数年前に、かつて明智光秀公の城でもあった

          京都/亀岡市 亀山城跡(本体)にて。

 

神人を介し織田信長公と明智光秀公の御魂が対話されたことがありました。

 

信長 光秀、お前か?

 

光秀 いいえ、違います。

 

信長 ならば、サルだけが得したということか?

 

 本能寺の変は比叡山延暦寺の信奉者たちによる敵討ちでありました。

 

 明智光秀公は本能寺での謀反の計画の噂を聞き、

             挨拶と護衛も兼ねて行ったのでした。

 

明智光秀 私は生きながらえたことを感謝しております。

     家康公の恩義に深く感謝申し上げます。

     そして、我が家臣たちの忠義に心より感謝申します。

     これらは私の本心であり、

     これまでの経緯を明らかにするものとします。

     これまであらゆる憶測で話されて来たことに対し、

     私自身の身の潔白を証明致したく思います。

     私は上様に対して忠義を誓ったものであり、

     謀反などあり得ません。

     本能寺に戻ったのは家臣より謀反の知らせをもらい

     即座に駆けつけたのです。

     しかしそのことが私の指示によるものであると

     誤報が広まり罪人とされたのです。

     もはや戦いは免れぬ状況となり、

     羽柴秀吉公率いる軍勢と闘わざるおえず

     軍は廃したのであります。

     私は身の潔白を伝えるために生きながらえ、

     身を隠すことを決めました。

     そして、徳川家康公に天海として仕えることとなったのです。

     秀吉公は宿敵となり、

     同じ上様に仕えたもの同士の闘いが関ヶ原でありました。

     私は病に倒れるまで真実を隠し生きました。

     そして天海が明智光秀であったことを後世に託し、

     汚名返上すべき策を講じたのです。

     今こうして現代に伝えられることが何より嬉しきことであります。

     亀山城にて、私は上様にお会いし、

     謀反の指示は出していない旨をお伝えしました。

     そのことを上様はお聞き入れてくださいました。

     後は歴史に残る汚名を返上して頂きたく、お願い申し上げます。

 

            2020年2月3日

              明智光秀公御魂より神人を通じ記す。

 

織田信長 仕方あるまい。

     わしの思いも伝えておこう。

     わしは信長じゃ。

     そなたはわしの命によって動いてくれた。礼を申すぞ。

     これまでの戦は乱世ゆえの因果じゃ。

     誰かがせねば変えられぬゆえの流れよ。

     わしは寺では死んではおらぬ。

     生きてこの国を離れた。

     船に乗り伴天連たちと共に外国へ参った。

     まるで別世界の暮らしであった、

     思い切って行って良かったぞ。

     このようなことでもなければ出来なかったこと。

     明智にはすまぬ思いをさせたが、

     すべては乱世が招いた仕組みよ。

     恨むな。

     いずれも真相は世に伝えられていなかったことが、

     なにより滑稽である。

     こうして伝えることもまた滑稽であるな。

     真とは、滑稽なるものぞ。

     のう、明智。

 

明智光秀 ははー

 

織田信長 面白いわい、愉快じゃ愉快じゃ、   

     これらのことを世に伝え広めてくれ。

 

     神人に頼んだぞ。

     褒美はいくらでもとらす。

     家康が面倒を見るであろう。良いな。

 

徳川家康 ははー

 

織田信長 これで良い。サルめ、あやつはどこに隠れておる。

     ずる賢い輩よ。。。。

 

      。。。世話になった。そなたはこれから忙しいのう。

         世界は広いぞ、達者で暮らせ。

 

           2020年2月3日

              織田信長公の御魂より神人を通じ記す。

 

    (みたまとの対話より一部引用)