昨日から屋内温水プールでアルバイトをしている。監視員ってやつだね。しかし、私は泳げない。正確に言うと、人生で三度おぼれ、三度とも”監視員”に助けられた。
そんな私が監視員というのは滑稽だが、人手不足のせいで採用されてしまった。だが仕事は単純で、プールサイドをゆっくり歩き、笛を鳴らすだけ。私にもできると思った。
ところが、初日にプールサイドを走って滑って転び、「危険行為の典型例」のようなことをやらかしてベテラン社員さんに怒鳴られた。
「お前が一番危ない!」
正論だったので反論できない。
そんな私が転機を迎えたのは、夜のプールだった。
毎週火曜の閉館2時間前に、必ずプールを訪れる老人がいた。白髪で背は丸まり、泳ぎもゆっくり。彼は泳ぐ前、必ず5分だけ水面をじっと見つめる。
「何を見てるんですか?」と聞く勇気はなかった。なぜなら彼はそれを邪魔されたくない雰囲気をまとっていた。
夏のある夜、毎週来る老人の姿が見当たらず、どうしたのだろう?と思っていた。するとベテラン社員さんが「君に手紙が届いてるよ」と、一通の封筒を手渡された。
「監視員の青年へ」
私? と胸がざわつく。
封を開けると便箋が一枚。
私はもう来られないだろう。君が私を毎週見守ってくれたこと、礼を言いたい。君は私が危なっかしいと思っていただろう。私には、溺れそうな人間を必死に見つめる目に見えた。あの目は、人を助ける者の目だ。どうか、これからもそうやって誰かを救ってほしい。それが私の最後の願いです。
私は震えた。私の生活に「使命」なんて単語は存在しなかったからだ。
それから私は居ても立ってもいられず、夜のプールで泳ぎの練習を始めた。水に顔を付けるだけで心臓が跳ねた。溺れた記憶が鮮明に蘇る。
それでも、老人の手紙の言葉が背中を押した。
何度も沈み、何度も水を飲んだ。監視していたはずの私は、泳ぎに関しては完全に“監視される側”だった。
だが、ある日5メートル、次の日は10メートル、そしてついに25メートルを泳ぎきった。
プールサイドで息を荒げながら泣いてしまった。誰も見ていないのをいいことに、声を殺して。
秋、私は監視員から「補助指導員」になった。子どもの水泳教室で補助に入るようになったのだ。
「先生、これできない!」
「おぼれるー!」
子どもたちの声は昔の私そのまま。だからこそ、私はその気持ちが分かった。
「大丈夫。怖いのはいいことだよ。怖いって感じてるってことは、危険を回避しようとしている証拠だから」
そう言うと、子どもたちは安心したように笑った。
あの老人も、こんなふうに言ってほしかったのだろうか。
冬、プールの受付で、中年の女性が私のことを探しているらしかった。すぐに向かうと
「父が遺した手帳にあなたのことが書かれていて、居ても立ってもいられずにお伝えに来ました」
胸が痛くなる。老人はもう戻らないのだと悟った。
「父はプールのような場所を見るたびに母を思い出す人でした。母は若い頃、水の事故で・・・」
娘さんは言葉を探すように続ける。
「父はこちらに通っている時に“いつも見守ってくれる人がいるんだよ”と言ってました。あなたのことだったんですね」
私は言葉が出なかった。
夜のプールに戻り、私は老人がいつも水面を見つめていた場所に立った。水面は静かで、透き通り、吸い込まれそうなくらい深い青。
老人はこの水面に、亡き妻の面影を探していた。
反射した天井の光が揺れ、まるで誰かが微笑んでいるように見えた。
私は泣いた。老人が涙を落としてきたであろうこの場所で、静かに、肩を震わせて。
「ようやく辿り着きましたよ。あなたがいつも見ていたものに」
水面に落ちた涙は、ゆっくりと深い底へ吸い込まれていった。
私はその春、正式に水泳指導員になった。泳げなかった私が、人を助ける側になった。
水はまだ怖い。けれど今は、その怖さを抱きしめながら泳いでいる。
この胸の奥で、小さく波打つ記憶とともに。
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東京で暮らして七年目。大森廉は、気づけば“他人に興味のないふりがうまい人間”になっていた。
