”小1道徳教材「二わのことり」教科書の違い” | あ~どうしたものか

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社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

原典に当たらないでも、教材の比較検討をするだけで、現在、文科省のいう「道徳」とは「専ら道を説く」本来の道徳ではない(世にいう)「道徳」でしかないことが判明したわけですね。
世にいう「道徳」は、漱石が書いたとおり
「道徳は習慣だ。強者に都合よきものが道徳の形にあらはれる」
というだけのものです。それとは対照的に、本来の道徳は「専ら道を説く」ものです。「〇〇道」という
身体知(=somatic intelligence)を含めた形で日本文化を形成してきたのが日本人です。

教材の比較検討から判ったことは、文学作品を教科書編纂者が勝手に改竄して、お子さまの心理操作をする強者に都合よき「道徳」教材に仕立てあげた…というわけですね。これでは、
①授業計画は、誘導尋問のような発問
②テストも授業中の誘導尋問に沿った内容
③…という心理操作に誘導された児童を高く評価
そういう流れになってしまいそうです(←現象学的な観察)。

文学作品を教科書編纂者が勝手に改竄しなければ、お子さまは各人の観察主体そのままに(年齢的に難しいから)「わかんない」で終わる場合でも何かしら心に残るものがあり、後々、あはは🤣誤読していた〜と気づいたりすることも含めて人生経験の一部になるでしょう。…というだけなら国語教育ですよね。

①授業計画は、誘導尋問のような発問
②テストも授業中の誘導尋問に沿った内容
③…という心理操作に誘導された児童を高く評価というように
「心理操作で誘導する」
=「子どもは飼いならす」として
お子さまの自己形成の自由と権利を蹂躙するために
教育基本法を骨抜きにした第一次安倍内閣の罪は大きいと言えます。

お子さまの自己形成の自由と権利を保障しようとしないと、当人が当人らしい(=当人の
セルフに適応する方向で)観察主体を育てることは不可能ですよね、初めからお子さまは大人(=「権力の悪を自分の内部に取り込んだ」人©︎末田耕一)に都合のいい心理操作をする「道徳」教材を作成するとは…道徳の名に値するものではありません。本来の道徳とは「専ら道を説く」ものであり、心理操作をすることではないからです。

心理操作による誘導で当人が当人らしい(=当人のセルフに適応する方向で)
観察主体を育てることを邪魔することは、教育と称してお子さまに嫌がらせをする行為であり、基本的人権の蹂躙です。第一次安倍内閣による教育基本法の骨抜きで打ち出された「子どもは飼いならす」流れです。

「専ら道を説く」本来の道徳ではない(世にいう)「道徳」は、漱石が書いたとおり
「道徳は習慣だ。強者に都合よきものが道徳の形にあらはれる」
というだけのものになってしまいます。習慣を構成しているのは集合的無意識であり、それ自体には善悪はありません。例えば「お正月をめでたい」と感じるのは、良いことか悪いことか論じても意味がないものです。「お正月をめでたいと感じる」ことそれ自体は「強者に都合よきもの」というわけでもありませんよね。
②集合的無意識の無思想に振り回されて排外主義に陥ること
この二者は別々のことであり、後者だけを止めることがポイントです。しかし、お子さまの自己形成の自由と権利を蹂躙するアベ政治の下では不可能なことです。困ったことです。アベ政治では集合的無意識に守られないようにされてしまうからこそ、①真っ直ぐ土手の上を走ってしまい、何かあると川に落っこちてしまうし、②不安が煽られた結果、集合的無意識の無思想に振り回されて排外主義に陥り、嫌中とか嫌韓とかを育成してしまいますね。そういうのは良くないというと「反日サヨク」扱いや「人の気持ちが解らないアスペ」ラベリングをされて、突撃SS隊員みたいな心理職が生活現場に突撃してきます。全部がアベ政治の所為です。


関連コメント:
「理系バカ」タイプの「セルフへの適応」について、
『神戸三宮繁華街で組事務所にもダンプ突っ込みPTSD解離暴走負の連鎖中』
 | 翠雨PTSD予防&治療研究所
に、以下のコメントを投稿しました。

2018年9月4日 13:02 に あ*=franoma より

「適応論」ということで、こちらに書きます。

「適応論に堕する」という表現がどうも伝わらない…「適応して何が悪い」と言われてしまいますし、河合隼雄先生が考えたようにはスクールカウンセラーが機能しない現象の認識も理解も共有できません。未成年&生業に就く前の「モラトリアム」の意味についても合意形成が進まないでしょう。

http://xn--98jxbh17co03s7oeww0eymj.jp/nougyou-181
「農業っていう、普通のサラリーマンではない道というのは当然不安もあったわけですが、もともと社会不適合の僕にとってはどんな道だろうと関係はなかった。笑」
と書いている御仁がおわしました。ここでいう「社会不適合」≒セルフへの適合を模索して上手にもがいた “struggle for existence” ですね。

“struggle for existence” site:.ptsd.red
– Google 検索
https://bit.ly/2NFF6Uu

徹底して役作りをなさっていた清水富美加さんが『東京喰種トーキョーグール』実写版のために生きたハエを食べる…という「適応」を目指す強烈なセルフネグレクト受容の末に「ぺふぺふ病」(=離人症)になってしまい、社会において「病者の役割」を担うほうが良い状態になり…というのを思い出します。

エジソンは、観察主体を手放させようとする類の強烈なセルフネグレクト受容は強いられていないわけです。
保健学の先生が
Q:”エジソンが「メンタルに問題がある」と言われても、健康で生産的な人生を歩めた理由とは?”
という問いを出されたので、私は、
A:観察主体を手放さなかったから。
という答えを書きました。
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12393733814.html

↓コメレスは元記事でご覧ください。

富良野まりえ (@franoma)

『般若心経と「予算4800億円」「ロボトミー・コンピューター研究」』 | 精神科医ブログ、長崎広島原爆・福島原発放射能、第二次大戦、児童虐待・DV・レイプの遅発性晩発性複雑性PTSDの心理・薬物療法完全融合
https://ameblo.jp/phantom-nightmare/entry-12402763336.html
「この年まで般若心経の内容を知らなかった」おもろいオッチャン…
https://twitter.com/franoma/status/1037160949117906944

かず(❁´ω`❁)京都大作戦 (@krkrkzn)

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