利己的な遺伝子 | つれづれに…

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リチャード・ドーキンス博士の「利己的な遺伝子(The Selfish Gene)」を読みました。

1976年に発刊された本書は、日本では1980年に「生物=生存機械論-利己主義と利他主義の生物学」(1991年に「利己的な遺伝子」に改題)として紹介されました。 私が読んだのは2006年に発刊された30周年記念版です。

   生命には意味があるのか?
   われわれはなんのためにいるのか?
   人間とは何か?

ダーウィンが生物個体の観点から取り組んだこの問いを、本書では遺伝子の立場から解きほぐしていきます。

1989年版のまえがきで、ドーキンス博士はこう語っています。
   利己的遺伝子説はダーウィンの説である。
   ただ目新しいイメージで表現されているだけなのだ。
   個々の個体に焦点を合わせるのではなく、
   遺伝子俯瞰図的見方をとっているのである。

そして冒頭、ドーキンス博士は、どんなに利他的(自己犠牲)に見える行動も遺伝子の立場から見ると、結局は利己的である、と言い放ちます。

   まず、利他主義にとっての誤った説明を取り上げなければならない。
   生き物は「種の利益のために」、「集団の利益のために」ものごとを
   するように進化する、という誤解である。



ここで、疑問が湧きますよね。
「だって、親鳥は身を呈して雛を守るし、群れをなす鳥たちもタカを見つけたら自分ひとりで逃げないで仲間に知らせるじゃない! これのどこが利己的なんだ?」はてなマーク

この疑問に対し、ドーキンス博士は、「利他的」、「利己的」と言うのは、誰の立場から見るかによって変わる、と前置きし、以下のように説明します。

つまり、生物個体からみると親鳥は自分自身を犠牲にして雛を守ることが「利他的」に見えますが、遺伝子全体から見ると、その行為によって親鳥が犠牲になったとしても、雛を通じて親鳥の遺伝子が生き延びる確率が上がれば、それは利己的な行為となるのです。 (雛には親鳥の遺伝子が50%の確率で存在する)
つまり、遺伝子にとっては、自分が乗っている個体(つまり生物の身体)を犠牲にしても、自分自身の遺伝子の繁栄を優先するというんですね。

さらにドーキンス博士によると、群れをなす鳥が、タカの襲来を仲間に知らせるのも、仲間のためを思うからではなく、タカに気づかない他の鳥が知らずにタカをおびき寄せてしまうのを防ぐためのものだし、自分だけ逃げないのも、自分が孤立無援にならないためだ、とのこと。

おぉっ、そうなのか!?
遺伝子は自分が生き残るためには、個体を犠牲にもするし、仲間(遺伝子から見ると仲間ではないが…)を盾にもするのか… ガーン

さらにドーキンス博士は、

   異なる個体の遺伝子の利害が多様化していけば、つねに、
   うそやだましや、コミュニケーションの利己的な利用がおこりうる
   動物のあらゆるコミュニケーションには、そもそも最初からだます
   という要素が含まれているのではないだろうか。

とまで言っています。
何か動物不信(?)になりそう… しょぼん


本書におけるドーキンス博士の主張は、
   遺伝子とは自分が生き残ることだけを考える
   利己的なプログラムであり、

   われわれ個体は、遺伝子を生き延びさせるための
   単なる乗り物(ヴィークル)」でしかない


ということ…

うーむ、遺伝子の目的は唯一、自分自身が生き残ることであって、単なる乗り物にすぎない個体を生き残らせることではないのですね。

だからこそ博士はこう力説するのです。

   私たちは、子どもたちに利他主義を教え込まねばならないのだ。
   子どもたちの生物学的本性の一部に利他主義が組み込まれて
   いると期待するわけにはいかないからである。



さらに遺伝子は自分の生き残りのために個体どころか、種を越えて、他の生き物をコントロールする場合があるのです。これを、本書では「延長された表現型」と称しています。(たとえば、カタツムリの殻に寄生する吸虫が何らかの化学作用により、カタツムリに殻を厚くさせ自分を守る等)

本書では他にも、遺伝子の「進化的に安定な戦略」 (ESS: evolutionarily stable strategy)や、働き蜂の一見「利他的」に見えて、実は遺伝子にとっては「利己的」である行動などが具体的に説明されています。


そして、本書の後半では、人間の文化というスープから生まれた新たな自己複製子「ミーム(meme)」が紹介されます。
これは文化伝達の単位、あるいは模倣の単位という概念のことで、ギリシャ語の「模倣(mimeme)」から名づけられています。簡単に言うと、「模倣」を通じて伝わっていく文化のことですね。

そのミームについてドーキンス博士はこう語ります。

   われわれが死後に残せるものが二つある、遺伝子とミームだ。
   遺伝子の乗り物である私たちは、3世代もたてば忘れ去られて
   しまうのに対し、ソクラテス、ダ・ヴィンチ、コペルニクス、
   マルコーニ…彼らのミーム複合体はいまだ健在ではないか。

しかし、一方でミームは、宗教や政治や文化などへの「盲信」を生み出し、理性的な問いをくじく利己的ミームとなる危険性もはらんでいるとドーキンス博士は指摘します。

そして博士は言います。
   私たちは、私たちを生み出した遺伝子に反抗し、
   さらにもし必要なら、私たちを教化した利己的ミームにも
   反抗する力がある
、と。


本文で400ページ、補注等も入れると500ページを超える大作ですが、事例が具体的であるため分かりやすく、生命の本質的なプログラムの一端に触れたような気になります。

そして、ドーキンス博士が言うように、純粋で私欲のない利他主義を、(たとえそれが自然界には安住の地のない、そして世界の全史を通じてかつて存在したためしのないものであったとしても)、私たち自身が計画的に育成し、教育することができる、と信じたいですね。


   この地上で、唯一われわれだけが、
   利己的な自己複製子たちの専制支配に
   反逆できるのである。



利己的な遺伝子 <増補新装版>
リチャード・ドーキンス
紀伊國屋書店