満員電車で倒れそうな人がいても、誰かが助けるだろうと視線を逸らし、職場で新人が困っていても、知らぬ間に喫煙室へ避難する。SNSでは「つながりが大事」と書いておきながら、実際はフォローした人の通知すら見ていない。
そんな“ふり”をしている代償だと思うが、休みの日に誰とも話さない日が続き、友人からの誘いも無くなった。理解者が一人もいないというのは、想像以上に静かだ。
ある夜、レンジで温めた冷凍パスタを食べながら、廉は悟る。
(あ、俺、けっこう孤立してるな)
その瞬間、テレビのバラエティ番組から「地方移住特集ー人の温もりが最高ー」という軽快なタイトルが流れた。
そこには笑顔の移住者たちが映っていた。彼らは口を揃えてこう語る。
「都会と違って、ここは人との距離が近いんですよ〜」
廉はその言葉に、とんでもない魅力を感じた。そして気づけば翌月には会社を舐め、見知らぬ地方都市に移住して土建屋の作業員として働き始めた。
「東京から来たんだって?」
移住初日の夕方、廉が住む借家の隣の家に住む大柄な男性が声をかけてきた。
「はい。人とのつながりを求めて・・・」
「そうか。東京から来た人は、だいたいそんな感じのことを言うよな」
男性は訝しげに廉をじろりと見た。
「つながりが欲しいって言うわりに、ここの空気読めない人が多いんだよ。あんたは違うといいけどな」
初日からプレッシャーが重すぎた。
翌日、自治会の集まりに顔を出すと、町内のおばあちゃんたちが井戸端会議をしていた。廉が「移住してきました」と挨拶すると、彼女たちは笑顔、とまではいかない“笑顔っぽい表情”で一言二言、声を掛けてくれた。
「まあ、慣れるまでは大変だべ」
「ここらのやり方を覚えてがんばれよ」
「若い人はせっかちだから大変よぉ」
歓迎というより、注意事項の羅列に近かった。その日の帰り道、廉は早くも悟りかけていた。
(地方は地方で、壁が分厚いな)
一ヶ月経つ頃、廉は少しずつ“ここでの立ち振る舞い”がわかってきた。
挨拶は顔を見れば必ずする
地元の祭りは断るより手伝った方が楽
村のルールを壊すと噂レベルで拡散する
何かしてもらったら三倍返し(物理)
だが、馴染むほどに見えてきたものもあった。コミュニティは温かいが、その温かさは“全員に均等”ではない。外から来た者は、少しでも振る舞いを間違えると、その温度が一気に冷めて逆風に変わることもある。
ある日、廉が自治会の集まりを一度だけ欠席しただけで、翌朝こう言われた。
「昨日なんで来なかったんだって、みんな心配してたよ」
“心配”のニュアンスが、明らかに“監視”寄りだった。
東京とは違う意味で息苦しさを感じつつ、心地良さも同時に感じていた。
地方での生活も三ヶ月を過ぎる頃、ある変化が訪れた。
ある晩、散歩をしていると川沿いの土手で座り込んでいる青年に出会った。東京に住んでいた頃ならば絶対に無視していたが、「どうしたのよ」と気軽に声を掛けていた。不思議なもので、自分も少しはここに馴染んできたらしい。彼の話を聞くと、父親の転勤でこの町に引越して来たばかりで、学校でもうまく馴染めず悩んでいるらしい。
青年はぽつりと言った。
「ここの人達って、優しいんだけど・・・優しさの中に“ルール”が多くて、疲れますよね」
廉は思わず笑った。
「分かるよ。俺も数カ月前は、同じだったから」
そのまま一時間ほど話し続けた。気づけば、青年の顔が少し明るくなっていた。
「話してよかったです。なんか・・・モヤモヤが晴れました」
その言葉を聞いた瞬間、廉は胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
(あれ、俺・・・人に興味あるじゃん)
都会では気づかなかったことだった。誰かに必要とされることも大事だが、“誰かの心の温度に触れること”で自分の感情が揺れ動いて生きていることが実感できる。
半年が経ったが、まだまだ廉はここに馴染んだという感じはない。夜に散歩をしていただけで噂になるし、ご近所さんに気も使うし、何より孤独がゼロになったわけでもない。
だが、川沿いの土手で会った青年や、歳が近い数人の仲間とは確かな関係が出来つつあり、「ああ、この町で生きていけるかもしれない」と思えるようになった。
都会では“興味のないふり”で心を守ろうとしていた。ここでは“興味を持ちすぎない”ことで心を守る術を覚えた。
