あゝ…
ここでいう “自ら” は、末田耕一医師のいう
“権力の悪を自らの内部に取り込む”
プロセスを経た[自ら]です。つまり、
“無我の境地” で切り抜ける “struggle for existence”を「愛は戦い」と表現しており、これは、
[トラウマの連鎖]を終わらせる
[トラウマの成仏]と同じことです。
ところが、[愛]という表現は誤用が多いので、私腹を肥やす《アベ友》の[愛]に絡め取られ、Fawn反応を忖度と誤解した状態に陥り、
“Go native with a vengeance”
となると、[因習]のなかで潰えて行きます。
アベ友[カルト勢力]にヤられないようにしなければ、[T4]Akt. で[PTSD死]に追い込まれますよ。
añjali =ナマステ=合掌。
我が家のクソガキ愛唱歌:
でもね、オヤジは殺害されてしまった模様。
でもね、オヤジは殺害されてしまった模様。
リブログ元記事から末尾だけ転載:
北米診断基準「DSM-5」には、「精神科医につくられた記憶(トラウマ)」論争の後遺症で、ついに複雑性PTSDは採用されなかったが、
世界の難民キャンプで虐殺・レイプにさらされた無数の複雑性PTSD(症状は何でもあり)患者を目の当たりにした国連WHOが診断基準「ICD-11」に採用したのであって、
アメリカが複雑性PTSDを認めたわけではない。
皆さまも、お大事に。