2/2 キウイγ(ガンマ)は時計仕掛け KIWI γ IN CLOCKWORK | aya風呂

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ちょっとまた書いてみようかな(´u`)

公園のテント群を眺めながら読んだ一節で気づいた。
ちいさなナショナリズムにうんざりさせられていたんだ
しかるべき人に理解してもらえるだけで生きる気力が復活するのは読書の最大の効果だな。




「(略)子供のために犠牲になる親とか、親のために身を尽くす子供っていうのは、マスコミ的には、もの凄い美談ということになっているよね」
「自然界では、子供のために親が犠牲になるのは当たり前ですね」加部谷は言う。
「それは、子供がまだ小さいときだけね」西之園が発言した。「独り立ちしたら、もう無関係。でも小さいときには、とにかく、親は身を挺して我が子を守る。これは本能というか、つまり自分の血筋を絶やさないようにという、遺伝子保存のプログラムだけど」
「本能だとしたら、動物的ってことですよね?」山吹が言う。「つまり、自分の身を守る本能とまったく同レベルということになるわけだから、親が子供を守るのは、自分が自分を守る、つまりエゴと同じで、なにも美しいことじゃない。むしろ自己中というか、はしたないことといわれてもしかたがないレベルじゃないですか?」
「そうだよ」国枝が簡単に頷いた。「当たり前」
(略)
「自分で腹を切るのと同様に、自分の息子を切り捨てるのも、武士の名誉というか、権利の一つみたいに書いてあるの。自己主義と同じレベルというのは、そうかもしれない。偉くもなんともない、本能的なものと解釈するのが、それまでの考え方だと思う。でも、現代はそうじゃない感じね。子供を守る親は、不自然なくらい美化されている」

「だからモンスター・ペアレントなんてことになるのかな。あれも、単なるエゴですよね」山吹が言う。「親馬鹿っていう言葉があるくらい、かつてはたしなめられていたわけですよね。自己主張の激しい人と同じように、恥ずかしいものだって」