昨日は歯科定期検診を受けてから家に帰り、直ぐ様テレビを付け高校野球を観て(朝日放送・伊藤史隆アナウンサー実況)、

スパゲッティを湯がきながら一旦火を止め、正午にテレビ・甲子園でサイレンが鳴り、甲子園高校球児と観客様の黙祷の時にボクも黙禱をしました。

 

戦争については基本的には学校では習わなかった気がします。

年号とかは覚えさせられたけど、戦争で何人、犠牲者が出た(事は教えられたかも知れませんが・・・)、戦争の内容は殆ど知らない。これはボクが中卒だからでしょうか? 小学校や中学校では戦争の事は教えてないと思う。例えば高校では習うのでしょうか? よー分からんです。

 

思えば、18歳の時に(38年前に)、近鉄百貨店を指して、天王寺駅、阿倍野が焼け野原メチャクチャにされたんや!と、しんみりと呟く社長さんとホットドッグ屋台で一緒に移動した時に、僅かに聞いた事があります。そうお話した時、社長ご自身は何歳だったのかが分からない。50歳くらいのような気もしますが、60歳だったのか?ならば戦争体験者(軍経験?)かも? 阿倍野が空襲に遭った。

 

あと21年前、巨大病院にC型肝炎・増悪やインターフェロン入院した時、同部屋のおじいちゃん患者さんがボクと窓の風景を一緒に眺めながらボクに、

戦争中は、この一帯は空襲で焼け野原やったんや! わしらは、そういう時代を生き抜いたんや!

で、今はC型肝炎で死ぬんや!(末期肝臓がんでした) と仰ってた。巨大病院の一帯が空襲で焼け野原に成った。

 

まあ戦争経験者の話を直々にお聞きしたと言えば、詳しくでは無いとは言え2人だけですね。普通は言わないんだと思う。

 

18歳の時にダイエー中内功さんの事を書いた本を読んで感銘を受けたのですが、その中で特に戦争の事を知った時は、物凄く驚き、涙が出ました。

中内功さんは戦争に絶対に行きたくない行きたくないため、行かなくても良い方策を様々施行した結果、結局は1番最悪の軍隊場所に回されて、爆撃を受け、死ぬ間際に、すき焼きを思い起こし、周りは皆死ぬ中で近くに衛生兵が居たため奇跡で助かり、戦争が終わり、日本に戻って来、鹿児島県加治木港から神戸に帰郷して、みんなビックリした(生きてたのか!!!と言う感じで)。軍隊での報酬が(←確か??本には、そう書かれてたと思うのですが→)豆腐11丁分(13丁分??)だったとの事。

 

中内功さんは靖国には行けないと仰ってた気がします。確か、自分は卑怯者で生きて帰れた。勇敢な人々の方が死んで行った。その方々が祀られてる所には後ろめたさ、申し訳なくて行けないと仰ってた気がします。そう言うお考えもあるのだなとは深く感じましたね。