11/23(木・祝)にDaryl Hall&The Daryl’s House Bandの来日公演を東京ガーデンシアターへ家族と連れ立って観に行った。

今年は諸々慌ただしい一年で、自身の肉体的、精神的状態も芳しくなく鬱々としていた。

小春日和と呼んでもよい程の晴天に恵まれ、しばし久しぶりの外タレのライヴを堪能させてもらった。

自宅に籠って日々仕事をこなしているので、都内ジャズスクールの稼働を終了してからというもの、東京へ出る機会はめっきり減ってきている。

心源性脳塞栓症治療後の後遺症の脚の痙縮の痛みを抱えつつ、久々の東京散歩とライヴ。

高まる期待を抑えられそうにない、ワクワクする気持ち。

オープニングアクト(前座)が急遽追加され、スタート時間がかなり早い時間帯(17:00開演)に移動された。

前座は目当てではないアーティスト(東京五輪で物議を醸した人物)、正直食指の動く対象ではなかったのだが、物見遊山気分で眺めていた。

激しいノイズと照明の嵐。

音楽としては承服しかねる程、正直辛かった。

ステージングに愛がないと感じたのは私だけではなかった筈だ。

山下達郎のジャニーズ問題に対する態度を受けての発言や、山崎まさよしのライヴステージでの「歌はCDで聴いて」発言等、心無い尊大な歌い手のアティチュードが大嫌いだ。

インスタレーション的な映像が素晴らしかっただけに非常に残念だ。

 

今日のメインディッシュはBlue Eyed Soul、しかもフィラデルフィア・ソウルのDaryl Hallとゲストアーティスト(この人こそアーティストの称号が似合う人もそうそう居ない)Todd Rundgrenである。

私の音楽の根っこ、大好物のソウル系アーティスト。

最高のシンガー/コンポーザーのコンビが織りなすステージの開幕。

いやが上にも高鳴る鼓動。

 

18:15。

先ずはTodd Rundgrenの登場。

【セットリスト】

1.Real Man

2.Love Of The Common Man

3.It Wouldn't Have Made Any Difference

4.We Gotta Get You A Woman

5.Baffalo Grass

6.I Saw The Light(瞳の中の愛)

7.Black Maria

8.Unloved Children

9.Hello It's me

10.Sometimes I Don't Know What To Feel

11.I'm So Proud(Curtis Mayfield)~Ooh Baby Baby(Smokey Robinson)~I want       You(Marvin Gaye)※メドレー

12.The Want Of A Nail(Bobby Womack)

 

【収録アルバム】

Initiation(太陽神) - 1975

1

Faithful - 1976

2

Something Anything - 1972

3.6.7.9

Runt - 1970

4

One Long Year - 2000

5

Nearly Human - 1989

8.12

A Wizard' True Star(魔法使いは真実のスター) - 1973

10.11

 

とToddらしく音の魔術師状態。

年代問わずアルバムからセットリストを固めるのにきっと時間を要したに違いない。

 

Real Manからスタート。

濃密な音世界で構築されていたアルバムでの音は、ライヴ向けにシェイプされている。

個人的な予測ではキラーチューンとして特に知られた「I SawThe Light」若しくは「Hallo It's Me」をオープニングに持ち込むかと考えていたが、そこは流石の名プロデューサーのTodd、私同様に想像していた観客の期待を嬉しく裏切ってくれる。

キャリアも去ることながら、30作を超えるアルバムを発表し、わが国のアーティストのプロデュースも含め職人の極み、才能の枯渇を知らぬ天才ぶり。

正しくToddこそが魔法使いなのだろう。

特に白眉だったのが⑪のI'm So Proudからつながるメドレーであった。

アルバムではI'm So Proud~Ooh Baby Baby~Lala Means I Love You~Cool Jerkの流れのはずが、三曲目がI Wont Youで完結するものにすげ替えられていた。

個人的にはLala Means I Love Youを聴きたかった。

このメドレーは正に鳥肌物の佳曲のチェーンだった。

6.9のバブルガムポップチューンはファンならではの垂涎のナンバー。

Toddのステージの開始が18:15からで約一時間20分の尺だった。

 

19:35

ほぼ開始がオンタイムでのDarylのステージ。

 

【セットリスト】

1.Dream Time

2.Foolish Pride

3.Out Of Touch

4.Say It Isn't So

5.I'm In A philly Mood

6.Every Time You Go Away

7.Babs And Babs

8.Here Comes The Rain Again

9.Sara Smile

10.I Can't Go For That(No Can Do)

