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ブログを見て、メールやコメント、メッセージを下さった皆さん、
ありがとうございます。

まだまだ元気とは言えないけれど、
ダークな中、その一言一言がジワ~っと色づいて溶かしていってくれています。


「あやちゃんがそこまで思うなんて相当だと思って」ってすぐ連絡をくれた友だちの気持ちや、

「頑張れ」という言葉ももちろん有難いけれど、





私なら大丈夫、ってみんなが思っていてくれることに、嬉しかったし、





正直、驚きました。





私自身が信じられなくなった私を、みんなが大丈夫って信じていてくれるなんて、




なんなんじゃー!!!



って嬉しショック。




と、同時に、みんながあたたかく思ってくれている私を信じられないなんて、みんなにとんでもなく失礼な気がする。。。





なんかね私、寂しかったのも大きかったんだと思います。

さっき気がつきました。




自分で望んだことだけれど、わからないことだらけという心細い中、
誰一人知っている人がいないところで生活が始まって、

自分でも驚くほど人脈ができた。

色々な人がいるし、色々な関係性、距離の人もいる。




その中でも国籍関係なく、無条件で心から大好きな友だちも数人できた。

この短期間でだから、ずっと付き合っていくと形態は変わっていくのかもしれないけれど、
その短期間だから余計。



だけど、そういう人にかぎって、なぜか帰国してしまって。

この2ヶ月で立て続けにロンドンからいなくなってしまった。

みんな、仲良くなってしばらくしてから帰国を知ったから、カウントダウンが始まってショックだった。



それぞれ出逢った場所も違ったし、しょっちゅう会っていたわけでもないのに。

ひとり、またひとりと帰国していき。



一生の別れじゃないし、いつでも連絡は取れるしまた会えることはわかっている。
楽しい時間も過ごしたし、お互い大事に想っているから寂しがる必要もない。
再会できるが楽しみ。
ロンドンに引き止めたいわけでもなく、それぞれの元いた場所、新しい生活を応援してもいる。

今までだって、心に穴が空いて、身を引き裂かれるような別れはいっぱいあった。





だけど、人ひとり実生活の目の前からいなくなるって、こんなにもぽか~んと穴が空くものなんだ。





ロンドンに来てから、それまで一緒にいてくれた人たちに「寂しいよ~会いたいよ~」って思うことはほとんど無かった。



と、思っていたけど、

自覚していなかっただけかな。



なんか、自分が寂しがり屋だってこと、ここ2、3年忘れていたし。
というか、その辺、強くなったって思っていた。

とんだ勘違い。



そして自分が来たくて来たんだから、寂しいって思っちゃいけないって思い込んでいたのもある。




だからぽかんぽかん空いていく穴に、寂しさという自覚がなかったのかも。



自覚していないって怖い。

今思うと、かなり信号は出ていた。

こっちに来てから3週間目くらいだって出ていた。


寂しいのが先か不安が先かはわからないけれど、そういう時は必ず同じ不満が生じ、同じ発言をしていた。
確実に同じ迷路に迷い込んでいた。



単に「寂しいです」って言えていれば、どんなに簡単だったか。





やっぱり身体や心が感じていることを、頭でねじ伏せるほど物事を悪化させるものはない。





渡英する前に、「氏家さんのこと応援しているけど、会えなくなっちゃうの寂しい」ってわんわん泣いてくれた人がいた。
いやいや帰ってくるし、私ひとりあなたの生活からいなくなってもどってことないよと思っていたけれど、

その人の気持ちがよくわかった。
そして有難い。

いなくなって、我が身にふりかかってその有難さがわかる。

そう思える出逢い、そう思ってもらえる出逢いってとても大事なんだ。



向きあうんじゃなくて、顔は見えずとも並んでいられる出逢いって大事なんだ。





だけど寂しいからって、うだうだしても仕方ないのだ!!
そもそもロンドンは寂しさ漂う街なんだから!!



寂しさ埋めようと、寄りかかろうと甘えてしまってごめんなさい!!!
それがどれだけ失礼で迷惑な行為か、身を以て知っているのに!



今度から寂しい時は、ちゃんと自覚します!
そして叫ぶ!





寂しいーーーーーーーーーーー!!!