こんにちは。

井上亜矢子です。

 

1か月くらい前の事だと思いますが、

 

本当に

ふと

 

母は私(や兄弟)が大事だから

心配だから

色々うるさかっただけ

心配だっただけ

 

あとは

母自身が小さい頃から積み上げた

 

○○べき

○○しなければならない

 

などの固定概念や設定・思い込み

 

 

が山盛りたくさんあり

いっぱいいっぱいで育児をしていただけ

いろんなものがグチャグチャになっていただけ

 

心配も

 

「心配だから、○○してほしくない。」

 

と言う余裕もなく

「バカ」

とか

「やめて」

とか

単語とかの一言だけ。

 

子どもから見ると

否定されてるような言葉しか出てこなかっただけ

 

私が見たかった視点からしか見ておらず

 

母に愛されたかった

 

と思っていただけ。

(愛されてないと思って、悲しくなって、怒りになって、憎しみに変わった。)

 

 

本当は

ずっと愛されていた

 

 

自分の好みの愛され方をされてなかっただけ

(これは継続講座の時に初音さんが言っていたけど、知識としてしかわかってなかった)

 

 

ずっと私は好みの愛され方しかされたくなかっただけだ。

 

受け取ろうとすれば受け取れる愛がたくさんあるのに、気づきもしなかっただけだ。

 

と気づいた。

 

 

母に

 

「自分が思う良い育児ができなかった思いがあるかもしれないけど、私は今幸せに暮らしているし、産んでくれてありがとう」

 

と伝えました。

 

 

結婚式の母への手紙でも作業的にしか読めなかった私滝汗

 

自分が受け取らなかっただけだと分かりました。

 

 

ちなみに由衣さんのブログにある、親と真逆を生きようとしていた話は私。私が自分を生きれば、家系の負のループは途切れるのです。(だから、自分を生きるべき!となろうとは思わないけどね。自然にそうなって行くような生き方をしたい)

 

好みの愛され方しか受け取ろうとしていなかった

 

 

に気付いたら

 

毎日の生活が旦那や子どもたちや友人の愛に溢れている事に気付いた。

 

毎日8時間以上も会社勤めしてくれてる事とか

 

休みの日に「どこか行きたい神社ないの?」と聞いてきたり

 

その神社への経路や他の寄り道スポット調べたり

 

運転いっぱいしてくれたり

 

子ども達も片道4時間くらいの道中でほとんどグズらなかったり

 

旦那と子ども二人、みんな楽しそうについて来てくれた

 

友達のふとした言動も。

 

 

その行為自体に

「愛しているよ」という表現はないけれど

その奥には愛がある。

 

 

今までなら気付かなかった。

 

私頑張ってるんだから、それくらいしてもらって当たり前だろ

 

くらいに思って終わりだった。

 

 

頑張らなくてもいい

(頑張ってもいいよ)

 

何もしなくていい

(してもいいよ)

 

 

正解はないのだから

自分の心に従えばいいんだよ

 

 

を胸におくようにしてから

 

ちょっと緩んだのか

 

前よりは小さな事に気付きやすくなった気がする。

(下の子の「ママ、ママ」べったりで面倒くさいのも、下の子なりの愛情表現にも見えてきた今日この頃。愛されたい私のために、やってくれているのかも。)

 

 

それでもまだ、

正解を求めようとするフシがあるので

(そういう自分もあっていいんだけどね)

まだまだ緩めていきたい今日この頃です。

 

 

 

 

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