今年で13年を迎える3.11
わたしも岩手で「あの揺れ」を体験し
ガソリンの入手困難、コンビニに何もない、スーパーに行ったところで・・・
テレビをつけても、涙が出・・・
仕事にも行けず、これからどうなるのかという先々の不安と向き合いながら過ごした事も思い出します
1月に、福島、宮城の沿岸に出かけてきました
目的は、別にあったのですが、2泊3日の天気がとても良く
ふと・・・海が見たくなり、ならば震災遺構に行こうと進路を変更し福島の北部から宮城の沿岸を走行していきました
福島の北部に出、すぐに宮城に入ったところ
中浜小学校
山元町震災遺構中浜小学校 - 山元町ホームページ (town.yamamoto.miyagi.jp)
ガイドさんの話を聞いてきました
津波が来た方角が一つではなく二つだったのではないのかと、一定方向ではない倒れた構造物
そんな状態で生徒全員無事に助けることができた学校です
荒浜小学校
震災遺構 仙台市立荒浜小学校 (sendai311-memorial.jp)
9時半からの開館と同時に駐車場についたのですが、何台かのバスから、小学生が降りてきました
集合し、先生やガイドさんが挨拶をしている様子を見ていましたが
この子達は震災を経験していない子達なんだなと
わたしにとって3.11は、この前のような、そんなに遠くではない時間感覚があります
しかし小学生の背格好から学年を想像し、こんなに大きくなるほどの年月が過ぎたんだと、自分の感覚と外側に目を向けて感じる「差」
「3.11」と「現在」
年月の距離に違和感です
当時、ガラケーでワンセグを見ながら、耳に入ってきた初めての情報
「仙台市荒浜地区で200から300の遺体」というアナウンサーの声でした
荒浜の地域の看板を見たり、聞いたりすると、この数字が必ず浮かびます
大川小学校
石巻市震災遺構 大川小学校 – 災害メモリアルに学び、描く未来 (miyakyo-u.ac.jp)
ここは北上川の河口のそばにあるのですが、ここに着くまでに北上川沿いを走りました
天気も良く、川面がきらきらと光っていました
とても綺麗でした
信号で停車し、青に変わって徐行し始めてすぐ、大川小学校が存在しました
目の前に現れた、という感覚でした
この日は、あいにく休館日でした
車から降り、土手から北上川を眺め、空を見上げ、車に戻りましたが
車内から小学校の「裏山」を見、その場を後にしました
ここに来る前、足を運んでいいものかどうか自問していました
しかし
中浜小学校でガイドをしてくださった男性に、この心情を話したところ
「行ってみてもいいのではないか」
「なぜ、裏山に逃げなかったのか、同じ教師として怒りが出ました」
「行ってみればわかると思いますが、学校のすぐ裏に山があるんですよ」
このガイドさんは当時、中学校の校長をしていて、高いところにある校舎から10メートル程の津波を見たと話してくださいました
気仙沼の高校
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 (kesennuma-memorial.jp)
ここは学校の三階に、津波が運んできた車が残っています
そして、二つの校舎の中庭ような場所に入って周囲を見渡した時に、海側の校舎の窓ガラスの三階部分が無くなっているのに対し、反対側の校舎の窓ガラスは、三階から窓ガラスがあったことに気づきました
海側の校舎がクッションの役割を担い、反対側の校舎の三階部分のガラスに影響があったとのこと
ここに、体験者の映像のスクリーンエリアがあるのですが、閉館時間も迫っていたことと、少しだけ見て、涙が流れてきたので、すぐに出ました
見ていられませんでした
今回、四つの震災遺構に足を運びましたが、大川小学校だけは入れずでした
ガイドさんの話
震災遺構の空気感
そこに漂う「気」というのでしょうか
ジオラマ
震災遺構でのスクリーンの内容
校舎の柱にまとわりつくようなパイプの在り方が不気味で異様でした
海水の威力でこんな状態になるのか?
三階校舎、教室内に不自然な状態で存在している車
目に見える「遺構」
目には見えずらい、たくさんの人たちの「心の内」
13年が経っても
割り切れない
割り切ることではない
わたしの3.11
リチャード・ロイド・パリー
「津波の霊たち」
是非、この本を読んでほしいです