半年ぶりに健康で元気に日本に帰ってくることができました。

半年前はどうなることかと思いましたが、

改めて、いろんな方々に感謝の気持ちでいっぱいですにゃー



母からはアンデス山脈(あえて南米)から下山してきた原住民のようだ、とからかわれています。

何せ、ケニアの「砂糖と油攻撃」を受けまくっていた結果、7キロも太ってしまいました。

そして、黒くなったねー、焼けたねーと攻撃もうけます。

ケニアで、「あやかは全然黒くならないよねー」とケニア人に言われていたので、若干ショック…。。。



インドのデリーについた翌日からアフリカの緊張が取れたのか…

泌尿器からの炎症で…久しぶりの38度の熱が出て、

熱よりもトイレにこもってしまうという、その他の症状がひどかったので、

デリーの夜間救急(人生初?!)に行くという経験もしました。

ドラマみたいに心臓の「プープー」の機械とかつけられて、


もうどこでも生きていける気がします、笑。


そのせいで5日間寝込んでいました…。

つまり、楽しみにしていた、

インドの石窟で有名なエローラ・アジャンターとヨガの聖地のリシュケシューの

一人旅はあきらめました。


人生長いので、きっとまたいつかいけるでしょう上げ上げ



大学のゼミの友達が3人インドに遊びに来てくれる予定だったので、その前には元気にならないと!

と完全に毛布に包まって家でぼーっとしてました。


インドの家にいると、お茶が欲しいとか、そばが食べたいとか、寒そうにしてるだけで、

お手伝いさん方に対応していただけるので、

どこかのお姫様になった気分で過ごしてました、笑。

おかげでメイドさんのいない日本の実家は片付ける習慣を忘れてしまったのか、

物があふれていて、大変なことになっております。


服はすべて「しまむら」です。なのにケニアまで来てしまいました。  デリーについたら、お手伝いさんのマーガレットから

もらったバラの花~感動~そして、きれいになったムンバイの空港で

手にヘナタトゥーを無料で手にやってもらいました!!


インドの際は友達の飛行機が飛ばなくてデリーに時間通り来れない!!とかいろいろありましたが、

ゼミの友達ともヒンディー教聖地のバラナシを回ることができて、友達がガンジス川に飛び込んだり

これもまたおもしろい経験でした。

服はすべて「しまむら」です。なのにケニアまで来てしまいました。



服はすべて「しまむら」です。なのにケニアまで来てしまいました。


インドみたいなクレイジーな国から帰ってくると

日本が平和すぎて、変な毎日です。

しかも母も弟たちもインドから帰ってきた4年ぶりぐらいの実家の生活は

タイムマシンで戻ってきた感じです。



日本はレストランでも新幹線でも通路はゆずってくれるし、


レジ係りの人はとにかく早くて、おつりをもらうタイミングがとにかく合わないし、

(日本人ってなんで、クリスピークリームに2、3時間も並ぶのに、

スーパーのレジってなんであんなに急ぐ必要があるのかな?これは比較対象にはならないのか!)


「おつかれさま」とか「ありがとう」とか「すみません」とかみんな礼儀正しいし、


とにかく水道水が飲めて歯磨きができることがうれしいし、


おふろに半年ぶりに浸かると感動するし、


刺身をはじめ新鮮な魚介類が宝石にしか見えない。



さて、そんな私ですが、今週土曜日に名古屋駅の近くでケニアでの体験の講演会?勉強会?を

行うことになりました。


12月5日(土)、13時~15時、

ウィンクあいち(愛知産業労働センター) 13階、1304会議室

人前で話すこともあんまり経験がないし、何を話せばいいのか不安でしょうがないのですが…
いずれ東京でも行うと思います。


2010年は少しずつこういう活動をちょこちょこできたらいいなと思っております。


ただ…問題はケニアでの生活を思い出すことが難しくて…どうやって生きていたのか、

何を感じていたのか、わからなくなるときがあるんです…

それだけがむしゃらに生きていたという言い方もできるのかもしれないのですが。。。



私が何かできたというよりも、彼らから「生きること」を教わったことのほうが何十倍も多いので、

少しでも、いろんな人にいろんな形で伝えられたらいいなと、思ってますあひる



服はすべて「しまむら」です。なのにケニアまで来てしまいました。


前回の投稿からだいぶたってしまいました…汗

ルワンダに5日間滞在し、そして、インドの首都デリーに無事着きました。

東アフリカ4カ国制覇できたことをすごーくうれしく思いますリラックマ

ちなみにルワンダは女性の一人旅でも困ることなく、東アフリカで一番回りやすい印象を受けました。


前回の投稿で調子の乗ったことを書いたせいか…あの投稿からさんざんな目にありました。

アフリカはやっぱり甘くはなかったってことなのでしょうか…


①この5ヶ月半、盗難、強盗にあわなかった。って前回書いたら…


その日、キスム(ケニア)でマタツ(乗りあいバス)に乗って

スラムの小学校の生徒にさようならを言いに会いに行く途中…

となりに座っていた男の人が

・大きなかばんで体の前を覆い隠していることや、

・席を替わりたいなど不審な行動をすることから、何か怪しいと思っていたら、


気づいたら、かばんが半分開けられていて…手が入ってきた!!

