


野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて、


東に病気の子供あれば、行って看病してやり、


西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、


南に死にそうな人あれば、行って「こわがらなくてもいい」といい、


北に喧嘩や訴訟があれば、「つまらないからやめろ」といい、


日照りの時は涙を流し、


寒さの夏はおろおろ歩き、


みんなに「でくのぼー」と呼ばれ、


褒められもせず、苦にもされず、


そういうものに、わたしはなりたい。


宮沢賢治




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