青年が言った言葉を、廉は忘れない。
「都会も田舎も、居場所って・・・“自分を理解してくれる人”が一人でもいれば成り立つんですね」
本当にその通りだと思う。
結局のところ、人はどこへ行っても試行錯誤し続ける。ただ、その過程で誰かの息遣いを感じられたなら、それに耳を傾けるだけで孤独は少しだけ形を変えてくれる。
廉は川沿いを歩きながら、小さく笑った。
(都会で失ったものを、この町で見つけたわけじゃない。ここの人達のお陰で、“人の気持ちを受け取る余裕”を持てるようになっただけだ)
夜風が冷たくなってきた。
その冷たさの向こうに誰かの家の灯りがポツリと見える。密集したネオン灯とは、また違った温かさを感じた。
朝起きて台所に行くと、冷蔵庫が見たこともない形に変わっていた。高さが三メートル以上あり、扉は三つ、取っ手はどこにもないが押したら開いた。母は何も気にしない様子でカルピスを取り出し「昨日、ビンゴで当たったのよ」と笑った。
僕も冷蔵庫の扉を開けて覗き込むと、中はただの冷蔵庫じゃなかった。奥に、奥に、廊下が伸びている。電灯のようなものが灯り、床は冷たく濡れていた。母は僕を見て「それ以上入っちゃだめよ」と言ったが、その声は冷蔵庫の奥の方から聞こえたので、それ以上踏み入れるのをやめた。
夜になり、冷蔵庫の中の廊下が気になって仕方なくなった。懐中電灯を持って忍び込むと、床に肉片のようなものが散らばっていた。拾い上げると、それはどう見ても指先だった。冷たく硬直した小さな指。慌てて投げ捨てると、廊下の奥で音がした。カチャリ、カチャリと。
誰かが包丁を研いでいる。引き返そうとしたが、背後の冷蔵庫の扉が消えていた。もう先に行くしかない。
奥に進むと、壁にびっしりと家族の顔写真が貼られていた。母の顔、父の顔、そして僕の顔。どの写真も口が塗りつぶされている。見ていると、唇のない写真がモゾモゾと動きだし、耳元で囁いた。
「声を置いていけ」
足が震えた。逃げようと走り出すと、床の肉片が積み重なり、やがて人の形になり始めた。腕と脚がバラバラにつぎはぎされ、縫い合わされたようにつながって立ち上がる。顔はなかった。代わりに胸の真ん中の大きな口が開き、笑った。
「おまえも冷やしてやるよ」
逃げても逃げても冷蔵庫の廊下は終わらない。壁に並ぶ写真の数は増え続け、ついに見知らぬ人々の顔まで現れた。その中に、未来の僕らしき顔もあった。口が消され、目を見開いている。
懐中電灯が揺れ、チカチカとし始めた。電池が切れかけているようだ。暗闇の奥から、カチャリ、カチャリと包丁の音が近づく。耐えられず叫んだ瞬間、自分の声が空気に吸い取られ、喉から抜けていった。声は床に落ち、ガラスのように割れた。
声を失った僕の口はもう動かなかった。代わりに、廊下の奥から母の声が響いた。
「やっと、静かになったわね」
闇が一気に迫り、最後に見えたのは冷蔵庫の中で腐りかけた桃だった。僕はそれを頬に擦り付けて、桃の産毛のかゆみを感じながら、記憶が溶けてゆくのをただひたすらに待った。
夜の練習場には、いつもの男がいる。スーツの上着を脱いで、ワイシャツの袖をまくり、無言で球を打ち続ける。時間にして一時間ほどだが、汗が滲んでもタオルで拭かず、ただ黙々と、九番アイアンを振っている。
私は小さな頃から親からゴルフを叩き込まれて、ジュニアの大会では優勝することもあった。大学でもゴルフ部に入ったが、肘を痛めてプロゴルファーの道は諦めた。大学を卒業して一般企業に就職をしたがすぐ辞めてしまい、アルバイトでこのゴルフ練習場のスタッフをしている。レッスンの助手、打席の整理、時々フォームの簡単なアドバイスもする。
最初に彼を見かけたのは一年前の春だった。彼は、ゴルフを”今”始めた初心者のように見えた。ぎこちないスイングするたびに、クラブで地面を叩きつける鈍い音が練習場に響き渡る。
半年ほど経った頃、最初に話しかけたのは私のほうだった。
「ほぼ毎日、練習してるんですね」
男は、少し照れくさそうに笑って「そうだね、日課みたいなものです」と答えた。その笑顔が、どこか寂しげで印象に残った。
その頃になると、彼はそれなりに球に当てることができるようになっており、右へ左へ打球が散ってはいるものの前へ飛ぶようになっていた。
ただ、球を打つ音が、ほかの客とは違って聞こえた。
