メリクロンの父 狩野邦雄とフジ・プランツの事業譲渡 | 宇田 明の『まだまだ言います』

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昭和に生まれ、

平成には当たり前になった技術が「メリクロン」。
メリクロンとは、植物の成長点を試験管内で育て、ウイルスや病気にかかっていない無病の苗を大量に生産する技術。

茎頂培養(けいちょうばいよう)ともよばれる。
今日の「バイオテクノロジー(バイテク)」の原点。

今回のお題は、このメリクロン技術とその恩恵を受けたカーネーションの苗生産。
立ち枯れ性病害やウイルスで消滅しかかっていたカーネーション切り花生産は、メリクロンで無病の苗が生産できるようになり、よみがえりました。
昭和40年代のことです。
メリクロン技術開発に貢献したのが、香川大学 狩野邦雄先生。
狩野先生は、

昭和38年から47年まで10年足らずを全速力で走りきり、47歳の若さで、故人となられました。
狩野先生は昭和40年(1965)にシンビジウム、つづいてカーネーションのメリクロンに成功。

研究だけでなく、多くの技術者、生産者をも育てた。

その教え子の二代目が、いま花産業で活躍している。
今日の花産業、とくにラン、カーネーション産業があるのは狩野先生のおかげ。


画像 香川大学農学部 狩野邦雄先生

    メリクロンの父

    昭和47年(1972)47歳の若さでこの世を去った

 

日本花き生産協会カーネーション部会

「愛され続けて100年 カーネーション生産の歴史」(2009)の研究の先駆者紹介からの引用。

教え子のひとり、

香川農試元場長でカーネーション研究者だった佐藤義機さんの記事。

下の青字。

画像 カーネーション生産100年史

    日本花き生産協会カーネーション部会編纂(2009)

    平成21年(2009)、この年、日本のカーネーション生産は100年を迎えた

 

狩野先生が香川に赴任された昭和38年頃の香川のカーネーションは、中輪系の「コーラル」、「ピーター」が中心で、株の立枯れ障害が多く生産は不安定であった。

先生は、

この原因が高温多湿の気象条件下で発生し易い、萎凋細菌等による立ち枯れ性病害及び連作による土壌障害等であることを突き止めた。

 そこで、①無病の土壌に、②無病の苗を植え付け、③圃場の衛生管理を徹底すれば生産は安定するはずと、生産者には技術革新を促し、大学では「近代的カーネーション生産」を目指した研究を開始した。
 無病苗の育成は、ランの組織培養の技術を生かし、茎頂培養法や簡易培地の開発を行い、同時に技術者養成にも力を入れた。

生産者の無病苗への関心は益々高まり、行政機関もこれを支援する形となった。
 昭和46年に

農業試験場内に無病苗生産施設と花卉農協の苗増殖施設が建設され、昭和47年には

苗の供給体制が整い、

昭和49年頃から

全国に先駆けてウイルスフリー苗の配布がスタートした。

画像 メリクロン(茎頂培養)の手順

 

メリクロン技術を利用したカーネーション苗生産販売業者のフジ・プランツ(株)、はからずも平成最後で令和最初の主役になってしまった。


画像 フジプランツの事業を承継したイノチオ・フジプランツ(株)の記者発表

 

平成最後の月である平成31年4月1日、

突然、イノチオホールディングス(株)との事業統合を発表。
そして、令和元年10月1日からイノチオ・フジプランツとして再出発。


画像 令和元年(2019)10月1日に発足したイノチオ・フジプランツ(株)

 

フジ・プランツ(株)の創業者、

鈴木善和氏も狩野先生のメリクロンによる無病苗にお世話になったカーネーション生産者のひとり。
鈴木さんは、

昭和42年(1967)に、カーネーションの大産地、愛知県 旧幡豆郡一色町で切り花生産をはじめた。
昭和61年(1985)にフジ・プランツを興し、カーネーションの育種・苗生産と販売を開始。
生産者にもっとも近い苗業者として、カーネーションの生産拡大とともに、成長。
平成に入ると、国産カーネーションは輸入が増えるのに比例して減りはじめる。
それに伴い、

第一園芸、サカタ、キリンなど国内大手の総合種苗会社はカーネーションの育種、苗生産から、あいついで撤退。
カーネーション苗専業のフジ・プランツが最大手になった。
国産カーネーションは、

ピークの平成はじめには年間7億本の切り花生産、1億本の苗が使われていたが、

平成30年(2018)には切り花生産2.3億本、3,000万本の苗に激減。
さしものフジ・プランツも単独でのカーネーション苗生産販売はきびしすぎたのか。
令和の幕開けとともにイノチオの傘下に。
これでまた国産カーネーションは曲がり角をひとつ曲がった。


とはいえ、

イノチオホールディングス(株)はまさに日の出の勢い。
平成20年(2008)には

キク専業種苗業者の老舗、精興園を傘下に収め、

イノチオ精興園とした。


画像 キク育種・苗販売の老舗、精興園もイノチオの傘下に入り、イノチオ精興園になった

 

さらには、

フジ・プランツとの事業統合直前の今年5月には、オランダのフロリテック社を買収。
フロリテック社は、

あのカリメロを保有するキクの育種・苗販売の世界的企業。

画像 極小輪スプレーマム「カリメロ」(ベトナム産)

    キクの新たな消費を切り開いた

 

バブル期に

キリンが欧米の種苗会社を買収し、世界大手の種苗会社に躍りでたことを思い出させるイノチオの勢い。

画像 イノチオホールディングス(株)

    社員は若く、元気いっぱい

    意気消沈の花産業に喝!

 

小さいとはいえ花産業も、ほかの大組織と同じで、内部は縦割り、細分化されています。
種苗生産・販売は、キク、バラ、カーネーション、球根ではそれぞれの専門業者があり、商慣習がちがいます。
そのなかで、

イノチオはこれまでの縦割り、垣根を乗りこえて、本業の農業資材・施設、肥料・農薬、植物工場でのトマト生産などに加え、

キクとカーネーションの育種・苗を取り扱うことになったことは、花産業にとって力強いことです。

大局的な展開が期待できます。


平成に発展したことに、切り花生産と苗生産の分離があります。
生産者は、

煩雑で、気をつかう苗生産から解放されて、切り花に集中してとり組めるようになり、規模を拡大することができました。
一方では、

苗半作といわれる種苗を業者に依存することになり、さまざまな問題が生じています。
イノチオにはこれまでの慣習にとらわれず、生産者と種苗業者とでウインウインの関係を築いていただくことを期待します。


次回は、

平成の成果である「切り花生産と苗生産の分離」の功罪を考えます。

 

宇田明の『まだまだ言います』」(No.195 2019.10.6)


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