Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

私の大好きな 美しいもの、綺麗なもの、かわいいもの。 そして 美しい人、綺麗な人、可愛い人をご紹介したいです。
麗しい、美しい、 愛しいものを......
オードリーをはじめとするハリウッドセレブからダイアナ妃やグレース・ケリーなどの各国 王室・王族も。


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ジョージ5世の妻メアリー・オブ・テック。ヴィクトリア・メアリー・オーガスタ・ルイーズ・オルガ・ポーリン・クローディン・アグネ。

ヴィクトリア女王の息子エドワード7世の息子、ジョージ5世の妃。
Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-ジョージ5世の妻メアリー・オブ・テック

エリザベス女王とアレクサンドラ王女の祖母



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ジョージ5世


ジョージは海軍軍人として、長年叔父エディンバラ公アルフレッドの指揮の下にいたマルタに駐在した際、叔父の長女マリー・オブ・エディンバラ(従妹)と恋に落ちて、結婚を申し込みましたが、祖母ヴィクトリア女王と双方の父は、この結婚を歓迎したものの、ドイツ嫌いのジョージの母アレクサンドラと、イギリス嫌いのマリーの母マリア・アレクサンドロヴナがこれに反対し、最終的に婚約は破棄。マリー・オブ・エディンバラはルーマニア王妃とマリアとなりました。


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1893年結婚

1891年に王位継承者であった長兄アルバートはフランツ・フォン・テックの長女ヴィクトリア・メアリー(メアリー・オブ・テック)と婚約しますが、婚約の6週間後の1892年1月14日にアルバートが肺炎により他界。弟ジョージは、父に次いで王位を継承しなければならなくなり、海軍も退役することに。同年5月24日には、兄が受けるはずだった[ヨーク公爵・インヴァネス伯爵・キラニー男爵の爵位を賜ります。

メアリーを将来の王妃に相応しい人物として考えていたヴィクトリア女王は、ジョージにメアリーと結婚するよう説得。この説得を受け入れメアリー・オブ・テックに結婚を申し込み、彼女もこれを受け入れ、1893年7月6日にセント・ジェームズ宮殿のチャペル・ロイヤルで結婚式が執り行われました。


イギリス王室の花嫁は19世紀を境に、国家の富と権力を象徴するような金糸や銀糸で装飾された豪華なウェディングドレスではなく、よりシンプルで一般的な白のドレスを着用するようになり、白のウェディングスタイルの起源は、ジョージ5世の祖母であるビクトリア女王とされています。大衆の流行を取り入れたビクトリア女王の決断は、王室婚礼の転機となりました。 淡色や白地のウェディングドレスは、裕福な庶民の間で使用されており、ドレスを汚さず白く保つには人を雇うなどの必要があったため、社会的な階級が下がるほど色は濃くなっていったのだとか。


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1901年1月22日にヴィクトリア女王が死去したことにともない、父がエドワード7世として王位を継承。エドワード7世は、息子に将来の国王としての役割に備えさせるべく、母ヴィクトリア女王から国政に関わることを禁止されていた自分とは違い、国事に関する書類に広く接する機会を設けさせました。ジョージは妻メアリーの助言を頼りにし、メアリー自身もしばしば夫がスピーチを書くのを手助けしたことから、彼女自身も次第に国事に関わることとなります。

1910年5月6日にエドワード7世が死去したことにともない、「ジョージ5世」として王位継承し、翌1911年6月22日にウェストミンスター寺院で戴冠式を執り行いました。



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メアリーは公務に一切不平を言わず、国民を愛する王妃ではありましたが王妃という立場を重く意識していて、国民とは一線を隔していました。良くも悪くも王室のしきたりを頑なに守り、子供に愛情を与えない女性でしたが、結婚後、サンドリンガムに定住した2人は5男1女をもうけ、比較的円満な夫婦生活を送っていました。

気丈な性格で小姑にあたる(エドワード7世とアレクサンドラ妃の娘)ファイフ公爵夫人ルイーズや姑のアレクサンドラ・オブ・デンマーク(アリックス)とは価値観や性格の不一致から不仲でした。

ヴィクトリア女王やエドワード7世など王族の人間からは信頼を寄せられていたそうです。


第一次世界大戦ヨーロッパ中で王室の存在意義や能力が問題視されるようになり、ジョージ5世は、王家の家名をドイツ由来のサクス=コバーグ=ゴータ家から王宮のウィンザー城に因んでウィンザー家に改名したり、妻のメアリー・オブ・テックも母方の血を強調しドイツ系を否定し、国民から支持を受けました。


ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はビクトリア女王のお気に入りの孫で完璧な英語を話した伯父のイギリス国王より英語が綺麗とも言われるほど。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世やイギリス国王ジョージ5世、ニコライ2世は従兄にあたります。



【幼いころ】
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メアリー王太后ことメアリー・オブ・テックは、ブラド串刺し公「ドラキュラ」の姉妹の子孫にあたります。

※1461年には、コンスタンチノープルを征服したメフメッド2世が、トウルゴヴィシュテにあるドラキュラの居城の外で、串刺しにされた二万もの腐乱死体を目にしあまりの光景にコンスタンチノープルへ戻ってしまいます。
このブラド串刺し公の父親はブラド・ドクトルといって1431年に古代のドラゴン騎士団に入団し、神聖ローマ帝国皇帝から秘儀を授けられた人物でこの騎士団の紋章はドラゴンで、翼を広げ、十字架からぶら下がっています。父ブラドはこの紋章を身に付け、領地内の貨幣にもドラゴンをあしらっており、騎士団のメンバーは全員が甲冑(かっちゅう)にドラゴンの印をつけていて、本人は「ドラクル」というあだ名で呼ばれていました。息子のブラドは「ドラクリア」「ドラクリヤ」と署名し、これが後に転じて「ドラキュラ」となっています。


1981年最初の婚約者(夫となったジョージ5世の兄)、アルバート・ヴィクターと。24 歳で婚約。

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アルバートは父王エドワード7世の放蕩な部分を多大に受け継いでいたようで女性関係や素行の悪さが話題になり、“ 切り裂きジャック ” はアルバートだと噂されたほどでした。

アルバートが、フランス人伯爵の娘でカトリックのエレーヌと結婚したいと言い、慌てた両親が花嫁候補として選んだひとりがメアリーでした。(メアリーの母ヴィクトリアは、ジョージ3世の孫娘でヴィクトリア女王の従妹にあたりますが貴賤結婚の血筋)。他の候補の女性には不品行が原因で断られて決まった婚約で、アルバートの最期に付き添っていたメアリーの前でエレーヌの名を口にしたとか...。

December 1891, England, UK --- Albert Victor, Duke of Clarence, with Princess Victoria Mary of Teck. Prince Albert was the eldest child of King Edward VII and Queen Alexandra of England. He became engaged to Princess Victoria Mary, known as Princess May, in 1890, but died of pneumonia in 1892, before the marriage. Princess May later married his brother Prince George, who became King George V of England.

Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-ジョージ5世の妻メアリー・オブ・テック





短気で粗暴な性格だったジョージ5世が国民の王として親しまれ、尊敬されたのも、国政運営をサポートし続け、軍人や死傷者達に直接面会して親しく慰め続けるなど、王妃としての責務を誠実なまでに実行したメアリーの内助の功があったからだといわれています。


Queen Mary with her daughter Princess Mary during the First World War
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結婚17年後の結婚記念日、その年ジョージ5世となった王はメアリーに「私の愛はどんどん強まっていく」と手紙を送っており妃としては良い女性だったよう。

In 1910, on their seventeenth wedding anniversary, George wrote to his wife: “My love grows stronger for you every day mixed with admiration and I thank God every day that he has given me such a darling devoted wife as you are.”王の晩年が病気がちになると、代わって日記を清書するなどしています。


愛を求めている家族に愛情を注げず、他人に愛情を一身に注ぐ方は時にいますが、メアリーも自分の意見や意志を十分に通す性格で、母親としても愛情深くなかったために、長男エドワード8世は色々な女性と浮き名を流し、最終的にウォリス・シンプソンとの恋に走り退位したと言われています。

長男エドワードが王位を投げ出した時にも厳しい態度で臨み死ぬまでシンプソン夫人に会うことはありませんでした。

次男ジョージ6世に先立たれ、メアリー自身も孫娘エリザベス2世の戴冠式の2ヶ月前に亡くなります。メアリーは孫娘のエリザベス2世を溺愛しており、孫の教育に熱心でした。最後に「決して(エリザベス2世の)戴冠式を延期しないように」と強く言い残していったそうです。

王妃メアリーは、とくに国家の儀式における王の儀礼や作法の模範として、英国王室のあり方の基調を定めたことで知られています。

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