大分県中津市の地方史 大分県中津市の地方史

中津市植野にある若旗神社の由緒は承和2(835)元旦、宇佐神宮御分霊を勧請、若旗八幡宮、別名赤幡八幡宮と称したとありますから中津市内でも古く格式のある神社です。

ですから、多くの伝承があり、中津市で最古明暦2(1654)造立の鳥居があり、豊前神楽の発祥の地でもあります。

ここでは黒田官兵衛(如水)との関係にかぎり記述します。

中津における黒田の時代、慶長年間(15961612)近隣22ヵ村の宗廟でした。

天正15(1587)「城井軍記実録」によると「加来の城には三宅三太夫を籠め置き、寄せ手の総勢犬丸原に引き取り、若旗山に陣を構え-犬丸城を攻められるが」とあります。

若旗山は若旗神社の社地であり、西側に犬丸川が流れ、湾入した良港の船着き場でした。後背地は今津ですが現在の今津集落は後世の隆起によるものです。

若旗神社に犬丸城攻めの本陣がおかれたことがわかります。黒田官兵衛は犬丸城を攻め滅ぼし築城に取り掛かったばかりの中津城には犬丸城の旧材を運び用いて戦勝の記念(犬丸越中守清俊は攻め殺されます)としたので中津城は別称“小犬丸城“とも呼ばれました。

慶長5(1600)関ヶ原の戦いの時、官兵衛(如水)徳川側に起ち、如水ヶ原に軍勢を集め、ここ若旗神社に大友征討を祈願して、別府市の石垣原の戦いで大友勢に完勝します

官兵衛(如水)は勝利の礼として神田20町歩、神酒株50(50石の酒を醸造する許可)雄弓二張を奉納して黒田家の祈願所にしています。


雄弓二張は近年まであったと聞きましたが現在はわかりません。


写真は神仏習合の歴史をあらわす「仁王像」

中津市(旧下毛を含む)で最も古い鳥居です。