11.Wait For Me

12.Can We Still Be Friend(友達でいさせて)

13.Didn't I(Blow Your Mind This Time)

14.Private Eyes

 

 

【収録アルバム】

Dream Time - 1986

1

Three Hearts In The Happy Ending Machine

2

Big Bum Boom - 1984

3

Rock'Soul Part1 - 1983

4

Soul Alone - 1993

5

Voices - 1980

6

Sacred Song - 1980

7

Paint a Rumour(Eurythmics) - 1984

8(Cover)

Daryl Hall&John Oates - 1975

9

Private Eyes - 1981

10.13

Hermit Of Mink Hollow(Todd Rundgren) - 1978

12

The Delfonics(The Delfonics) - 1969

13

X-Static - 1979

11.14

 

 

1はZardが「負けないで」でアレンジをパクった曲としてネタバレしたポップチューン。

Blue Eyed Soulの範疇を軽く飛び越したポップのお手本。

バックバンドのコーラスワークが光る。

The Daryl’s House Bandの凄みはバンドメンバーが全て「ア~ウ~関係のコーラス」含め難なくこなすことの出来るメンバー揃いだってこと。

安定したプレイを堪能した。

4は私がDarylの曲の中でも一番のお気に入り。

その浮遊感は冬の縁側に布団を干して寝転んで、その香りを楽しんでいるようなイメージ。

犬の肉球のにおいって、縁側に干している布団のお日様のにおいがするよね?

そう感じませんか?

懐かしく幸せなにおい。

11~13はToddが合流して二人での競演。

Wait For Meのスタジオバージョンは、名匠David Fosterアレンジによる流麗なリード・ギターのイントロが演奏されているのだが、ライブバージョンはしっとりとDarylのピアノの導入部。

このコーナーは互いにフェイクを交えて歌い込む。

歌の心得のある人だったら、「こんな流れのフレーズだったら気持ち良くアドリブで歌えるな」と感じるフレージングを捻り出してくる。

特に声帯を柔らかく扱えるファルセットを多用した華やいだフレージングは素晴らしい。

二人とも加齢に伴う声のハスキーさも感じられたが(時にピッチの不安定さも)、それも味として受け止められよう。

カラオケ精密採点機を行使している訳ではないので、そこは音楽評論家の如く突っ込むべき所ではないだろう。

Blue Eyed Soulの醍醐味を感じさせてくれるステージ。

アンコールはPrivate Eyes。

「Private Eyes パン! Watching You パ!パン!」と観客一体で合いの手を入れ盛り上がる。

かくしてスペシャルゲストを交えた豪華ライヴは21:00手前で終演した。

 

兎に角、長丁場のお腹いっぱいたらふく堪能したライヴだった。

この満足感をオカズに駆け付け三杯は軽くイケる。

そんな充実感だった。

同行した家族達も私が心酔した素晴らしい音楽に触れる体験が出来、喜んでいた。

音楽は時間を消費しながら作られ、聴かれ熟成する。

私も彼等と同じにもう長い間音楽の海に浸り切っている。

これからも。

「Can We Still Be Friend」。

まだまだ友達で居させて。

時の流れに溺れないように。

 

私の母は大した事も無い物を大切に保管していた。


死後に発見した過去の「家計簿」には、その日その日の家族の記録が克明に遺されていた。


父と夫婦喧嘩して口も利かなかった日の記録も遺されていた。


私が人様とトラブルを起こして、問題になった日。


私が誕生日に贈った贈り物の記録も。


それを手に取り私が号泣してしまったあの日。


嬉しい事、悲しい事、思い出は全て家計簿の隙間に記してあった。


私もスケジュール帳に母の習慣同様に日々の出来事をしたためている。


そしてその習慣は明日も続く。

2023年6/23(金)

Mötörの執筆による第三作目の作品がMangabito社様より出版されました。
「となりのUMA・おっかな面白い未確認生物(時々妖怪)の世界」です。

今回のテーマは何と「未確認生物=UMA」です!!
著者本人の怪奇体験やエピソードも加えてあります。

これからの季節、涼を求める方にはうってつけです!!

皆様がお手に取り楽しめる作品になっている事と存じます!!
是非、お目汚し下さいませ。

(Amazon楽天ブックス紀伊国屋書店等大手出版社にて好評発売中!!)

