命を差し出す義務は誰にもない。 | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

他所さまのブログ記事
http://ameblo.jp/minshushugi/entry-12008070302.html
にコメントしようとしたら長大になったので、記事にしておくことにしました。

コメントタイトル:
命を差し出す義務はない。
コメント内容:
国籍がどうあれ、人は世界人権宣言にいう基本的人権を持ち、命を差し出す義務はありません。それに加えて日本の国内法では国民には勤労の権利と義務はありますが、命を差し出す義務はありません。

したがって、ガンジーに倣って生きようとする日本人が、アマルティア・センのようなアングロサクソン系エリートの決めた「適応論」に従って「労働市場」に参加しない「アスペ」だからと言って、「間引き」する権利が国家権力にあるかというと、そういうことはないということです。つまり「アスペ」は「精神障害」でさえないのです。それを精神障害ということにして人格権と生存権を蹂躙することは、教育でも医療でもありません。人種差別のバリエーションにすぎません。

一方、「たくさん稼いでも性格上貯蓄ができないのも障碍者と同じ事」というのは、「貯蓄」とは必ずしも「現ナマ」ではないということに注意しないと、銀行への貯蓄よりも何かへの投資や人間関係や地域環境など社会資本の形成を優先する人がいた場合、「障害者」扱いになってしまい、これまた変な話になります。

そうではなく単なる消費活動依存症(浪費癖)で貯蓄できない場合は、PTSD症状のひとつだから「精神障害」と言えますが、だからと言って、
触法精神障害=加害者としてのPTSD
でないかぎりは、その人の人格権や生存権をどうこうして良いことにはなりません。浪費癖(=PTSDの一形態)の場合、お金を回すという「社会貢献」さえしているので、江戸時代みたいに「倹約令」で取り締まることさえ間違いです。

本人がそうした依存症で社会生活を破綻させてしまうケースにかぎり、他者による介入が認められるでしょう。まずは、本人にとって最も小さい単位の社会は家族です。お金の使い方について家計を同じくする人たちとの間で、互いに互いの人格権と生存権を守り合うように、家裁の家事調停で合意を形成することになるでしょう。合意が形成できなければ、離婚して差し押さえ、破産(事業の清算)、そのあと再出発できない精神障害(たとえば人が根拠なく信用できないから就職も起業もできないなどの)状態であれば、精神障害の間は社会的に保護されるべきでしょう。

触法精神障害=加害者としてのPTSDだけは、鑑別診断が必要で、被害者には逃げる権利があるのです。犯罪被害者が犯罪者に命を差し出す義務はありませんから。

安倍政権は、「国のために死ね」というので、既に触法精神障害=加害者としてのPTSD(domestic violence 国内暴力)オヤジ状態です。国民は、国のために死ぬ義務はなく、命までは取らずに勤労すれば取りあえずは食わせてくれる中国人のところに養子に行ったら良いのではないかと思いますよ。将来がある若い人には、私はそういう選択肢もあると提案します。

プーチンさんは、ウクライナに対して、ロシアはウクライナ人民がどのような目に遭ってきたかの経緯を隠蔽しないし、ロシア国民になったあとも差別しないし、見捨てないことを明言したので、ウクライナの庶民はロシアに「併合」されることを選んだでしょう。目先の現ナマに目が眩んでEU側に取り込まれてしまえば、そうなった(CIA陰謀の)経緯を隠蔽され、EU市民としては後から入ってきた元ロシア人として差別されるし、資本主義だからと「自助努力」で何ともならないなら見捨てる…ということがギリシャの先例によって既に示されているので、普通の人ならEU市民になりたいとは、もう思いませんね。EU側になりたいのは大金持ちだけです。

註)このケースの考察からも、PTSD予防&克服には「隠蔽しない、差別しない、見捨てない」ということがポイントだと判ります。

安倍政権は、「国のために死ね」というので、既に触法精神障害=加害者としてのPTSD(domestic violence 国内暴力)オヤジ状態ゆえ、さっさと総辞職したほうが良いのです。そうでないと、末代までの名折れになるでしょう。我々日本人の多数派は、アマルティア・センのようなエリート主義は嫌いで、ガンジーの流れをくむ国連国際家族農業年のほうが性に合っているし、孟子の「王道」「仁義」を重んじる人が今でも多数派なので、カジノ特区などには賛成できないでしょう。
「大切なものは決してお金に換えてはいけない」(©宇沢弘文)
と感じる人が多数派だからです。そこに拘ると、「柔軟性がない」などと非難して「アスペ」として抹殺するのがアングロサクソンの妄想性障害による「発達障害」診断なのです。


皆さまも、お大事に。