その瞬間気づいて、思いっきりその腕と覆われていたかばんを振り払って、にらみつける…。

叫ぼうと思いましたが…叫んでナイフでさされたりしたら、いやなので、おとなしくひたすら、にらんでいた…

そうしたら、向こうがびびったのか、向こうから席を替わった…。


基本的にお財布には1000円も入れてないので、お財布はいいものの、

デジカメを撮られると写真が取れなくなってしまう…と必死に抵抗。

いろんな意味で強くなりました、笑。



服はすべて「しまむら」です。なのにケニアまで来てしまいました。  保健クラブのみんな


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②この5ヶ月半、病気をしなかった。って前回書いたら…


ルワンダに到着し次第、それからずっと、すごいだるさ&めまいのような、吐き気のような…

せっかくのルワンダ滞在なのに、野生のチンパンジートレッキングはあきらめました。

そもそも野生ゴリラトレッキングは500ドルもするので、あきらめていました。

でも、いつかお金をためてぜひ行ってみたいです。



服はすべて「しまむら」です。なのにケニアまで来てしまいました。  ほんとにほんとに美しい国です…癒される~

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③ルワンダといえば…「ホテルルワンダ」、「ルワンダの涙」という数々の有名な映画がありますが…

そのテーマとは1994年の大虐殺です。

100日間にわたって…ツチ族を中心に80万人~100万人が殺害されたとも言われている…

フツ族とツチ族の争いです。

数々の大量虐殺サイトが当時に近いまま残されています。

その一つであるギコンゴロ・メモリアル・サイト。


当時技術大学として、建設途中だったらしいのですが…

その建物は未だにあります。


服はすべて「しまむら」です。なのにケニアまで来てしまいました。  建物に行く途中…案内されて。


そして、44部屋にわたって、殺害された人々の遺体が各部屋30体ぐらいでしょうか、並べてあります。

保存方法はライムジュース。

しかも、遺体は白骨化しているのですが、まだ骨だけって感じではありません…。


子供ばかりの部屋、骨の残っている傷、当時彼らが着ていた服が棚に無造作に並べられていて…

気温は25度前後で窓はプラスチックのビニールで封鎖されているだけなので、

とにかく臭いがなんともいえません…


タンザニアのザンジバル島であったカナダ人女性に薦められて、相当の覚悟で訪れたのですが…

それを上回るものでした…


そして、それから、夜怖くて電気を消して寝ることがどうしてもできません…

トラウマになってしまいました…。そして寝不足が続いてます。

セラピーか何か受けたいです…。


それぐらい、衝撃のあるものでした…


あんなにも穏やかな人、美しい緑の農村、すごーーく静かな環境で暮らしている現在のルワンダですが、

その奥深くにあるもの、人間ってこんなに残酷な生き物になりうるという現実を知って、

改めて、深く深く考えさせられました。


キガリの虐殺記念館に行って、

ルワンダの歴史を植民地前から知ることができ、とても勉強になりました。

2階に殺害された子供たちのメモリアルがあるのですが…回っていたら、泣けてきてしまいました。

NEVER AGAIN。

この言葉をみんな口にしていました。


さまざまな方の実体験も聞いたのですが…15年前なので、妙にその記憶が新鮮で。


まだまだこの2週間で大変だった体験はあるのですが、長くなるので、今回はこの辺で。



そしてなによりとっても残念だったのが、

「ホテルルワンダ」の舞台だった「des mille collines hotel」ホテル

服はすべて「しまむら」です。なのにケニアまで来てしまいました。


でお茶でもしようと思ったら…

なんと私の滞在期間だけ…リノベーション。。。

建物に入ることさえできませんでした。

ショック!

服はすべて「しまむら」です。なのにケニアまで来てしまいました。

なので外からの写真…映画と違う印象をうけます…あの映画は南アで撮影されたとか。

ケニアに来て…すでに5ヶ月以上が発ちました。


自分の行っていたプロジェクトを早く終わらせて、そろそろ次のステップに進むべく、

今週の日曜日に拠点としていた、キスム、ケニアを発ちます。


日本につくのは11月の最後なので、まだまだ日本だ!!って気分ではないですが…><


とりあえず、このミレニアムシティーと少しの間、さようならです。

時間が経つのはあっという間だなとひしひしと感じます。



6月から

毎日、驚き、刺激、怒り、喜び、帰りたいなどいろんな感情を感じてきて

気分の上下が激しく、現地の彼らに当たることも、

些細なことでのストレスがたまったり、イライラして、正直「疲れた…」という思いもあります。


やっぱり何事も楽しんで、あははーと笑って過ごすことが重要だとひしひしと感じています。



5ヶ月、寝込むこともなく(熱は1回出たけど)、病院にお世話になることもなく…

おなかを壊したのも2,3回。


恐喝されたり、物もお金も盗まれることなく…


奇跡的な強運のもと過ごすことができました。



東アフリカは本当に美しい国々です。

自然はもちろん豊かで、たくさんの温かい人もいて、

私が今まで思っていた「アフリカ」のイメージとはいい意味でまるっきり違う印象を受け、体験をしました。



「貧困」をキーワードにすごくたくさんの課題を抱えている地域ですが、

それと同時にすごくたくさんの可能性を秘めている地域だと思います。


どんなに過酷な環境でも、

苦しみたくない、ハッピーに生きたい

みんな同じ感情を持った、夢をもった人間なのだと教えられました。



ここまで支えてくださった、背中を押してくださった友達や家族に感謝して、



結局何にもできなかったと反省の思いをひしひしと今週は感じるのですが…



ここには書ききれないたくさんの思いや体験を通して、自分の中に深く落とし込んで

ここでの体験を今後の自分に生かすことが

ここで出会ったすべてのケニアの人々のためになればと思います。



これが単なるステップや経験ならずに、次のステップにつなげられることを願って…


服はすべて「しまむら」です。なのにケニアまで来てしまいました。