 

お問い合わせは

 

 

まで!!

第三回 【ふたり語り】「空也上人がいた」

 

第三回 【ふたり語り】がカナマチプラットで開催されます。
13:00~/15:30~(二回公演)です。

山田太一:原作 

西村知泰(文学座):演出

によるドラマ・リーディング「空也上人がいた」


出演:岩間太郎・戸張きみよ(劇団プラチナネクスト) 特別出演:杉宮匡紀(文学座) 
協力:窪塚晴美 シンセサイザー演奏:竹内裕子

劇中曲は当スクールポピュラーピアノ・キーボード科講師竹内裕子による書き下ろしのオリジナル曲です。

尚、前日5/25(木)は公開ゲネプロも行われます。

 

お問い合わせは

 

 

まで!!

 

追悼の灯

 

四十九日がGW中日だったので、導師様が遠方より足を運ばれる手前、四十九日の法要を先月23(日)に執り行った。

法要は家族が一同に会することができる日曜日に行う事が前提だった。

そして、法要は四十九日過ぎてから行うのは、供養の点で好ましくないらしく、前倒しになった。

当日は初夏を思わせるほどのお天気。

 

僧侶の方の「説教」はとても趣の深いものであった。

年小のお子様が学校の国語のテストで「お月見・お団子。この言葉から連想される三文字の言葉を書きなさい。」という設問に対して「うさぎ」と回答したそうで、何故かこの答えが不正解として扱われ、先生が答えて曰く何と「食べる」だったそうだ。

文章としてのつながりだけを想定して出題されたのだろうか?

バツ印をもらった解答用紙を持ち帰り奥様と年長のお子様にも同じ質問を導師様よりしてみた所、奥様は「すすき」お子様は「供える」だったそう。

先生の考える「文章のつながり」だけを求めるとしたら、年長のお子様の答えも合点のいく答えとなる。

経済効果だけを求め、狂った偏差値教育に走り過ぎた我が国の文科省。

情操を大人達が育まなくて誰に頼る!?

感情の振り巾によって1+1が2.1になったり、1.9になったりするのが芸術の感動といったものにつながる。

円周率が3.14から今や3とされてしまった現代。

これがミクロからマクロへと拡大されたらどんな答えになるのか空恐ろしい。

その誤差が今の政治や学問に適用されてしまった。

もう後戻りできない所まで重症化してしまっている。

学校教育に対して以前から少なからず限界と絶望を日々感じていた私にも良い問題提議になった。

導師様も同じ疑問と怒りを私と共にしていたはずである。

教育の現場は戦場である。

だからこそ、若い世代、子供達には「安らぎ」を与えて欲しい。

想像する自由の翼を。

 

父は幽界を離れ、霊界へと赴く。

今日は記念日。

納棺の時に家族で着けてあげた死装束姿で先立った家族に再会しに行く。

 

皆様には信じられないかもしれないが、本当に四十九日は存在する。

 

私が母を亡くした時に出会った、近所のペットの健康食品のお店の方は、その世界にはかなり堪能と申しますか「解る方」だったので、時折相談しにお店へお邪魔していた。

当時はまだペットを転居先で飼っていなかったにも関わらず、私も図々しいものだ。

母を亡くした後、半年も過ぎ、私は怪異現象の連続で疲弊していた。

過労ではなく、明らかに心霊現象としか捉えようがない状況に追い込まれた。

このままでは憑り込まれると思い、流石に恐ろしくなり、ペットのお店へ手土産の「桃」を持って相談しに向かった。

儲け話には無縁の方で「気持ち」を大切に生きている方らしく、私の住まいの市町村へ引っ越し商いをするよう「神のお告げ」を守り、営団地下鉄の仕事を辞め、ペットも「医食同源」が一番大切と考え、お店を開いたそうだ。

一応私の居宅方面は風水都市らしく悪い場所ではないらしい。

 

