Movable Feast now in Stockholm, Sweden.

パリ(シドニー➡️シンガポール➡️上海➡️シンガポール➡️アメリカ➡️パリ)から相方と猫のシンシンと伴にウプサラからストックホルムへ引っ越して来ました。初めての北欧生活、自然の事、音楽などなどテーマを絞らずにいろいろと。


テーマ:

 

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伯母のお母さんと彼女が赤ちゃんだった時の一番のお気に入りだった写真

 

 

前編からの続きです。)クローバー

 

次にアメリカ西海岸へ向かう両親を見送った後、私達は以前から会う約束をしていたマンハッタンで相方の元同僚だった数年前に現役をリタイアした精神科医の友人の待つ近所の高層ビルの上にある韓国料理のお店に駆け足で向かいました。

 

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韓国料理を選んだのは彼女が北朝鮮の出身で韓国料理に詳しいから。彼女は華奢で背筋が伸びてまるでモデルの様な立ち姿。そして大きく膨らませた彼女の目の覚める様な銀色の髪はマンハッタンにいてもとても目を引きます。

 

彼女は北朝鮮から子供の時に両親と共に韓国へ亡命して、韓国の高校を卒業してからアメリカのエール大学の医学部に進み、波乱に満ちた人生を送ってきた歴史の生き証人みたいな80代の女性です。

 

マンハッタンという街は自分だけが被害者気取り、苦労と悲劇のヒロインの振りをしてみてもそれがばからしくなるほど、言葉に尽くせない様な様々な逆境や境遇をくぐり抜けて普通の顔をして隣で微笑んでいる人達がたくさんいます。

 

 

チューリップピンク 

 

 

彼女とのランチを終えて私達は急いでアパートへ戻ってタクシーで午後3時半に離陸予定のポートランド行きの飛行機に乗るためにLaGuardia空港へ向かい、空港でチェクインを済ませたのは午後2時頃。

 

それからなんということかビックリマーク

 

掲示板には繰り返し点滅し続ける「遅延」の表示。3時半のフライトが5時半になり、それから8時となり、それからずっと「遅延」のまま。そのうちフライト予定時刻も提示されなくなり、夜の10時半頃になって「11時にフライト予定」となってやっと飛行機に乗れる、とほっと安堵した矢先の真夜中近い11時過ぎになって「フライト取り止め」の無情のアナウンス。「あ〜やっぱりね。」という気持ちと「ここまで引っ張ってそれはないでしょ!」という気持ちが疲れた身体と頭の中を溶けかかってユルい寒天の様に上下する。(笑)爆弾

 

飛行場での遅延、キャンセルはアメリカでは珍しくないけれども、飛行場のあの気怠い淀んだ雰囲気の中、今回の様に9時間近くもロビーで待ちぼうけを喰って挙げ句の果てに真夜中にキャンセルさせられると、飛行機会社のサービス、というか良心まで疑ってしまう出来事でした。

 

もう明日の早朝飛ぶ予定の飛行機は既に満席で乗れないので、私達は飛行機で目的地に行くこと自体をキャンセルして車でニューヨークからポートランドに行くことにしました。

 

そして一旦、マンハッタン自体を抜け出したかったのでUber を呼んで車で40分ほどのTarrytown というニューヨーク郊外の街に向かったのでした。空港の外の車を待つ狭いスペースは私達の様に飛行機がキャンセルになってしまった人達でごった返し。そして急遽、探して確保したホテルに私達がたどり着いたのは早朝の2時半ころ。

 

こんなにマリオットホテルをありがたく感じたことは生涯ありませんでした〜。

 

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ホテルで熱いシャワーを浴びた後、新しいシーツの一瞬ヒヤっと肌に心地よく冷たいベットに体を滑り込ませて翌朝は7時半頃に目が覚めて朝食をとった後、レンタカーを借りるために雨降る中をまたまた車を15分ほど走らせてやっとレンタカーに乗り込んだのは午前10時頃。

