8月2日 火曜日

1週間前、朝の速報のテレビ中継に何が起きているのかにわかに理解できなかった。

あれから1週間。

亡くなられた方、ご家族、入所者の方々、職員の方々にどう声をかけたらよいのか分からない。

お悔やみの言葉…それすらも軽々しすぎるような気がしてならないぐらい、それぐらいショックな出来事。

実は事件の2日後に新聞社の取材を受けた。その記事が事件から1週間たったこの日に掲載された。

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記者さんとは1時間近く、あれこれとまとまりなくお話をさせていただいた。

その中の一部が文字となっている。
文字にならなかった部分など書き残しておきたいと思う。

娘、あやたんも今回命を落とした方々と同じく重複障がい児だ。

療育手帳A1の重度の知的障害があり、言葉は話せない。
身体障害も1級の重度で、一人で立って歩くことはできない。
視覚障害もある。右眼はほぼ視力はなく、光覚のみ、左眼も0.1程度でかつ視野もかなり狭い、と思われる。思われる、というのは、本人が認知的な能力の面できちんとした検査データが出ないから、あくまでもドクターや検査技師の診立て。

だから、今回のターゲットになり得たのか、と想像しただけでもゾッとする。

記者さんに、当たり前だけれど、事件のことをどう思うかをまず聞かれた。

取材を受けた時点では、容疑者への怒りよりも何よりも、事件後も尚、あの場所で生活を続けなければならない入所者の方と、彼らを支えることにきっと必死な状況の職員の方々のことが心配でならないとお話した。
事件そのもののこと、そして、警察や消防、たくさんの報道陣に園が囲まれ、普段とはあまりにも違う異様な雰囲気に、きっと心が痛くて辛くてたまらないと思う。パニックを起こしている方もいるのでは…と。


容疑者に対する気持ちは?
怒りというか、悲しいというか…
もしかしたら、自分を認めてもらえなかった、自分の存在を否定された過去の積み重ねがあったからなのか…弱い立場の人を否定することで、自分の存在を肯定したのか…なんて可哀想な人間なんだろう…などと想いを巡らせたりもした。

と、同時にこの事件で思い出されたのが、ナチスとISによる障がい者の大量殺戮。実際に取材の翌日に、容疑者が「ヒトラーの思想がおりてきた」という報道があり、言葉を失った。だからと言って、容疑者がそれらと並ぶ特異な事例だと言ってすむことではないと思っている。

今も昔も障がいのある人たちへの差別の気持ちは、その程度の違いはあれ、本人が認識しているしていないの違いはあれ、そういう気持ちを持っている人は多いのではと感じている。

実際、奇異な目で見られることも実に多いしね。

それは、障がい者に対してだけでなく、国籍が違う人、〇〇が違う人に対しても同様なことが言えないかな、と思ったりもする。自分が知らない相手、自分とはどこか違う相手、自分には想像できない生活をしている相手だからかな。


娘の障がいの状態をはじめに書いたけれど、私たち親子のことを、こういう状態だよと言葉だけで説明を受けたら、恐らく「かわいそうに」とか「大変そう」という感情を抱く人が多いと思う。

でも、きっと私たち親子、家族を知ってくださっている方たちは、私たちのことを「不幸」だとは決して思っていないと思う。

家族は皆、娘のことが大好きだし、娘も家族のことが大好きで、自分の人生を楽しんでいる。これっぽっちも安楽死なんて望んだことはない。

記者さんから、某県の教育委員会の人の発言や出生前診断のことも話しが出た。

まあ、いろいろ言いたいことはあるけど、
娘の障がいは、お腹の中にいた時からのものではない。つまり、出生前診断は関係ない。

誕生時が重症仮死状態だったこと、生後3日目の頭蓋内出血によるものが大きい。

友人たちの中にはお産の途中経過のトラブルで低酸素脳症が原因の子、誕生後すぐからの痙攣が止まらなかった子、インフルエンザ脳症が原因の子、溺水や交通事故が原因の子、その他様々な病気を発症した子など出生前診断とはなんら関係のないところで「障がい児」となった子どもたちもたくさんいることをまずは伝えたい。

大人になってからも然りで、つまり、障がいを持つことになるということは、決して特別なことではないんじゃかいかと、最近は思っている。年を取ると、今まで自由にできたことが出来なくなったりもするし、目も耳も遠くなるし、記憶もあやうくなる。

もし、昔から本当によく知っている大好きな人が事故や病気で、ある日突然中途障がいを負い、自由に身体を動かせず、言葉を発せなくなった途端、手のひらを返したようにその人の存在を否定し、アイデンティティを否定し、差別する?
最初は戸惑うかもしれないけど、やっぱり一緒に居たいし、その人が何を感じ、何を伝えようとしているのかを感じ取ろうと一生懸命になるんじゃないのかな?