“カツン”という乾いた音に、ほんの少しだけ深みがある。芯を少し外したミスショットに近い音ではあるが、そんなに悪くはない。彼よりもずっと年下の私が言うのもなんだけれど、『人生の岐路にいる人間の音』に私には聞こえた。
彼のフォームは、少し硬い。手首が強張って、腰の回転が浅い。でも、その姿はいつも真剣そのものだった。球がまっすぐ飛んでも飛ばなくても、顔の表情を変えない。ただ、何かを押し殺すように、同じ動作を繰り返していた。
私がアドバイスをすると、彼は必ずメモを取った。「なるほど、体重移動か・・・」と小さく呟きながら。その姿を見て、私は妙な感情に包まれた。
『この人、きっと何かを抱えてる』
そう感じたのだ。
練習場にはいろんな人が来る。ストレス発散に全力で球を打つ人、SNS用に動画を撮る人、恋人同士でイチャイチャとする人。そんな中で、彼だけが異質だった。まるで、打つたびに自分の人生を少しずつ整えているように見えた。
季節が巡って、冬。
仕事帰りらしいネクタイ姿で現れた彼に、私はホットコーヒーを差し入れた。
「寒い中、いつもありがとうございます」
彼は驚いた顔をして、「ありがとう」と言った。そして少し間をおいて、「これがあるから、一日が終わるんだよ」と笑った。
“これがあるから、一日が終わる”。
その言葉が、私の胸に静かに残った。
その頃、私はちょうど恋人とうまくいっていなかった。何をしても心が満たされず、この仕事にも熱が入らなかった。それでも夜、練習場で彼を見るたび『あぁ、ちゃんと自分と向き合う人もいるんだな』と感じた。それは尊敬にも似た感情だった。
春、彼のスイングが見違えるほど綺麗になった。無駄がなく、打球が真っすぐに伸びる。見ているこちらが、とても気持ちが良くなるほど。私は思わず拍手した。彼は少し照れたように笑って、「ようやく少し、掴めてきた気がします」と言った。
その言葉に、私の胸の奥が少し熱くなった。
『掴めてきた』
その言葉の裏には、夜な夜な重ねた鍛錬と孤独がある。私はそれを目の前で見てきたからわかる。
数ヶ月後、彼は少しやつれて見えた。「仕事が忙しくてね」と苦笑いを浮かべた。けれどクラブを振る姿は、いつもと変わらず穏やかだった。
「ゴルフって、不思議ですよね」と私が言うと、
「うん、結局は自分と向き合う遊びなんだろうね」と答えた。
彼は少し遠くを見るようにして言った。
「誰かに勝ちたいと思って始めたことが、いつの間にか“自分を嫌いにならないための儀式”になってしまったから不思議な感じですよね」
私は返す言葉がなかった。その夜の風は、少し冷たかった。
やがて、彼は来なくなった。忙しくなったのか、飽きたのか、それとも転勤で場所を変えて続けているのか、理由はわからない。彼がクラブを振り続けたその場所で、別の人たちがクラブを振っている。けれど、どれだけボールが飛んでも、あの彼の“あの音”だけは、誰にも真似できなかった。
“カツン”。
あの深く、少し哀しい音。
人は、何かを諦めたあとにも、まだ続けられるものを探すのだと思う。たぶん、彼にとってそれがゴルフだった。
私は今もこの練習場にいる。正社員になり、正式に教える立場にもなった。新しい生徒が増え、時間はあっという間に過ぎていく。仕事後に、私も夜の打席に立つことがある。その度に私は思い出す。あの九番アイアンの音を。あの音だけは、私にも奏でることはできない。
“生きるってことは、いくら反復練習しても納得できるものではないのだ”と思う。どれだけ打っても、理想のフォームにはならない。それでも、繰り返し打ち続ける。何かを掴もうとして、掴めなくて、掴んだ!と確信してもまた指の間から零れ落ちる。
あの人は、今もどこかでボールを打っているのだろうか。それとももう、打つことをやめてしまったのだろうか。もしまた再会できたなら、私は何も言わず、ただあの音を聞いていたい。カツン、と響くその音の中に、人が続けるしかない理由が詰まっている気がするから。
夜風が少し冷たくなった。私は夜の打席で、自分で球を打ってみる。
九番アイアン。
乾いた音が闇に吸い込まれた。
あぁ、まだ私もまだまだ理想には近づけていない。けれど、それでいいのだと思った。