 

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やっとレンタカーまでたどり着きました。

 

 

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ルート93号を延々と北に向かって。

 

その後、延々と車を走らせてやっと相方の両親の住むポートランドに着いたのは夕方の6時過ぎ。結局その前の日に飛行場に着いてから目的地にたどり着くまで24時間以上かかりました。

 

「ああ〜、もう疲れて思考力も体力もどちらもダメです。」と文句を言う暇もなく、相方の両親の家に次から次へと集まってくる家族のメンバー達。

 

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老犬アーサーもお出迎え。

 

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アメリカのお寿司の水準にしては上出来な美味しさラブラブ

 

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ペニーはすっかりお年頃の姪の引き立て役。爆笑

 

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部屋の隅で何やらヒソヒソ話し中の相方

 

皆、私達に会う事を楽しみにして来てるので、彼らの弾けんばかりの輝く様な笑顔を前にしてこちらも疲れた顔など見せていられない。

 

その日は相方のお母さんが、ニューヨークに来るための予定がキャンセルになってその費用が浮いたから、という名目でとても豪華なお寿司をダウンタウンにある日本料理のお店 Yosaku(1 Danforth St, Portland, ME 04101)から注文して寿司パーティになりました。ボタンエビがとても新鮮で美味しかった。

 

そして街中から少し離れた海辺に佇む宿に着いたのは深夜近くなってからで身体は骨の髄まで疲れているのに頭は逆に冴えて、静かな空気の中を貫く規則正しく遠くに聞こえる打ち寄せては遠ざかる波の音になかなか寝付くことが出来ませんでした。

 

翌朝は早くに目が覚めて窓の外を見ていると厚いグレーの雲の下に広がる水色の水平線。

 

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そして犬の散歩にビーチを歩く人々の姿をしばらく無心のまま微かな頭痛をやり過ごしながら眺める。

 

赤薔薇

          

 

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その日の日中は高校生になった甥の所属するサイエンスクラブでの大会だったので、家族の一大イベント、ということで私達も参加して高校生気分(?)に浸ってみました。この大会は、あの電動立ち乗り二輪車で街中を走れるセグウェイを発明したアメリカの発明家ディーン・ ケーメンさんが、毎年発明家を目指す高校生のために開くイベントでなかなかにレベルが高いそうです。

 

そして何よりも、何かに熱中している高校生の姿は、高校時代、何かと冷めて帰宅部長だった私と違ってとても生き生きとしている。(でも私はこういう熱血っぽいのは苦手かな?)かたつむり

 

相方の家族達は屋台で売られてるホットドックサンドやフライドポテトにコーラ、という感じでランチを食べているのだけれども、私は過酷なスケジュールとトーナメント会場の中のむっとした人熱れにのぼせてしまって相方に頼んで外に出してもらう。

 

そして二人で少しドライブしたところにある、以前に叔母と何度も来てその叔母のお気に入りの海辺の見えるシーフードのお店に行こう、どちらからともなく言い出して向かいました。

 

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透明な射る様な太陽の光が当たるテラス席に座って白ワインを頼んで座っていると、まるで亡くなったはずの叔母がここに一緒にいる様に近くに感じました。黙っている私達でしたが、相方も同じことを感じていたそうです。

 

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歩く後ろ姿がそっくりな相方と彼の母親。

 

 

その後、叔母の最後まで住んでいたホームに集合して、相方の弟妹と残された遺品整理。時間の止まった部屋の中、彼らは手元に残したい遺品の話し合いを始める。

 

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つい先日までこの空間を支配して、ゲストをもてなし生活をしていた叔母がもういない。

 

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前回お見舞いに訪れた時に皆でシャンパンで乾杯した時の写真。カメラで写真を撮るために席にいなかった私のために右端に座る伯母はこちらに向かってわざわざ乾杯をしてくれたのでした。

 

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数ヶ月前に伯母に会いに行った時ベッドの上に座る相方とドアの窓ガラス越しに映る伯母の横顔の反射。

