いろんな「いじめ」に遭いました。


あっけらかんと言われたことも、
陰湿にネチネチとやられたことも。


鈍感に気付かないふりをしていましたが、
もちろん、やっぱり傷ついていました。


だけど、やり返したことはないんです。


そして、泣いたことも、
親や先生に訴えたこともないんです。


なんで!?


自分でも深く考えたことはなかったんですが、
多分、「アトピーだから仕方ない」と思っていたんですね。


アトピーで見た目がひどいから
誰かにそれを指摘されたり、気持ち悪いと言われても仕方ない。


「そりゃ、気持ち悪いよね」って。


そして、
私がアトピーになったことを自分たちのせいだ。申し訳ないと思っている親を
もっと苦しめることになると思って、一度も言いませんでした。



今、よくあるいじめの構図と同じなんでしょうか。


いじめられる子が一人で傷ついて、我慢して、
反対に自分が悪いんだと思い込む。



今、改めて考えると
なんてかわいそうなんだろう。


大声出して泣いたらいいよ。
泣いて訴えたらいいよって、言ってあげたくなります。

ギュッと抱きしめて、一緒に泣いてあげたくなります。



****************



もし、あなたや、あなたの子供さんがアトピーだったら
一人で抱え込まないでね。


きっと道は開けるから。
受け入れてくれる人はいるから。


昔の私みたいに、しんどくなる人がいないことを祈ります。




アトピー辛さランキング 第3位 「考え方を縛られる


「アトピーに考え方を縛られる」
これを辛かったことの第3位にしました。

これは当時は辛いとは感じていませんでしたが
もしかしたらほんとはこれが一番辛いことかもしれません。



あまりにも肌がひどい状態だったため、
私はだんだん現実を余り見ないようになりました。
いわゆる現実逃避ですね。


空想好きな女の子。

自分の作った世界の中で
自由に生きる女の子。


お城に住むお姫様になって
空飛ぶペガサスに乗っていたこともあったし、


拳銃を片手に一人強盗に立ち向かい
殉職する刑事になっていたこともありました。


   …書いてて恥ずかしいわ(*^o^*)
      ま、小学生ですからねぇ…。


あとは、ひたすら本を読んでいました。
特にアルセーヌ・ルパンのシリーズが大好きで、
全巻読みましたね。
たまらなくダンディーなルパンの世界に
どっぷりと浸りこんでいました。



でも、そんなふうに過ごしていても、
どうしても現実に戻される時はありました。


本を読んでいても、
自分の手や腕は視界に入ってきます。


それが嫌で、本は机の上に広げた状態で置いて読んでいました。
また、教室ではずっと引き出しの中に両手を入れていました。


字を書いたりするときだけ、出して来て
書いたらまた引き出しへ。


両手はいつもポケットの中へ。
よく手を出せと怒られましたが。


見ないで済むように
静かに過ごしていました。




ところが、


自分でも不思議なんですが、
4年生くらいだったでしょうか?
テレビに出たいと思った時期があるんです。


当時、NHKで「中学生日記」という番組をやっていました。


これは名古屋の中学生たちが出演して、
いろんな学校生活のあれこれを演ずるドラマでした。


あるとき、この出演している中学生が
地元のごく普通の中学生なんだと知ったんですね。

それなら、私も出られるかも♪

って単純に思ったんです。


ただ、何度かテレビを見ていると
主人公が友達に本を渡す場面なんかで
手の大写しの場面があるんです。


それを見て、
「私が出る時には、手の大写しはやめてもらわなくちゃ」と
真剣に(笑)考えていました。


でも、そのうち、
「いや、手だけじゃないや、顔のアップも困るわ」
「足の荒れてるところが映るから、スカートはダメね」


…と、ようやくのこと、テレビに出られるような肌の状態じゃないと
深く自分で納得したんですね。


自分が自分を見て嫌だっていう以外に
人から客観的にどう見られるかっていうことに
ようやく思い至ったんです。


バカみたいですが、これは割と大きな経験でした。



自分のやりたいことがあっても、
まず先にアトピーでもできるかどうか?

それを考えないといけない場合がある。


私は、そんなふうに学んでしまいました。



それ以後も、部活であったり、就職であったり、
あるいは異性との交際や結婚、出産についてでも、

いろんな場面で「アトピーだからできない」という考えに
私は縛られていってしまいました


「テレビに出たいけど出られない」
これはその考えにはまってしまった
最初の1歩だったように思います。




アトピーが一番悪化していた小学校時代。
私がその頃一番辛かったことは…。


アトピー辛さランキング 第1位 「かゆさ


我慢のできないかゆさ。


かいたらもっとひどくなる、というのは分かっていても
かかずにはいられなくなるかゆさ。


神様はひどいなと思いました。


だって、かゆいところをかいた時には気持ちいいんです。
スーッとするんですね。


でも、その直後に痛みや血が出て、もっとひどくなるんです。
それが分かっていながらも、かかずにはいられないこと。


なぜかいたら気持ち悪くなるように体をつくってくれなかったのか
ちょっぴり神様を恨みましたね。



アトピー辛さランキング 第2位 「荒れ


特別なことを何かしたわけでもないのに
いつも肌がかさかさ。ごわごわ。ボコボコ。

そしてところどころは血だらけ、かさぶただらけ。


何かを持てば指が割れ、
字を書けばノート血がつく。
ちょっと動くと、はがれた皮膚が舞う。


痛いし、見た目は悪いし、
いつまでたっても治らないし…。


そんな状態がとにかく辛かったですね。



※第3位は長くなるので、次に。




そして、私は小学生になりました。


いつしか、東京では都電が姿を消しました。

通行する車の数が増えて、
都電があると走りにくかったからのようです。


昭和40年代は爆発的に車の数が増え、
そして、空気汚染へとつながっていった時代です。



小学生の頃、しょっちゅう校庭に「赤旗」が立ちました。
「光化学スモッグ注意報」が出ると「赤旗」で外遊び禁止。


どんなにいい天気で、外で走り回りたくても
決して校庭で遊ぶことは許されませんでした。
(登下校は普通にしていましたが)