大分お話は長くなりますが、最後までご読了下さいませ。

私が「ごめん下さい~」と店のドアを開けて入ると、オーナーは慌てた様子で「どうしたの?」

と椅子に腰掛けさせた。

そして店のバックヤードへ急いで駆け込み、墨汁と硯と塩を目の前のテーブルへ置いた。

「書道大会でも始まるん?」と思ったがそうではなかった。

先ず、硯に墨汁を注ぎ、その脇に塩をぶちまけた。

すかさず私に向かってしばらくじっと手を合わせるオーナー。

「良かったね。何かおかしな事があったでしょ?」

と訊かれ色々とあった不思議体験の連続を語った。

「全員に上がってもらったから」と。

私「?????」。

「男が六人女が同じ数憑いてた」。

慌てふためく私。

姿形がはっきりと見えるわけではなくて、おぼろげながら影の如く見えるらしい。

「でも本当は除霊ってやっちゃいけない行為なんだよね」と。

オーナー曰く除霊は、憑りついた相手の了解を求めることなく、引き剝がす行いらしく、自然に離れていくように自分が変わるしかないそうなのだ。

そして加えて一言。

「まだお母さんが君の事、心配してて上がってないよね」との霊視だった。

私の心臓に住み続けていたそうだ。

若くして母を亡くした私はその当時、半ば自暴自棄な暮らしをしていた。

その態度を改めない限りは幾度も同じ目に遭うらしい。

因みに母は心筋梗塞で亡くなっている。

その時は「テキト~な事抜かしやがって」とさえ思っていた。

が、後に本物であった真実に愕然とする。

 

そしてしばらくして、家内の親戚の方が癌で亡くなった。

その親戚の方とは面識こそあれ、親しくはしていなかった。

フーチ(振り子のようなもの)で、エネルギー表を用いてオーナーは何時も測定する。

ブンブンと振り子が回る。

「大分楽になったね」

私「.........」

そして信ずるに値する方か確かめようと約二か月後に再訪。

そして今のその親戚の方はどう過ごしているかと同じ質問をぶつけると.....。

フーチはピタリと止まって微動だにしない。

そしてオーナーの凍り付く一言。

「......この人亡くなっていない?」と答えた。

「すみませんでした!! 本当かどうか試しました!! 疑ってゴメンナサ~イ!!」とテーブルに頭をこすりつけて謝り倒した。

闘病で長患いして苦しんだが、肉体という衣を脱ぎ捨てたら楽になったという事らしい。

 

「ま~ま~」とオーナーは機嫌すら損ねなかった。

決して偉ぶらず市井に紛れて尊いお仕事をなさっている。

間もなく何処へ移るとも告げず、野良猫の屋移りのように、お店を閉じて何処かへ引っ越していった。

その後にその場所には何故かしら「ペット美容室」が入った。

浅からぬ「縁」でもあるのだろうか?

 

オーナーの生き方は、私の人生にとても深く大きな楔を打ち込んでくれた。

挫けそうになると当時の事を必ず思い出す。

そして供養とは日々の生活の中で行っていく命題なのだと痛感した。

初七日、二七日、三七日と四十九日まで七の倍数でご供養するだけに留まらず。

だから弟夫婦に頼み、実家の仏壇にずっと置いたままだった家族の位牌は、法事を機会に全て私の自宅の仏壇に「お引越し」してもらった。

私が会った事の無い、祖父、幼くして亡くなった伯父さん、伯母さん皆様のお位牌も。

随分と仏壇が混んでしまったが、賑やかなのも悪くない。

父との再会を皆さんで楽しんで下さい。

皆つながっている。

有難い事だ。

仕事頑張るぞ!!

 

 

入院後退院し、私の近所の施設に入所していた父が息を引き取った。

昨年四月に転居させて後、今年の桜を愛でる事無く旅立った。

仕事中の私の携帯に連絡が入り、危篤状態である事を告げられる。

生徒さんのご厚意により、急遽中座させて頂き、仕事が終わっていた息子を含めた家族三人で施設の個室へ。

静かで寂しく暖かい最後の時が父と一緒に横たわる。

3月16日18:50。

浅かった呼吸が一瞬深くなり、父は旅立った。

コロナが5月から五類に下がれば、車椅子を押して散歩したり、久しぶりの花火大会を眺めさせる事が出来ると楽しみにしていた。

親孝行出来ずに御免な。

人と人を分かち、遠ざけた忌み憎むべきコロナ禍。

戦火を交えない第三次世界大戦。

グローバリストと偽装社会が仕掛けたプランデミックを私は生涯許すつもりはない。

痛みを伴った体験は今後作品という形で社会に還元していくつもりだ。

音・言葉・執筆・叫び・サウンド。

より苛烈に。

私の夏はまだ終わらない。

 

送る言葉3-1

 

 

送る言葉3-2

 

 

送る言葉3-3

 

 

去る2/17よりライター第二作目となる『魂との邂逅・お帰りなさい』をまんがびと出版社様より発刊致しました。

当時社会的に認知されていなかった「パニック障害」。 

「トラウマ」を凌駕しようと格闘する、孤独なロック少年の闘いと克服の物語。

本当の自分との再会。

全ては「必要・必然・ベスト」なタイミングで訪れる。

「All For One、One For All」。

「あるがまま自分らしく」。

今ここに確実に存在する自分史の総括。 苦しみ愛する人々へ伝えたい、魂との邂逅。

(Amazon、楽天Books、紀伊国屋書店にて好評発売中!!)