 

 

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そこには伯母の姿はもうないのでした。

 

 

あんなに人を容易に信用せず、自分の持ち物には執拗なほどの愛着を持って他人に簡単には触らせなかった数々の品々が今はいとも簡単に持って触られ、そして持ち運ばれようとしている。

 

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伯母の子供時代の写真。

 

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相方は長男なのだけれども、彼の弟さんと妹さん達は家族の歴史を刻む古く思い出の積み重ねはあるけれども実用性のない品々はどんどんと長男の相方に押し付けて、その他のデザイン的に優れて価値のあるものは次から次へと自分のものにしていく彼らを遠くから眺めているとちょっぴり微笑ましい。長男って世渡り下手で損なんだな〜、と末っ子に産まれた私は思いました。(笑)

 

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相方の赤ちゃん時代の写真も発見。ドキドキ

 

相方のお母さんはそれまで一番叔母の実際的な面倒を見てきて、それこそ19歳で結婚して79歳の今日まで60年間のスパンで互いの人生を見てきた歴史があるのでその叔母の死後の空っぽになった叔母の部屋を訪れる事は辛い経験だったに違いありません。

自分の生きて来た歴史を直に知っている身近な人を見送り、残された後には物言わぬ思い出の品々のみが残されて、それらもあっけなく跡形もなく方々へ散らばって消えていってしまう。

 

 

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とても新鮮なロブスターのサンドイッチ。伯母の大好物でした。

 

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その後しばらく宿に戻って休憩をとった後、相方の妹夫妻の庭に集合して叔母を思いながら皆で美しい茜色の夕空の下でシャンパンを開けて、叔母の好きだったロブスターサンドをワイワイと賑やかに食べる。叔母はこういう飾らない集まりが好きだったからあの独特なニヒルな笑みを口元に浮かべながら一緒に私達とこの空間を分かち合っていたに違いないと思います。

 

その夜はぐっすりと眠ることが出来ました。

 

翌朝、相方と波の荒い海岸を潮風を全身に受けながら長い間、無言で歩いて、二人で叔母の死によって終わりを告げるある家族の時代と歴史、そしてこれから広がる甥達の新しい世代の将来に想いを馳せました。これからの甥達の世代は叔母や相方の母親の生きた銀食器を日常生活に使ったblue blood の階級社会のスタイルとはまるで違った、新しい時代と日常を生きていくことでしょう。

 

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最後の滞在の日の朝、相方のお母さんの家を訪れて紅茶を飲みながら談笑した後、別れを告げて、車から後ろを振り返って見てみると、明るく朗らかな、吹っ切れた様な笑顔で手を振る彼女の姿が見えました。

 

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それは私達に「心配しないで」という相方のお母さんからの精一杯の思いやりの真心のプレゼントの様な気持ちがして、私も思いっきり彼らが見えなくなるまで窓から身を乗り出して手を振りました。

 

 

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90歳を生きた叔母はいつも、「もう充分生きた。私は本当に疲れてるのよ。」とその時を心待ちにしていた様に思います。

 

楽しむ事がとても得意だった叔母。

 

植物が大好きだった叔母は私に「昔はお花の手入れが得意でゼラニュームや胡蝶蘭をたくさん咲かせたのだけど、今はもう余力がなくて駄目。エネルギーがないの。」と数ヶ月前言っていました。楽しむエネルギーが身体からなくなった叔母はその時、何を思っていたのでしょうか。

 

最後は苦しむ事なくこの世での幕を閉じる事が出来た叔母は心から安堵した事でしょう。

 

ピンク薔薇暖かで透明な光が降り注ぐこの世の白いレースのカーテンの間をすり抜けて、少女の様に足取り軽く駆けながら光の向こう側へ、一瞬振り返って微笑みながら去って行く叔母の姿が心の中に浮かんでくるのでした。ピンク薔薇

 

 

 

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