これが、今回の北海道胆振地震での顛末である。
ただし、と付け加えると。
この後も大変な事になるとは、この時の私は想像だにしていなかった。。。
(災害3日目)
とうとう通っている作業所から連絡が来た。
ちなみに、契約では、2日間連絡がつかないと、作業所から連絡が来るらしい。
最初に連絡がついたという同じく作業所に通っているNさんに連絡を取ってみると、なんと、作業所からは既に連絡が来たとのことで、早速その携帯番号を教えてもらった。(←本当に携帯番号は知らなかったのです)
電話をかけてみると「現在、お客様がかけた電話番号は…」のメッセージが。
なんと、携帯電話を契約しているソフトバンクがダウンしていた。
LINEで連絡を取ろうにも、そのスタッフさんのLINEを知らない。
だから、連絡のしようがない。
果てさて、どうしようか?
とりあえず電気が復旧して、妹が夜勤から帰宅した。
妹はあっさりとこう言った。
「バス、今日、走ってるよ」と。
バスが走っているということは、作業所もやっているのか…?
私は恐る恐る外を見て見たら、バスが通っていない。
この時、気づいていなかった。
災害3日目が土曜日だということに。
そうなのだ。
バスの時刻表は土日祝のダイヤだということをすっかり失念していた。
私はなんだか可笑しくて、1人でゲラゲラと笑いたくなった。
「そうか、バス、走ってるんだ!
道南バス、凄いよね!」と拍手ボタンがあったら、押していることだろう。
とにかく、バスが走っている以上、作業所へは行かなくてはいけない。
私はバスに飛び乗った。
そのバスは隣町行きのバスで、地震が起きてから久しぶりのバスだった。
バスの混み具合は中々だった。
きっと、皆、買い物へいくのだろう。
とにかく、どこにも物が無い状態が続いていた。
「どこかに何かがあるだろう」
きっと、皆、そう思っていることだろう。
そして、私もその1人だった。
やがてバスに揺られて作業所へと着いた。
すると、作業所へ来ているのはいつものメンバー、私と友達のNさん(男性)と、Mちゃんだった。
事務所へ行って、無事をスタッフの皆さんと再確認。
私は少しだけホッとした。
だけど、いつものように時間が経っても他の利用者が来ない。
バスは来ているのにー。
すると、サービス管理責任者のYさんが「今日はここは避難所へ解放するから、出勤扱いにはなりませんよ」と。
なーんだ、来ても出勤扱いにはならなかったのだ。
でも、皆の無事を知ることが出来て、本当に良かった。
結局、上記の3人で10時半頃まで過ごして、帰宅することになった。
行き先が私と同じだったNさんと買い物へいくことにした。
この時の所持金は千円しかなかった(笑)
色々買い物をしていくと、まず、お店の中が暗いことに気づいた。
「節電モードです。ご協力ください」という張り紙が貼ってあった。
陳列棚の殆どが「カラ」だった。
私は愕然とした。
そうか。
私も災害女子の一人になったのか。
Nさんは、お母さんに頼まれたという洗剤をカゴに入れていた。
私もその特売の洗剤をカゴに入れた。
カゴに入れたものは次の通り。
「洗剤」「牛乳」(かろうじてありました)「麦茶の水出しパック」「サバの味噌煮缶」
このぐらいだったろうか?
豆腐は粗方品切れ、というか、在庫すらない状態で、野菜の棚は全滅。
とにかく、どの棚の商品もカラだった。
(続く)
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