旅の7日目最終日 郡山~広野町~上野
朝早めに郡山を出発しました。
ゆうゆうあぶくまラインにゆうゆう♪と乗り、
いわき、乗り換え80分ということで、朝ごはん。このパンチある看板に惹かれちゃいました。
めし小、イカの塩から、メンチカツ、カキフライ、野菜炒めを選び、しめて480円!
駅でボーッとする。これが楽しい。こういう旅の醍醐味。
常磐線、広野駅着。
ここから先は原発事故の影響で列車は走らない。
少し町を歩きましたが金融機関以外は店が閉まっているよう、
原発事故復旧の最前線基地Jビレッジ隣の二ツ沼総合公園にあるレストラン・アルパインローズさんに来ました。
店内はおじいちゃん・おばあちゃんの社交場のような。中には作業服の方もみられます。店員さんは若い女性たちで、とても元気です
大好きなカレーうどんをいただきます!
レストランアルパインローズについて→http://www.fukushima-tv.co.jp/tv-satafuku/2012/03/10/http://p.twipple.jp/3Vsh3
→http://s.tabelog.com/fukushima/A0704/A070402/7006199/dtlrvwlst/3775719/
広野駅に戻り付近を散策。さっき店が閉まってると思ったがもう少し歩いてみると、酒屋さん、婦人服屋さん、タバコ屋さん、金物屋さんなど、開いていました。この旗が立っているところは店をやってるそうです。
JRで南から原発の一番近くまで行ける駅、広野。本当は警戒区域のラインまでタクシーで行こうかと思っていた。でも、やはりその行き先をタクシー運転士さんに告げられなかった。
タクシーで境界線の前で止まり写真撮って引き返す姿をみて、周りの住民の方や原発復旧のために働く人たちがどう思うか。それを考えて、やめることにした。
その代わりに、ラインの一番近くで開いている店でご飯を食べることにした。テキパキと愛想よく働くお姉さんたちをみて、美味しいカレーうどんを食べて、そこで生活する人たちと同じ空気と味を共にするだけで、僕はここに来た意味があったと思った。
昨夜からの原発停電の報道も、常にチェックしながら、万が一のことを考えざるを得ない状況のなか、そこで生活する人たちの気持ちを想像していた。そこで働くお姉さんたちの笑顔が、本当に美しくみえた。
広野町について
2013年2月28日現在
世帯数 1,914世帯
総人口 5,232人
2013年2月15日現在
町内居住者数 731人
町内居住世帯数 425世帯
3時間くらいの滞在ののち、広野を出発、東京を目指す。
一週間の旅が終わりに近づいています。
気仙沼、白老、二風谷、塩釜、松島、郡山、広野町、そして運んでくれた列車と乗り合わせた人びと。トゥイッターやブログで、共有してくれたあなた。そんな一週間の旅。
今回の旅の目的地は、ずっと行きたいと思ってた場所、会いたいと思っていた人。
なかなか日々の仕事などでゆっくり取り組めなかったこと、いや仕事を言い訳に取り組まなかったこととも言える。
言わば宿題を果たす旅。
旅の中で、するりするりとメロディにのせ詞がでてきた。
僕のいるべき場所、東京は、だからこそ肩の力が入ってしまう場所。
もっと成熟できれば、どこにいても悠々としたココロで、泰然としていられるのだろうけど、
未熟な僕は最近東京で歌がつくれなかった。
それが、まるで、ところてんを押し出すように、スルスルと歌ができた。
東京に戻る車内、旅の10曲目できました。
『ATOMIC GROOVE』
僕なりの想いをあえて軽快なグルーヴにのせて。
そして、旅の途中でずっと流れる歌がありました。それを旅の11曲目とします。
『拝啓、あの頃の僕へ』
今回つくった11の歌は、これから厳しいメンバーの選定をかいくぐることが出来たら4/20のサントリーホールで歌うかもしれません。全滅したらごめんなさい(笑)
さあ、僕のいるべきところ、居所、東京につきました。
旅のお供してくださったあなた、旅を許してくれたメンバー、スタッフ、
旅先で出会ったあなた、
そこにしかない景色、
さまざまな人がさまざまな想いを胸に生きている、そこに流れる歌がある。
美しき日本のココロ歌たちよ。
ありがとうございました。また会いましょう、お元気で!