お金は、愛の形をしている。そんなことを思うようになったのは、二十代の半ばを過ぎた頃だった。
私はごく普通の会社員。大手商社の事務職。毎朝、同じ電車に揺られ、会社の窓からは隣のビルしか見えず変わらない景色、そして毎日同じようなメールを打つ。指先がキーボードを叩くたびに、心の奥底で『規律』という名の山が積み重ねられてゆく。
職場の人たちは皆、感じが良くて、真面目で、優しい。けれど、感情の温度はいつも少し冷たい。均一に笑う人たちの中にいると、私は自分の輪郭が溶けてしまいそうに感じる。
とある夜に、同僚に誘われて“ホストクラブ”という場所へ行った。ネオンが夜を照らし、ガラス越しの光が水面のように揺れていた。
初めて見る世界。人工的な夢の匂いがした。
彼の名は蓮。私は自分の名前を呼ばれた瞬間、なぜか心が踊った。それまでどんなに努力しても、誰にも興味を持たれないと思っていたからだ。
「君って、真面目そうに見えるけど、危ない香りがするね」
その一言が、私の心に火をつけた。
最初は楽しかった。彼の笑顔を見るだけで心は安らぎ、仕事中も『夜のホストクラブ』を楽しみに頑張れた。けれど時間が経てば経つほどに、財布の中身は減り、借金の数字は増えていった。
昼は会社員、夜は誰かの夢を買う女。どちらの私も、私であるようでいて、どこか作り物だった。
25歳の夏、ボーナスをすべて注ぎ込んだ夜があった。高級シャンパンの泡が、まるで幸福の証のように弾けていた。その泡の中に、私の理性がひとつずつ消えていった。
あの夜のきらめきは、たぶん一生忘れない。けれど、翌朝、領収書を見たときの空虚さもまた、同じくらい鮮明に覚えている。
28歳になったのある冬のこと、蓮が突然お店からいなくなった。「夢を叶えるために、店を辞める」と言い残して。私は係長になっていた。
私は、声を殺して笑った。『夢なんて、そんなに簡単に見つかるものなの?』と。だけど本当は彼のことが羨ましくて、笑いながら泣いていた。
そのあとも、私は別のホストクラブに通った。どの男の笑顔も、蓮のコピーのように見えた。「愛してる」と言われるたび、心の奥で小さな自嘲が芽を出した。
ここで言う愛とは、値札のついた幻なのだと、ようやく気づいた。
30歳の誕生日。
高校の同級生と居酒屋で飲んでいる時に、突然お店が真っ暗になって店員さんがケーキを持ってきた。「おめでとー!」とお店にいた人たち全員から祝福されて、ろうそくの火を吹き消す瞬間、なぜか涙が出そうになった。
祝いの言葉が、私には少し重すぎた。
夜、スマホにメッセージが届いた。“久しぶり。覚えてる?蓮だよ。”指が震えた。蓮との様々な記憶が、一気に蘇った。
次の日、私は彼が経営するバーを訪ねた。小さなカウンター。ジャズが流れていて、薄暗い照明が懐かしかった。彼は少し痩せていたけれど、笑顔は変わらなかった。
「遥、変わらないね」
「蓮は少し、疲れた顔してる」
ワインを飲みながら、二人で沈黙を分け合った。誰かと無言で向き合っていられるのは、ほんとうに親しい人とだけだと知ったのは、この夜だった。
やがて彼が言った。
「ごめん。俺、病気なんだ」
「治るやつ?」
「いや。終わるほうのやつ」
グラスの中の氷は音もなく溶け続けていた。
私は何も言えなかった。泣くほどの愛はもう残っていなかったが、笑うほどの強さもなかった。
帰り際、彼がポケットから一枚の紙を出した。それは、昔、私が彼に渡した“婚姻届”だった。若気の至りという言葉では片づけられない。愛という名の汚点、夢という名の利息。
「これ、返すよ」
「こんなの、もういらないわよ」
そう言って、私はそれを店のキャンドルの火で燃やした。灰になって消えた紙の匂いが、なぜかとても懐かしく感じた。
店を出ると、夜風が頬を撫でた。スマホが震える。会社の上司からのメッセージ。
『明日の会議、よろしく』
その通知を見て、私は小さく笑った。
昼も夜も、全く同じ舞台装置の中にいるのだ。役柄を変えただけで、本質は何も変わらない。
それでも、私は今日もキャリアを追い求める。そして誰かを愛そうとする。たとえそれが、値札のついた愛でも。
お金は愛の形をしている。そして愛もお金の形をしているように思う。どちらも泡のように、指のすき間からこぼれ落ちていく。
それが、私が感じたこの十年の出来事。