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大阪中之島美術館


みんなのまち大阪の肖像(2)

展示は第1章から第6章とテーマ別になっていて、

戦後から現代…未来へと繋がっています。


「前田藤四郎(1904-1990)」

タイトル【盛場近し】1951年(昭和26) /版画



「赤松麟作(1878-1953)」



展示物から過去の街並みを思い、

戦後復興を感じる内容で、

一つ一つじっくり見入ってしまいます。


「早川良雄(1917-2009)」

今見ても素敵な広告。

時代はめぐるってことなのでしょうか。


終戦からたったの5年でねぇ…ほぉ真顔

と思う百貨店のポスターです。

「サンマーセール」…

当時は「SUMMER」は「サンマー」だったんだなとも思ったり…。

「ハンマーカンマー」ってザコシショウさんの言葉が浮かんじゃう凝視


1970年に行われた大阪万博のポスターなども展示がありました!


展示物は割り振りされた数字を見たところ【282点】ほど。見応えがあります。





中でも面白い展示は
【温居さんちの中身/住宅を担うモダンデザインの大衆化】

時代は1975年
夫婦と2人の子どもの4人家族が、
大阪府豊中市 千里ニュータウンに
セキスイハウス平家一戸建てを新築。
という設定で、その自宅を公開。

玄関

あー、リッチなお家にお邪魔した時の印象。

我が家はこんな立派な玄関じゃなかったので、羨ましく思った記憶があります。




洗面所の蛇口のハンドル、洗面器の水色

ありましまねーーー!


なぜこの水色だったンだろう…。

当時は新しくお洒落だったのかな。



御手洗い

当時はまだ和式便器が多数派だったと思うので、モダンな御手洗いですよね?

1980年代ごろ洗浄便座が認知され始めたでしょうか。

実家はかなり早くからウォシュレットがありました。あなたのお宅はどうでしたか?



今や全自動の洗濯機事情。

二層式は汚れをみながらしっかり洗濯できる一方で、洗濯槽と脱水槽へ衣類を移動させる手間が…面倒だったなぁと思い出します。

洗濯洗剤も米俵みたく大きな袋で、計量カップくらいの大きな容器で1カップ以上とか必要でしたよね??



まだこの話し続きますけど…

ついてきてくれてます

飽きてきてます滝汗はてなマーク





まだまだ写真あるンです…あせる
反応が悪かったらここで止めておきますバイキンくん


to be continued…
知らんけど。

             六甲山からの眺め