ヤマトンチュとヤマトンチューは違う? | 時を呼ぶ声

大阪人にとって、遅れて当然の沖縄時間というものがどうにも耐え難いものらしく、沖縄の悪口が出るのは、自分の周囲ではなぜか決まって大阪人からばかりである。いわく、沖縄の人間が傷害沙汰を起こしても地元紙はスルーするけれど、内地の人間が交通事故でも起こそうものなら大々的に非難めいた論調で記事にして云々。そこまで露骨ではないにしても、石を投げれば親戚に当たるような村落共同体の伝統が色濃く残った社会では、身内をかばう意識や、その裏返しでよそものに厳しく当たる空気というのは少なからずあるんじゃないかとは思う。

沖縄では内地の人間のことを「ヤマトンチュ」と言うのだけれど、これを「ヤマトンチュー」と語尾を伸ばす言い方にすると、まるでちがった意味になってしまうらしい。

2010年8月13日の産経新聞朝刊で佐藤優が以下のように述べていた。



例えば沖縄人を「ウチナンンチュー」、日本人を「ヤマトンチュー」と沖縄語的な表現で書く新聞がある。でも、これを直訳すると「バカども」というニュアンスになるんですよね。

「ヤマトンチュ」ならば「日本人」ですが、語尾を「チュー」と延ばすと「バカモノ」というニュアンスが入る。沖縄の人が「ヤマトンチュは」と言うときと「ヤマトンチューは」と言うときは、ニュアンスが違う。自分たちを「ウチナンチュー」と自称することも絶対にない。「ウチナーンチュ」と自称します。そのあたりを明確に書いた人は芥川賞作家の大城立裕先生ですが、こういう沖縄の人々の感覚をどうつかむかが大切なんですよ。

佐藤の母は沖縄戦の際に摩文仁の丘の壕に避難していて、米兵に見つかって自決用に持っていた手榴弾のピンを抜いた時、隣にいた日本兵に「死ぬのは捕虜になってからでもできる」と止められたという経験の持ち主である。

この「チュ」と「チュー」のニュアンスの違いについて、沖縄人に聞こう聞こうと思っているのだけど、そうした機会があっても大概はこのこと自体を忘れていて、まだ実際には確認はしていない。

大阪人がエセ大阪弁を喋るテレビドラマにむかつくのと同じで、沖縄人にしてみたら、内地の人間が知ったように「ヤマトンチュ」とか「ウチナー」とか沖縄の言葉を使ったら、なんとなくざらっとした違和感を感じるのではないか。「チュ」と「チュー」の違いを指摘する佐藤優の話は、「何事も知ったふりがいちばんよくない」ということを言っているような気がする。