ayano-fortunetellerのブログ

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占い師
バランガン新宿店・銀座店にて活動中☆

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【東京都中央区銀座2丁目3-18 銀座高孝ビル 2F】

こんにちは!

バランガン銀座の彩乃です😊
「彩乃先生はあぁいう優しいタイプが好きなんですね。前の旦那さんもあんな感じだったんですか?」

バランガンの社長が私にそう仰った。

あぁいう優しいタイプ…

それは今私がお熱を上げているお蕎麦屋さんの事。
(お蕎麦屋さんについては普段Twitterの毎朝のスケジュールにハッシュタグに登場!Twitterご参照ください😊)

前の旦那も戊申(つちのえさる)の日生まれで、
偶然にもお蕎麦屋さんも戊申の日生まれ。

戊申の男性はとても穏やかで優しく、口数が少なく、珍しく口を開けば面白いというのが特徴的な干支。

たしかに前の旦那もお蕎麦屋さんもそういうタイプ。

ギャンブルもせず、お酒も飲まず、犬が大好きだった前の旦那。

蕎麦屋さんコピペか?!というぐらいギャンブルもせず、お酒も飲まず、犬が大好き。

私はこういう穏やかで優しく見守ってくれる人が好きなんだという事に社長の一言で気付けた。

はてはて…私はいつからこういう穏やかな男性が好きなんだろうか?と考えた。

答えは直ぐに分かった。

それが父親である。

私は生まれに財帛(ざいはく)という星が3つもある。
実はこの財帛は【父親】を表す。

私にとって財帛は喜神である為、父親にかなり影響を受けており、父親大好きっ娘であるという事が命式で1発で分かる。

私の父親についてザックリ話そう。

私の父親はとても優しくて穏やか。
口数が少なく
犬が大好き。

そこから私の好きな男性のタイプが決まっちゃったのね…と一目瞭然である。

だから、大好きなあの人は何に影響を受けているのかをお誕生日から知り、そんな人にあなたがなってしまえば、あの人はイチコロ!って事が言える。

ただ唯一、私の好きになる人と父親が大きく違う点がある。

それは父親、無類のお酒好き!!!
これでもか!というぐらいお酒を飲む。

父の飲み過ぎのせいで母がゲキオコエブリデー(笑)

でも私は父が酔っ払ってるのも好きだった。

いつもは物静かな父がお酒を飲み始めると
よく喋り、よく笑い、楽しそうにしていた。

お休みの日になると、ブランデーの入ったグラス片手に、クラシックギターを鳴らしていた。

私はそれを見ているのも好きだった。

父が声を荒げる事は皆無に近く
18年一緒に住んでいて怒られた記憶はたったの一度だ。

ただその一度が本当に激しかった。

父親は壬戌(みずのえいぬ)の日の生まれ。
壬はとても穏やかな性格…
ただキレると本当に怖い😭

父親に激怒されたその日の話を今日はしようと思う。

時は1997年、丁丑・三碧木星中宮の年だった。

父親からすると大絶賛、空亡な上攻撃する運
母親と私大絶賛、自我炸裂喧嘩運
という具合な星周りの1年だった。

1997年、私は高校3年生だった。

無駄に進学校に進んでしまっていた為
同級生は大学受験に向けまっしぐらだった。

同級生に釣られて「私も大学に行く!」と意気込んでいたものの、勉強はせず、毎日ある事に打ち込んでいた。

それが友達との長電話。

中学2年生(当時13才)あたりから何故か電話で恋愛相談される事が増えてきた。

そしてそれは高校3年になっても変わりなかった。

当時40才前後、今の私くらいの年齢の母親はいつも私の長電話にブチキレていた。

その当時は携帯もなく、固定電話。
家の電話が鳴ると大抵それは私への電話だった。

本当にほぼ毎日のように誰かから電話が来た記憶がある。

思えば私の大運(10年の運)は相談される運気に13才から見事に突入している。占いって凄いや…

友達の恋バナを聞いて
落ち込んでる友達を励ましてきた。
何より泣いてる子が、落ち込んでる子が元気になることが私の喜びだった。

そう…私は優しい。←自分で言っちゃったよこれぇ😂

私は丙戌の日の生まれ。
丙戌はとにかく弱きに優しい。
そして強きに厳しい。
だから私は優しいって言わせて😂

で、元気になった友達にホッとして子機の切るボタンを押すと、そこには頭の切るボタンを押したブチキレた母親が仁王立ちしていた。

「あんたぁぁぁぁーーーー
ええかげんにせーーーやーーーー!
勉強するする言うて、いつすんのよぉーーー!」

そこからガチンコファイトクラブ開幕。

そこにお仕事で疲れた父帰宅。

丙の母と丙の娘の仁義なき戦いが毎晩のように繰り広げられていた為、さぞかし自宅に帰りたくなかっただろうに…ナムナム、南無阿弥陀…

ある朝事件は起きた。

子機が無いのである。

私の商売道具の子機がないのだ。
「どうすんだよ、今夜の電話サミット!!!」

慌てた私は母親に問い詰めた。

私「返せ、私の子機!!!」

母「返しません、勉強してください。」

そこから更にヒートアップ。
丙の仁義なき戦い両者譲らずドロー。

この年の母と私の年運、自我炸裂の末、私が取った行動は家出だった。

たかだか子機の為に家出するなんて
私どんだけオシャンティな性格してんだよと今になって思うが、私からすると
友達の相談に乗ってあげる≧大学受験
だった。

そしてその相談される運気は
別に置き換えると悲しくてエモーショナルになりやすい運気。

私は悔しくて大泣きしながら家を飛び出した。

向かった先は父親の会社だった。

夏の太陽は翳りを見せ、
夕方、幾分涼しくなっていた。


夕日が背中を 押してくる
まっかな腕(うで)で 押してくる
歩くぼくらの うしろから
でっかい声で よびかける
さよなら さよなら
さよなら きみたち
晩ごはんが 待ってるぞ
あしたの朝 ねすごすな