 

私事で大変恐縮ですが、ボーカルコーチを日々生業としてタフに仕事しつつ平行して作家活動も行っております。

この度、ASTEP出版社様刊『拝啓 一生を誓った愛するあなたへ』を11/22(火)に発表致しました。

拙稿は第9章【拝啓 一生愛すると誓ったあなたへ~時と共に上書きされる尽きせぬ想い】です。

複数作家様とのコラボレーション作品です。

作家様ご夫婦の様々な愛の形が語られる叙情詩です。

秋の夜長、ささくれだった心を安らぎで充たしてみませんか?

是非お目汚し頂き、ご一読下さい。(Amazonにて好評発売中!!)

 

 

 

 

 

Yardbirds

 

芸術は何時の世も「時代を切り取り表現する」使命を帯びているものと認識する。

大胆かつ雄弁でなくてはならないと常々考える。

臆病風に吹かれて表現の巾を狭められていては芸術家の恥晒し名折れである。

表現者は皆自らが置かれた時代の代弁者、語り部としての役割を全うすべき責務を負っている。

例えばピカソの「ゲルニカ」。

そしてジョン・レノンの「イマジン」。

それを書き描きした者の心象風景は如何なるものだったのだろうか?

そして目に映るものが全て真実か否か?

自らを勘定に入れず、芸術に身を賭し、社会に対して反目し表現する生き様は如何に苛烈なものであったか?

その道程は作者自らの魂に尋ねるしか手立ては無い。

だが、その遺された遺産(魂)に触れる度、伝わる作家の想いがある。

9/11は米国同時多発テロの勃発したと(される)日。

不都合な真実が隠され、世界市民が一斉に見えない力で誘導されている事に気付かない。

推し量ろうともしない。

Yardbirds「Shapes Of Things」の歌詞を是非ご一読を。

我々に遺されている時間は久遠であるかの如く感じられるだろうが、実際は殆ど遺されてはいない。

蒸気機関車

 

幼き頃、父に連れられて、実家の私鉄沿線のターミナル駅へよく通った。

当時、未だ蒸気機関車が一日何便か辛うじて走っていた。

今は環境問題とやらで、絶滅の危機に瀕している産業革命の象徴的存在だった蒸気機関車。

現代では「乗り鉄」「撮り鉄」マニア垂涎の存在。

駅のベンチに腰掛けて日がな一日、黒煙を挙げて通り過ぎる機関車を三人で眺めていた。

何も語る事無く、寡黙な父と私と弟。

子供の口が寂しくならない様に、父はポケットに必ずチューイングガムを忍ばせていた。

色々な味のガムを予め用意しておくなんぞ、心憎い支度をしておいたものだ。

昨年、父が長期入院した折に「俺がチビの頃、汽車眺めながらガム噛んだりしてたよね?」と訊くが「覚えてない。そんな事あったかな?」と逆に訊き返されてしまった。

未だその時点では父が認知症を患っている事すら気付かなかった。

寡黙でやたらと子供に厳しかった父。

二言目には怒鳴られ殴られ。

その記憶が壊れ始めていた事に愕然とした。

歳だと言えば、それも許されるかもしれない。

しかし、息子の立場から言わせて貰えば、変わらず鬼のままでいて欲しかった。

 

果たして、4か月半の入院後、父は命の危機を脱し無事退院出来た。

だが、当人が強く望んだ現場復帰は叶わず、車の運転も不可能に。

家族での話し合いの結果、私の住いの側の介護施設へ転居した。

 

日々、記憶は遠のき、車窓の外に思い出を置き去りにしてゆく。

あの日、汽車に乗っていた乗客は、手を振る私達の事を瞼に焼き付けてくれたのだろうか?

 

これからは俺が親父の為に、色んな味のガムを用意しておくよ。

親孝行遅くなって御免な。

未だ俺に手は振らないでいてくれよ。