ダンスとの出会い-其の23 教師の道へ | 北九州市立高校ダンス部 N9SD CREW

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北九州市立高校ダンス部N9SD CREW(North→北 9→九 States→州 D→Dance)は1999年5月に結成。ストリートダンスを主体に様々な大会に挑戦中です。活動を通じてダンス界の地位向上・発展に貢献したいと考えてます!

思いがけず「福岡県教員採用試験」に合格してしまった私。


嫌だったら辞めればいいと思いながらも、まだ教員になるのを躊躇っていた。



「ダンスは続けれれるのだろうか?」



これを考えたら今一歩の踏ん切りができなかった。


福岡県での採用となれば、福岡県内どの地域に行ってもおかしくない。


場合によってはとんでもない田舎に行ってしまうかもしれない。



「ん~(悩)」



そんな時に私は、自宅へ着替えを取りに戻った。


少し私の家庭環境についてお話しすると…。



私は一人っ子である。


家族構成は、父母と3人暮らし。


父親は家庭に無関心。何かあっても何も言わない。


母親は仕事で海外に行ってることが多く、ほとんど家にいない。


しかし、顔を合わせるととにかく口うるさかった。


私は大学時代は一人暮らしをしていたが、現在は実家に戻っていた。


しかし、友達宅を転々とし家にはほとんど帰っていない…。




自宅へ戻ると「ウォ(驚)!」




いつもはいないはずの母がいた。


この頃、顔を合わせると、常に私とバトルを繰り広げていた母。


大学時代、九州にほとんどいなかったドレッドヘアーをした私を見て激怒した母。


「頼むから親戚の前には顔を見せてくれるな。」と懇願してきた母。


大学の卒業式にスーツではなく、アディダスのセットアップで参加したことがわかり呆れ果てていた母。


実は私がダンスやってるなんて微塵も知らない母。


全く親の言うことを聞かないバカ息子だった私に、「もうあなたとは関わりません。」という決別書を書いてきた母。




どうしようもないくらい手が付けられなかったんだと思う…。




その母と、久々に実家で鉢合わせ。


私の顔を見るなり「ちょっと来なさい!」って怒鳴る母。



「これはヤバい…。」



母親の前に座らされる私。



「大体、アンタはいつまでも何考えてんの??」。



チッ!これは、いつもより激しいパターンや…。面倒臭いなぁ…。。。




「あっ!」




戦闘態勢の母に私は封筒を渡す。




「何これ!?…んっ…。」



「俺、教師になるわ。」




何も言わずうなずいた母は私に封筒を返した。



この時は何とかこの場をしのげたとしか思わなかったが、母は私の「教員採用試験」合格がとてもうれしかったみたい。


後から、親戚のおばちゃんから母がうれしそうに私のことを話していたと教えてくれた。


もう7年も前に癌で他界した母。


親孝行らしいことは何もしてやれなかったけど、あの時「教員採用試験」に合格通知を見せたことと、数年後私を特集したドキュメンタリー番組を偶然見たことがとてもうれしかったみたい。


少しでも喜ばせてやれたことはよかったんじゃないかと思う。




「もう引っ込みはつかんなぁ。。。」


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私は教師になることを決めた。




次回、最終回…。