さて30番台に入ってくると、元は指導者がたまにつける番号でありますし、その後はまず入団して実績を積むと出世していく番号でもありました。

 

主に内野手のイメージが強いですね。

でも、初めは投手が数人つけ、その後は捕手。

1964年の優勝の時、助っ人のバーンサイド投手が付けていました。2年間に5勝ずつで大きな活躍はできませんでしたが、そこそこ先発の一員で貢献していました。

 

その後7番のところで書いた池田、今西という外野手が付けた後、加藤博一が付けました。太平洋から移籍してきて、阪神で名前を挙げた選手です。芸達者で、芸能人のような社交性のあった選手で、盗塁王を争ったのは印象強かったです。32番の時でしたね。そして8番に出世した後大洋にトレードされていきます。

 

その後は引間という内野手が付け、山口、助っ人のクールボー、マース、そしてオリックスから本西が1年つけ、坪井に引き継がれていきます。

初年度にいきなり3割を打ち、表彰された天才打者。2年連続3割を打ち主軸として期待されていましたが、けがに悩まされ、星野政権の時に日本ハムにトレードされました。

 

その後出戻りの久慈が付け、前田を経て、メンチ、水田と来て、中日から来た新井良太が数年つけ、DeNAを自由毛役となった山崎が2年つけていました。

そして今年から井上広大が、大きな期待を受けてつけています。この番号を大きくするか?それとも出世していくかですね。

 

あと一歩で盗塁王の加藤

 

新井良太も熱かった

 

今はスコアラーの山崎

 

そして井上広大