”朝日新聞、ローマ法王ヒロシマ訪問の扱い小さい、河井克行首相補佐官” | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

に あ*=franoma より

『外来患者自殺で開業医有責、現場で高まる懸念』:日経メディカル
から抜粋:
医師、弁護士で浜松医科大学医療法学教授の大磯義一郎氏は、今回の判決が精神科の診療にマイナスの影響を与えることを危惧する。責任を問われることを懸念して、外来で希死念慮のある患者を診療することを避けるなど、現場が萎縮してしまうのではないかというのだ。過去の判例では、入院中の患者の自殺で病院の管理体制の不備などによる責任が認められたケースはあるが、外来患者が自殺した事例(9例)で責任が認められた例は、特殊な事例を除き、これまでなかったと指摘する。自殺リスクが高い外来患者に対し、主治医は入院措置などを講じる責任があることを初めて示した判決となった。

 最高裁での判断はまだ下されていないが、今回の控訴審判決は、精神科の開業医や、病院の外来で精神疾患を診る医師に対し、希死念慮のある患者を外来でどこまで診るか、外来で診る際、自殺リスクの高い患者にどう対応すべきか――という課題を投げ掛けた。

 大磯氏は「もし、今後、希死念慮の程度がスコア化され、『○点だから外来での診療を続けた』『△点なので緊急入院措置を取った』などと客観的に評価できるようになれば、今回のようなトラブル時に医師の判断の正当性を説明する材料にはなる」と語る。ただし、「精神医療の特殊性ゆえ、そういった客観的・機械的評価は困難とも考えられることから、もし、作成する際には、十分な議論が必要と思われる」とも指摘する。
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/201809/557808.html

「スコア化されれば…」というDSM的な発想では解決しない問題だと理解できないところがレイシスト杉山登志郎医師が君臨する浜松医科大学所属の精神科医だなぁ…と思います。
①患者が自害すると怖いから薬漬けにする。
②患者が他害すると怖いから、患者を射殺する特権が欲しい。
…という2つの精神科医の病理(=PTSD否認)は同じものです。

そのほかに、薬漬けも射殺も世間さまに受け入れてもらえないから
十日ほどの身体拘束でニュージーランド🇳🇿人青年を大和病院で死亡退院にする。
…という精神科医の解離行動=“acting out”=「行動化」 があります
ね。

①〜③どれもNGです。精神科医が解離しては困りますよね。

ところで、ドラゴン🐉さんの仰る “unconditional love” は、
「バカな子ほど可愛い」
と言い換えることができるかも知れませんよ。

“unconditional love” は、西洋では
「アガペー」ですが。東洋人であるアホン人には「cāritās と amor」の違いを理解せよ…と言っても時間と労力の無駄です。“cāritās” と違って “amor” は自己愛を含むことは、カトリック倫理では中学生の時に学ぶことではないかと思いますけど、上川陽子法務大臣は静岡の某女子校で一体、何を身につけたのでしょうか? ローマ法皇は、「PTSDの世紀」という観察事実を人類社会で共有する覚悟がありますよね。“the principle of charity” を外している「統一協会」&「家庭連合」はじめ「新興宗教」や「〇〇学会」では不可能なことです。「新興宗教」でも “the principle of charity” を外していなければ、「
普通に話し合い」ができますから「オウム真理教」などの社会問題を起こさないのです。「普通に話し合い」ができない野田和子さんはじめ公認心理師システムの構築&運用に集結しつつある人々は、“the principle of charity” を外していますから困りますね。

 に あ*=franoma より

cyclic existence

 – saṃsāra 輪廻(りんね)

《往因縁》————
ⅰ 無明
avidyā
ignorance (← gnōscere の反対)

ⅱ 行
saṃskāra
mental formations

《現果》—————
ⅲ 識
vijñāna
consciousness

ⅳ 名色
nāma-rūpa
name & form / mind & matter

ⅴ 六処 / 六入
saḍāyatan
the six senses

ⅵ 触
sparśa
contact

ⅶ 受
vedanā
feeling

《現因縁》present causes
ⅷ 愛
tṛṣṇā
craving (←《アガペー》ではない)

ⅸ 取
upādāna
attachment / grasping 

ⅹ 有
bhava
becoming (生存:命あっての物種)

《未来果》future effect
ⅺ 生
jāty
birth

ⅻ 老死
jarāmarana
aging & death
…で、ⅰ に戻ります。《未来果》がなく終わるケースを《PTSD死》と呼ぶ…という説明(← 子々孫々、平穏死を繋いでいけないから人類滅亡に加担する結果を招くのがPTSD死。「自裁死」などという表現で誤魔化してはNG)と言えば、伝わるでしょうか?

