美味しい鰻を食べるとよく思い出す人がいます。
私が高校卒業から2年間勤めていた会社の先輩Yさんです。
Yさんは日頃から私のことを「妹みたい」と可愛がってくれていて、私が寝坊してお弁当を作って行けなかった時にランチをご馳走してくれたり、彼氏と上手くいっていないときには相談に乗ってくれたり愚痴を聞いてくれたりしていました。
そして私が退職することになった時、同じ部署の人たちが送別会を開いてくれたのですが、Yさんは家の都合で参加できなかったので、個人的に送別会をしてくれると言って、後日食事に誘ってくれました。
Yさんは、横浜で一番美味しい鰻を食べさせてくれると言って、いかにも高そうな鰻屋さんに連れて行ってくれて、鰻重の他にも単品のお料理を色々と食べさせてくれました。
鰻屋さんを出るとYさんは「二次会に行こう」と言って、お洒落なバーに連れて行ってくれました。
バーのカウンターに座るとYさんは、私に飲ませたいカクテルがあると言って、バーテンさんに「アレ作って」と、常連感を出して注文しました。
バーテンさんは私の目の前でシェイカーを振って、可愛いグラスに綺麗な薄紫色のカクテルを注いでくれました。
ブルームーンという名前の、甘い香りのフルーティーで飲みやすいカクテルだったので、グイグイと、あっという間に数杯飲めてしまいました。
鰻屋さんでもビールと日本酒を飲んでいたのでさすがにほろ酔いになってきた頃、Yさんは別れたばかりの私の彼の話を始めました。
当時私は5年付き合った初めての彼と別れたばかりで、かなり引きずっていたのです。
「初めての彼と長く付き合いすぎたのがよくなかったんだよ。真面目すぎるんだよ。少しは他の男と遊んでみたら?」
と、Yさんは他の男と遊ぶことを勧めてきました。
「そうなのかなぁ…。でも好きでもない人と遊びたくないし」
と渋る私に、
「前の彼は同級生でしょ?もっと年上の大人の男の人と遊んでみたら?例えば会社の先輩とか。もう会社辞めたんだから問題ないし」
と勧めてきました。私は会社の男性の先輩を何人か思い浮かべましたが、誰一人恋愛対象として見れる人がいなかったし、この話を終わらせたかったので適当に、
「そうだね。遊んでみる」
と言って話題を変えました。
しばらくバーで飲んだあと、今度はカラオケに行きました。
自動延長のお店だったのかYさんが勝手に延長していたのか最初からフリータイムだったのか分かりませんが、気付くと終電の時間を過ぎていました。
私は「このまま始発まで歌ってればいっか」と思い、特に何も言わずにいたのですが、しばらくするとYさんに「そろそろ出よう」と言われました。
タクシーで送ってくれるのかな?と思って言われるままにカラオケボックスを出ると、Yさんは駅とは反対方向に歩き始めました。
私の家もYさんの家も駅とは反対方向だったので、少しでもタクシー代を安くする作戦かな?と思い、私はYさんにと一緒に歩いて行きました。
気付くと1軒のラブホテルの前にいました。
「飲み過ぎちゃったし疲れたから泊まっていこう」
Yさんは言いました。
「それは無理です」
「さっき、他の男と遊んでみるって言ったじゃん」
「え?」
「俺が相手になるよ。俺だったら妻子もいるから後腐れないし」
Yさんは私より一回りぐらい年上の、当時30代前半で二人の子供がいる既婚者で、純日本人だけどラテン系の濃い顔で、今で言うチャラ男っぽい感じの人でした。
それでも、日頃から私のことを「妹みたいで女として見れない」とか「お前は色気がないから、もしお前が裸で寝ててもまたいで通るよ」とか言っていたので、安心しきっていたのです。
鰻を食べたのはこのためだったのか?
ブルームーンを何杯も飲ませたのも酔わせるため?
バーでの話は今夜自分とやろうっていう意味だったの?
そういえば、最近家の鍵を無くしたって話もしてたな。
下の子がまだ1歳になっていなくて寝かしつけが大変だから、夜遅くに帰って起こしちゃうぐらいなら朝帰って来てくれって奥さんに言われてるとも言ってたな。
バーでブルームーンを何杯か飲ませたら私が酔うと思ったら、思いの外私がお酒が強かったからカラオケボックスに行って安いサワーを何杯も飲ませたのか。
この日Yさんと待ち合わせをしてからのこの6~7時間は全部ホテルに誘うためで、会話も全部伏線だったのか…。
同じ会社にいたら手を出せないけど、もう辞めたから関係ないってことか。
このとき初めて大人の男って怖いなと思いました。
それでも、2年間お世話になっていたし、この日もいっぱいご馳走になったし、あまりキツく断ることもできず、ラブホテルの前で小一時間押し問答を続けていると、隣のラブホテルの前でタクシーが停まりカップルが降りて空車になったので、私はすかさずそのタクシーを呼んで、
「すいません。やっぱりどうしても無理です。今日はご馳走様でした。帰ります」
と言ってタクシーに乗ろうとすると、Yさんは、
「分かった、じゃあ送ってく」
と言って私を止めて先にタクシーに乗りました。
なんだか気まずくて会話もないままYさんの家より手前の私の家に着き、
「今日はご馳走様でした」
と言ってタクシーを降りようとすると、
「ごめん、2000円だけタクシー代もらっていい?もう金なくて…」
と言われました。
ラブホ代どうするつもりだったんだよ…。ラブホ代は出せるけどタクシー代は出せないってことか…。
と思いつつ、仕方ないので2000円を渡してタクシーを降りしばらく見送っていると、少し進んだタクシーが停まってYさんが降りてこっちに歩いてきました。
「やっぱりこの時間には帰れないから泊めてくれない?」
Yさんは懲りずに今度は私の家に上がり込もうとしました。
当時私は一人暮らしをしていたのです。
「何もしないから。さっきも話したけど夜中に帰るぐらいなら朝帰ってこいって言われてるからさ」
「いや、家に泊めるのは無理です」
「何もしないから。玄関でいいから」
Yさんは食い下がってきました。
「家に入れるわけにはいかないです」
「助けると思って。お願い」
「朝まで帰れないんだったら、この先に24時間のファミレスがあるからそこで時間つぶしたらどうですか?」
「そんなこと言わないでちょっと横にならせてよ。もう疲れたし何も出来ないよ」
「無理です。だったら一緒にファミレス行きますか?付き合いますよ」
「じゃあその前に水一杯飲ませてよ」
ラブホの次は私の家の前で小一時間の押し問答になりました。
すると最終的にYさんは、
「お前がこんなに頑固だとは思わなかったよ。しかも酒も強いし。ブルームーンをあんなに飲んで酔わなかった女は初めてだよ」
と吐くように言って、隣駅の自宅までとぼとぼと歩いて帰りました。
深夜3時近くになっていました。
あのバーでブルームーンを飲ませて何人もの女の子を酔わせてたんだね。
後で調べたらブルームーンはかなり強いカクテルで、アルコールが25度とかあるらしいです。
私は既に退職した後だったので、その後Yさんとは連絡もしていないし会ってもいません。
恐らくもう還暦を迎えていると思うけど、今頃どうしてるんだろうなぁ…。
別に会いたくはないけど。