私たちクリスチャンはいつでも私たち自身を第三者側に置きます。
置いてしまうのです。
私の中の罪を遠くから私が見ています。
ある人々の立場に置きます。
罪の問題から自分自身を離して一見冷静に客観的に見ているようで第三者の口調になっています。
まるでTVを見ているような距離感で裁くのでしす。
三人称の視点です。
自分自身の神の前における大きな罪には目を向けようとしない。
逸らすのです。
客観的に三人称視点で過ごしていることが罪人であるということに気が付いていない。
喜びや悲しみは命がそこにあるから起こって来る。
二人称の関係の中にあるのです。
復活の主にありて
人生の羅針盤
タケシオン
←上下どちらかのクリックをお願いします。ランキングに参加していますのでポイントが加算されますので応援よろしくお願いします。このブログを読んでくださっているお一人おひとりの上に主の豊かな豊かな祝福が注がれますように。
