昭和30年代前半にこの世に生を受けたawakinですが、最寄りの駅がある横川へは小さいころからよく家族で出かけておりました。

 

その頃の横川には美味しいすき焼を食べさせてくれる「ますゐ」があって、肉好きな父親が休みの日に連れて行ってくれたのです。

 

横川までいつものんびりおしゃべりしながら歩いて行っておりましたが、暑い時期などは路線バスやタクシーに乗りました。料金は不思議と今でも憶えていて、バス代が子供5円、大人10円でタクシーの初乗りが80円だったでしょうか。

 

昔撮られた写真を見ると、山陽本線は平地に線路が敷かれ、2本あるバス通りにはそれぞれ踏切がありました。旧道筋には跨線橋が掛けられていたようですが、太田川放水路が出来、その堤防を越えるために高さを合わせた築堤が造られました。線路はその築堤上に敷かれたので、汽車は見上げる高さの場所を走るようになりました。

 

物心がついたのは、すでに築堤が造られたあとでしたが、周りに何もなかったので道を歩いていると走って来る蒸気機関車がよく見え、長大な貨車の最後尾にちっちゃい車掌車がくっついていたのが思い出されます。

 

きょうはそんな想い出のある横川駅の北口の街並みの変わりようを2枚の写真で比較し、記憶を辿ってみたいと思うのです。

 

横川駅北口、築堤下の飲食店街(撮影日:2012.2.17)

 

12年前、散歩中に可部線の上り電車(国鉄105系・広島色)が入線してきたので慌てて撮った写真です。

当時は横川~広島間に新白島駅(2015.3開業)がなかったので、朝方には白島にある安田女子学園の幼稚園児を乗せる園バスが大挙して停まっていたものです。

 


散髪帰りに通りがかり、スマホで瞬撮。(撮影日:2024.7.23)

 

わずか12年ですが、この変わりようはどうでしょう。
 

築堤やガード下にあった44店舗は、耐震工事のため立ち退きを強要され、4年程前までに総入れ替えになってしまいました。

新しい店舗はきれいではあるものの、店構えにどれも特徴がなく画一的でつまらないと感じるのです。

 

色がバラバラのテント、形も種々雑多な看板の商店街の旧景は、12年前にはいろんな色のいろんな形の旧型(国鉄型)電車が走っていたJR車両と同じように、二度と見ることが出来ない風景ですが、懐かしいと感じてしまうのはやはり年々歳をとって爺になったということでしょうか。