わたしのブログのHさんからミサについての質問を受けました。
質問が あります 聖書は 好きで良く読んでいるけど ミサの意味が わからない という○○○のママ友達に どう説明してあげれば良いですか? ミサには ときどきでているし プロテスタントの学校に ご夫婦とも 中学から 大学までいっていらしたので聖書の知識は ちゃんとあり 聖書関する本もよく読んでいます 夫婦で 教会に来て ミサにあずかり 「神父様の 主日の福音については 少しはわかるけど… 言葉(奉献文)と キリストの体と 御血に変わるということが わからない」 と夫婦で家に帰ってから言い合ったのだそうです。 もし ちゃんと言ってあげられたら どんなに 「福音宣教」になるだろう と思いました 「キリストの最後の晩餐の記念」と言えば? とおっしゃる方もありますが それだけでは ストンと落ちるほど納得しないと思います。 どうか 教えてください
確かにキリスト教を良く知っている人でもミサのことになると分かりづらいとおっしゃるかもしれません。特に「キリストの体と 御血に変わるということが わからない」のは 当然かもしれません。
ルカ福音書には、エマオに向かう弟子の話があります。(ルカ24:13~48)イエスの復活の知らせを告げた婦人たちの話を、「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。」(24:11)のです。失意のうちに歩く2人の弟子とともに、いつの間にかイエスが一緒に歩いていたという物語はミサの基本だと思います。
復活のイエスを弟子たちが発見したのではありません。イエスへの希望を打ち砕かれ、イエスを裏切ったという後悔の念に捕らわれている弟子とともにいつのまにかイエスがともに歩いておられ、ご自分に関する聖書の教えを自ら教えてくださいます(みことばの祭儀)。夕方になったときなおも先に行こうとするイエスをこの二人の弟子は無理に引き留めます。弟子がイエスと一緒に食事をしたときに、イエスがパンを裂いて(感謝の祭儀を現す最も古い表現)弟子たちに与えます。そのとき弟子の目が開かれて、イエスが弟子たちとともに生きていることが分かるのです。(逆に、行きずりの他者を歓待することがない人にはイエスは現れてくださらないとも言えますね。)イエスが彼らと共に生きてくださることを知ったこの二人は、それがうれしくて他の弟子に伝えようと戻ります。そのとき彼ら全員の前に、イエスが現れて一緒に食事をされます。

魚を食べたとありますが、魚はローマ字表記をしますとICTYSとなります。それは、イエズス・クリストス・テウー・フイオス・ソーテールの頭文字で、イエス・キリスト・神の子・救い主という意味です。迫害を受けていた初代教会では魚の絵が信仰を表したと言います。

魚を食べたとありますが、魚はローマ字表記をしますとICTYSとなります。それは、イエズス・クリストス・テウー・フイオス・ソーテールの頭文字で、イエス・キリスト・神の子・救い主という意味です。迫害を受けていた初代教会では魚の絵が信仰を表したと言います。
その後聖霊降臨というイエスの霊を彼らが頂いたときから教会が始まります。聖霊の力を得て、ペトロが集まった人々に最初の説教をしました(使徒言行録2:14~36)。
使徒言行録2:37-42
使徒言行録2:37-42
人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、 「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」 と言った。すると、ペトロは彼らに言った。 「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」 ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、 「邪悪なこの時代から救われなさい」 と勧めていた。 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。聖書と食事は復活のキリストの出現によって全く新しい次元に高められたのです。イエス・キリストを中心として、共に聖書をともに読み、使徒の教えを大切にし、助け合い、パンを裂き、祈る毎に、信者たちはイエスが今ここにともにおられることを確信し、たとえ現実がどれほどつらいものであっても、イエスとともに歩む決意をします。
次回は、K・オズボーンの『秘跡のガイドライン』というカトリック教会のカテキズムを解説している本の内容をご紹介しましょう。ブログでは長くなりますので、何度かに分けてご紹介します。
ルカ福音書 24:13~48
◆エマオで現れる ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。 イエスは、 「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」 と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。 その一人のクレオパという人が答えた。 「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」 イエスが、 「どんなことですか」 と言われると、二人は言った。 「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」 そこで、イエスは言われた。 「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、 「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」 と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。 二人は、 「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」 と語り合った。 そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。 二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。 ◆弟子たちに現れる こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、 「あなたがたに平和があるように」 と言われた。 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。 「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、 「ここに何か食べ物があるか」 と言われた。 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。 イエスは言われた。 「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。 「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」