娘との生活は確かに大変。楽だと言ったら間違いなくウソになる。小学生になった今も、生活全般において介助が必要だから手がかかる。認知面でも何度も何度も繰り返さなければ理解できない。
早産しなければ娘が脳性麻痺になることはなかっただろうと自分を責めたり、障がいを持たなければもっと自由に好きな事ができただろうにと娘への懺悔の気持ちだったり、心の葛藤だって未だにある。


でも、誰にだって、子育てって、人生って、山あり谷あり。いろんなことが起こるもの。何に悩み、何が大変なのかが違うだけ。


記者さんに、「最近、自分が病気になること、死ぬことが怖いことだと思わなくなったんですよ」と言うと驚かれた。 自分亡き後の娘のことは心配でたまらないけど、自分自身の病老死に関しては、「なるようになるさ〜、大丈夫さ〜」という心境(実際、そうなった時は怪しいけど 笑)。人生をより深く捉えさせてもらっているのは、娘のおかげ。

さてさて、記事の中のお話に。
1時間あれこれ話した中で、小学校でのエピソードを記者さんは文字にされた。

あれは小学校に入学して間もない時のこと。
「車椅子に乗ったら歩かなくていいから楽チンでいいな〜」は、小学校に入って初めて娘と出会った、同じ一年生の男の子の言葉。
一年生にとって、大きなランドセルをからい、他にもたくさん荷物を持って約30分の歩いての通学は大変。
障がいで歩けないとか関係なく、素直に感じたことが言葉になっただけ。とってもストレート。
もし、ここに彼のお母さんが居たら、「そんなこと言っちゃダメ」って制止し、手を引き娘と私のところから離れさせたかもしれない、と思う。
彼は私に自分の気持ちを素直に話してくれたから、「ずっと座ってるのも大変なんだよ」とか、娘のことを色々話した。「乗ってみる?」には遠慮されちゃったけど。

他にも、同じく入学したばかりの頃、「ねぇ、この子、何歳?」と同じクラスになった子に真顔で聞かれたこともある。それぐらい不思議な存在に見えたのだと思う。

3年生になり、道徳の時間に車椅子に乗る経験をした同級生たち。感想には娘のことと重ねた気持ちを書いた子どもたちが多かったと先生から聞いた。単なる体験ではなく、実感したのだと思う。車椅子も決して楽じゃないってね。

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子どもたちは、娘が歩く練習を頑張っていることもよく知っている。

しゃべれないけど、ひとつの単語をきちんと発音できないけど、歌が大好きで一緒に歌っていることも知っている。

楽しいことには大きな笑い声。
嫌なことには不服、不満な顔。

お笑いが大好きで、クラスの男の子たちは誰が娘を一番大笑いさせられるか競っている様子を見かけたこともある。


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なんでも娘のペースに合わせているわけでも無さそうで、外で遊びたい子は仲の良い子だけで、ダーッと走って遊びにも行っちゃう。
だからと言って一人ぼっちになるわけではなく、別の子が娘の近くにいつの間にかいる。…と先生から聞いた。

きっとこうやって一緒に過ごしている彼らには、誰かのヘルプは必要だけど、重複障がい児の娘は不幸で、この世で役に立たない、必要のない存在だとは思っていないと信じている。 


観念論ではなく、本当に相手のことを知るって大事だと思う。
そのためには社会で、地域で、ともに過ごすことが当たり前であってほしい。

私が、娘との生活を障がい確定の初期段階から悲観せずに送れたのは、子どもの頃の経験があったから。
それは近所の寝たきりのお子さんを育てていた人の存在。母の友人でもあったそのおばちゃんはいつも笑っていたし、下の妹さん、弟さんも元気印だった記憶があったから。


政治、医療、教育…親や子が疲弊して笑顔がなくならないように、社会制度、システム作りに頑張ってもらうとして、


私にできること

それは娘との生活は楽しく、決して特別なことではないということを発信し続けること。

命に優劣の差はないことを伝え続けること。

存在することに無意味な人なんて居ないことを伝え続けること。


あやたんは
わがままも言うし
こちらの顔色を見て態度を変えるし
甘えもする

子どもらしい子どもだ。

いち母親の長い長いつぶやきでした…。