「夕日が背中を押してくる」

小学生の頃習ったこの名曲を
口ずさみ私は意気揚々と歩いた。

1時間半くらい歩いて父の会社の正門に到着した。

綺麗だった夕日が沈んだ。
あたりは暗闇に包まれた。

オレンジ色の街灯が怪しくあたりを照らした。
自分の影を見つめながら腕時計に目を落とした。

20時になっていた。

腕時計は高校進学のお祝いで頂いたものだった。

この時計、こんな事で時間を告げる為にくれたんじゃないんだよな…
試験の時とかに必要でしょ、勉強がんばりな!ってくれたんだったよな…

そんな事を思った。

急に自分の取った行動が恥ずかしい事だと思った。

21時までは待ってみようと待ったが父の車は通らなかった。

なので、私は家に帰ることにした。

トボトボ歩きながら
反省した。

そして同時に自我が炸裂して独立心が生まれた。

もうこんな事で母と喧嘩したくない。
私は自由に好きな事をやりたい。
そのためには親元を出なければ。
そのためには何より大学に受からなければいけない。
そのためには電話じゃない、勉強だ。
そしてこんなに歩きたくない。
車の免許も取ろう。
お金が必要になるから大学生になったらバイトを沢山しよう。

そう心に決めた。

家に到着した時には23時前だった。

父の車は駐車場にあった。

「なんだ…帰ってたんだ。」
どうせ母に激怒されんだろ、ぐらいに思って呑気に玄関を開けた。

仁王立ちになっていた。

でもそれは父だった。

「どんだけ心配したと思ってるんや!!!!」

怒鳴られた。
次の瞬間ビンタが飛んできた。

後にも先にも父に殴られたのはこれが最初で最後である。

どんな時にも父は私の味方だった。

数学のテストで0点取っても何も言わなかったし
長電話をしても何も言わなかった。

そして何故それが悪かったのかを分かりやすく説明してくれる人だった。

だけどこの日だけは、何が悪かったのか全く説明もしてくれず、父らしくなかった。

空亡だっただからかもしれない。
(※空亡は自分らしく無い時期)

いや、違う。私が悪い。

そんな父を怒らせてしまったこと、心配かけさせてしまったことが情けなくて泣いた。

その翌日から私は猛勉強を始めた。

父に怒られた事
親元を離れたいと思った事
それらが融合され、私はとにかく頑張ったと思う。

全てE判定だった模試の予想を見事に裏切り、
私は何とか大学に合格した。

不純な動機で選んだ横浜。
そこは見事に5大凶方位である
暗剣殺だったのが最大のオチであるが…

そして父は今も穏やかに私を見守ってくれている。

離婚した時も離婚が事後報告だった私に
少々ビックリしていたがこう言ってくれた。

「彩乃が決めたことや。
彩乃も食いブチを見つけて自分で考えて決めた事やろう。
頑張りなさい。」

そう言ってくれた。

いつだって穏やかな父が私は大好きで
いつだって冷静に物事を言ってくれる。

そんな男性が私の好み。

そして今日、11月18日は私の父のお誕生日。

そして今日、11月18日はバランガン彩乃のお誕生日。

早起きして、銀座で父の誕生日プレゼントを探しに行こうとした。

目の前を花嫁さんが横切った。


何も言わない父が私に
「バージンロードを一緒に歩きたいなぁ」
と酔っ払って言った事があった事を思い出した。

その夢は叶えてあげられた。
だけど、また出戻ってきちゃったけどね😂

そして私は父が大好きなお酒を選びに行った。

とても素敵なお酒を見つけた。


1979年のお酒と
1980年のお酒。

1979年は父と母が結婚した年。
1980年は私が産まれた年。

1979年は己未の年だった。

己は父にとって子供運で
己は母にとっても子供運だった。

私はそうやって1980年3月に爆誕した。

その時に「彩乃」か「○○」←本名で悩んだそうだ。

本名にはこの文字が使われている。


「香」

これは将棋の「香車」から取ったと父から聞いた。

香車は自分の陣地では真っ直ぐにしか進めず
相手の陣地に入るとフレキシブルに相手に合わせて進めるそうだ。

自分に真っ直ぐ。
相手には合わせる。
そうやって生きてほしいと思って名付けてくれた。

だから私は真っ直ぐ生きて
相手には合わせなきゃ!と肝に銘じている。

あえなく彩乃はお蔵入りになったが
占い師彩乃として使わせてもらっている。

父に感謝。

そして占い師彩乃が3年目を迎えられたのは
皆様のお陰であることは言うまでもありません。

本当にありがとうございます。

ある日父が母にこう言ったそうだ。

「昔から彩乃は電話で友達の相談に乗ってきてたからな。占い師は向いてるんやろうな。」

長電話で怒られまくった苦い思い出が
今は自分の生き甲斐に変わっている。

占いの窓で電話鑑定をさせて頂くたび
好きなだけ相談が聞ける喜びは半端ない。

もう誰も私を怒ってこない。

あなたも小さい頃からずっとやってきた事ってありませんか?

それがあなたの生き甲斐のヒントなのかもしれませんね。

明日から4年目に突入。

これからも彩乃をよろしくお願いします。

彩乃