サンスクリット
saṃskṛta
という表記は、
京都・ハーバード方式 – Wikipedia
https://bit.ly/2rPElPt

rūpaとは – コトバンク
https://bit.ly/2R8cZ5v

【五蘊】より

…生命的存在である〈有情(うじよう)〉を構成する五つの要素すなわち,色(しき),受(じゆ),想(そう),行(ぎよう),識(しき)の五つをいう。このうち色(ルーパrūpa)には,肉体を構成する五つの感覚器官(五根)と,それら感覚器官の五つの対象(五境)と,および行為の潜在的な残気(無表色(むひようしき))とが含まれる。受(ベーダナーvedanā)とは,苦,楽,不苦不楽の三つの感受作用をいう。…
【色】より

…仏教用語で物質のこと。物質を表すのに仏教ではサンスクリット語でルーパrūpaという語を用いるが,この語は色と漢訳される。物質といっても現代でいう原子・分子からなる事物を意味するのではない。…
※「rūpa」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 

__《PTSD死》の説明__

Q:トラウマを成仏させる=心的構造が変化した状態と想像するのですが、それがどういう状態なのかがイマイチ理解出来ません……

A:《皆》が「トラウマを成仏させる=心的構造が変化した状態」に達すれば、PTSD死をせずに済み、子々孫々、平穏死を繋いでいくことができる…ということです。ここでいう《皆》=世界人権宣言を共有する《人類共同体》メンバーです。

ヘルシンキ宣言を骨抜きにして《精神外科》系の実験動物として日系男児を利用する流れに抵抗する必要があります。

関連コメント:
『我々が社会や人生に対して期待や要求するものなどについてとか』へのコメント
| 山口透析テツ日記
https://ameblo.jp/tousekitetsu/comment-12425289077/
《何かを期待される者として自分を捉え直すことでしか人は生き存えない》
というのは、以下のように言い換えられないでしょうか。

いかに過酷な状況に陥れられても「全人的な状態の保全」を自ら手放してはダメです。それでは生き存えることはできませんから。

収容所における過酷な日々を取り敢えずクリスマスまで耐え抜いた…その実体験を《なかったことにする》ことなく “non-objective” に捉える収容所の外にいる(世界人権宣言を共有する)《人類共同体》メンバーと共有する…その日を皆で待つ《希望》を捨てない。

世界人権宣言を共有する《人類共同体》のなかで《生き証人》たることを期待される者として自分を捉え直す
≒当人の《観察主体》を手放させようとする権力の走狗と妥協しない。

当人の《観察主体》を手放させようとする権力の走狗とは、「なんちゃってラポール」の「専門家」(← 精神科医や心理職)を指します。《観察主体》を手放させようとする権力の走狗に従ってしまえば、単なる《客体》として精神外科の実験動物にされますよ。それをやろうとしているのが日本では(思想的な潮流としては)731部隊の流れを汲む人々と言えるでしょう。ヘルシンキ宣言を誠実に真摯に捉えると、「被験者の全人的な状態の保全」つまり “integrity of research subjects” は保障できないので、精神外科の研究は不可能になります。そこで、ヘルシンキ宣言を共有せず、「ヘルシンキ宣言の精神を共有するとして条文の一つひとつには拘泥しない」ことにしよう…という《ヘルシンキ宣言の骨抜き》を狙っている連中が西洋白人&名誉白人になりたい黄色いサル日本人には存在するようです。まるでナチス=T4精神科医=PTSD否認のレイシストのようです。

いかに過酷な状況に陥れられても「全人的な状態の保全」を自ら手放してはダメです。それでは生き存えることはできませんから。
2018/12/12 05:42:03


リブログ元記事から抜粋:
オバマ大統領ヒロシマ訪問の際に「PTSDの原点(香山リカ・毎日新聞)」の広島原爆PTSDの世界で1人だけ残った研究者である私を隠蔽した安倍晋三と河井克行首相補佐官。 

河井克行は私の広島学院中学高校の同級生である。 

広島学院は中高一貫、途中編入無し、一学年160人であり、カトリックのイエズス会が広島原爆投下の鎮魂のために設立した学校である。 

河井克行は私の広島原爆PTSD研究を否認したまま、2016年2017年、バチカンに法王招致のため派遣されている。


私は自著を日本カトリック代表・広島学院OB・上智大学理事長の高祖敏明氏に贈呈した。

金吉晴の長崎原爆PTSD調査も 


飛鳥井望と秋葉忠利前広島市長の広島原爆(山間部黒い雨)PTSD調査も 


共産党精神科医の中沢正夫の広島原爆PTSD本も 

痕跡も残さず消えた
世界のPTSD研究の中心(広島原爆PTSD)は空洞のまま「予算4800億円」「PTSDのロボトミー研究」へ

詳しくは、元記事:
をご覧ください。


皆さまも、お大事に。