朝早めに郡山を出発しました。
ゆうゆうあぶくまラインにゆうゆう♪と乗り、
いわき、乗り換え80分ということで、朝ごはん。このパンチある看板に惹かれちゃいました。
めし小、イカの塩から、メンチカツ、カキフライ、野菜炒めを選び、しめて480円!
駅でボーッとする。これが楽しい。こういう旅の醍醐味。
常磐線、広野駅着。
ここから先は原発事故の影響で列車は走らない。
少し町を歩きましたが金融機関以外は店が閉まっているよう、
原発事故復旧の最前線基地Jビレッジ隣の二ツ沼総合公園にあるレストラン・アルパインローズさんに来ました。
店内はおじいちゃん・おばあちゃんの社交場のような。中には作業服の方もみられます。店員さんは若い女性たちで、とても元気です
大好きなカレーうどんをいただきます!
レストランアルパインローズについて→http://www.fukushima-tv.co.jp/tv-satafuku/2012/03/10/http://p.twipple.jp/3Vsh3
→http://s.tabelog.com/fukushima/A0704/A070402/7006199/dtlrvwlst/3775719/
広野駅に戻り付近を散策。さっき店が閉まってると思ったがもう少し歩いてみると、酒屋さん、婦人服屋さん、タバコ屋さん、金物屋さんなど、開いていました。この旗が立っているところは店をやってるそうです。
JRで南から原発の一番近くまで行ける駅、広野。本当は警戒区域のラインまでタクシーで行こうかと思っていた。でも、やはりその行き先をタクシー運転士さんに告げられなかった。
タクシーで境界線の前で止まり写真撮って引き返す姿をみて、周りの住民の方や原発復旧のために働く人たちがどう思うか。それを考えて、やめることにした。
その代わりに、ラインの一番近くで開いている店でご飯を食べることにした。テキパキと愛想よく働くお姉さんたちをみて、美味しいカレーうどんを食べて、そこで生活する人たちと同じ空気と味を共にするだけで、僕はここに来た意味があったと思った。
昨夜からの原発停電の報道も、常にチェックしながら、万が一のことを考えざるを得ない状況のなか、そこで生活する人たちの気持ちを想像していた。そこで働くお姉さんたちの笑顔が、本当に美しくみえた。
広野町について
2013年2月28日現在
世帯数 1,914世帯
総人口 5,232人
2013年2月15日現在
町内居住者数 731人
町内居住世帯数 425世帯
3時間くらいの滞在ののち、広野を出発、東京を目指す。
一週間の旅が終わりに近づいています。
気仙沼、白老、二風谷、塩釜、松島、郡山、広野町、そして運んでくれた列車と乗り合わせた人びと。トゥイッターやブログで、共有してくれたあなた。そんな一週間の旅。
今回の旅の目的地は、ずっと行きたいと思ってた場所、会いたいと思っていた人。
なかなか日々の仕事などでゆっくり取り組めなかったこと、いや仕事を言い訳に取り組まなかったこととも言える。
言わば宿題を果たす旅。
旅の中で、するりするりとメロディにのせ詞がでてきた。
僕のいるべき場所、東京は、だからこそ肩の力が入ってしまう場所。
もっと成熟できれば、どこにいても悠々としたココロで、泰然としていられるのだろうけど、
未熟な僕は最近東京で歌がつくれなかった。
それが、まるで、ところてんを押し出すように、スルスルと歌ができた。
東京に戻る車内、旅の10曲目できました。
『ATOMIC GROOVE』
僕なりの想いをあえて軽快なグルーヴにのせて。
そして、旅の途中でずっと流れる歌がありました。それを旅の11曲目とします。
『拝啓、あの頃の僕へ』
今回つくった11の歌は、これから厳しいメンバーの選定をかいくぐることが出来たら4/20のサントリーホールで歌うかもしれません。全滅したらごめんなさい(笑)
さあ、僕のいるべきところ、居所、東京につきました。
旅のお供してくださったあなた、旅を許してくれたメンバー、スタッフ、
旅先で出会ったあなた、
そこにしかない景色、
さまざまな人がさまざまな想いを胸に生きている、そこに流れる歌がある。
美しき日本のココロ歌たちよ。
ありがとうございました。また会いましょう、お元気で!