高度経済成長で産業が飛躍的に成長して、そのツケのように
四大公害訴訟(イタイイタイ病、水俣病、新潟水俣病、四日市喘息)
などが表沙汰になりました。


日本全国がいろんなもので汚染されていた時代です。


今は中国のPM2.5が問題になっていますが、
あれと同じような状況が40年前の日本にもあったのです。


身近なものでは、食品添加物もテンコ盛りでした。

後に発がん性などの問題を起こした添加物も
まだ自由に使えていた時代です。


…そう、小学生の私は、
もしかしたら食品も空気も水も
知らないうちに汚染されているものを
たくさん摂っていました。
もちろん、何の疑いもなく。


だからといって、私の同級生たちが今、

みんな病気になっているわけではありません。


でも、何かが作用して、アトピーをさらに悪化させていたということも
考えられるかとも思います。


昭和40年代。私は小学生。
アトピーが一番悪化していた時代です。







アトピー歴50年のサラです。


幼稚園に入園するまでは、
ごく普通の活発な女の子でした。


兄たちやその友達に混じり、
短い髪に野球帽をかぶり
男の子とよく間違われていた私。


近所の子どもたちと何のわだかまりもなく、
毎日よく遊んでいました。


赤ちゃんの頃から一緒にいたせいか
アトピーのことで何かを言われたとか
された記憶はありません。


親同士で何かをしていたからというより、
多分、ごく普通のこととして
受け入れてくれていたように思います。


他の子のことまで気にならない。
それくらいに、その頃はまだみんな小さかったのです。



幼稚園に入ってからも私はのびのびと過ごしていました。


「園庭で男の子に混じって走り回ってる子がいるから
 誰かと思ったらサラちゃんなんですよ」と

担任の先生に言われていたくらい、
入園してからも活発に遊んでいた私。



それが崩れたのは、お遊戯の時でした。


手をつないで踊る時に、
どうしても手をつないでくれない男の子がいたのです。


他の子らがみんな手をつないでいくのに、
どうしても手をつないでくれない。


「ねえ、早く!」と催促しても「いやだ」と
首を振るばかり。


何度か先生に「手をつなぎましょう」と声をかけられて
ようやく、つないでくれました。


でも、指先だけ。


ほんの指先1センチほどを、ちょっとつまむようにして
手をつないだのです。


「???????」


そんなことをされたことがなかった私は
最初意味が分かりませんでした。


次の時も、その次の時も、そんな感じ。


でもまだお遊戯のほんのちょっとの時間だったので
それほどよく分からず過ぎていきました。



でもついに、遠足で長時間手をつながなくてはいけなかったとき


その子は手をつなぐ代わりに
私の幼稚園のスモックの袖をグイッと引っ張りました。

そして、手全体を袖の中に入れ込んで、
スモックの端を握ったのです。


よくぞ思いついたものです。
何が何でも荒れた手に触りたくなかったのでしょう。


他の子らみんなが普通に手をつないでいる中で
明らかにおかしなこの対応に、
さすがの私も、
「この手のせいだ…」と気づいたのです。



それまでにも何かあったのかもしれませんが、
ずっと気づかずに過ごしていました。
鈍感だった私。
鈍感だから、幸せだった私。


平和に過ごしてきた私の幼児時代
初めて心に痛みを感じたできごとでした。



私が生まれたのは昭和30年代の終わりですが、
当時はどのような医療が行われていたのでしょう?


あの頃、通っていたのは、
どこかの大きな病院でした。


それは、近所の町医者ではどうにもならないと思って
大きな大学病院のような大きなところに行っていたのか
経緯はよく分かりません。


当時、東京都内に住んでいましたが、
都電に乗って通っていました。


降りるときに鳴らす音から
「ちんちん電車」と呼ばれていました。


古い都電
            (ウィキペディアより転用)


懐かしいですね。
車内は木製で、固い木のベンチがぐるっと付いていて
そこに膝立ちで後ろ向きになって外を見てました。

くつは揃えてぬいでましたよ。
なんだかサザエさんに出てきそうな風景でしょ?
ベンチには薄いクッションもあったでしょうか。


木のきしむような音やニオイが

なんとなく思い出されます。


今は岡山、富山、大阪なんかに残っていますが、
東京にも荒川線という1線だけが残っているんですね。
また乗ってみたいですね。


昭和40年代の東京には都電が縦横に走っていたようで
確か2つくらい乗り継いで、遠い大学病院(だと思う)に
通っていました。


病院が混んでいるのは、昔も同じ。
長いこと待って、診察してもらって、薬をもらってました。


手当としては、
かなりベターッとした青色のクリームをたっぷり手に塗り
その上にガーゼをあて、包帯でグルグル固定していた
というのを覚えています。

単なる保湿???


だから、家でも寝る時に
同じように包帯でグルグル巻きにしていたんでしょうね。


確か毎週のように通っていました。


待ち時間がとても長かったのは退屈でしたが、
帰りに病院の食堂に寄って
食べさせてくれるのが嬉しくて通っていました。




幼少期、かゆいかゆいが続いたサラです。


私のアトピーはどこから来たんでしょうか?
やっぱり遺伝?


私の母も小さい頃は
青魚を食べるとじんましんが出るという
アレルギー反応があったそうです。


でも、大人になる頃には治ってました。

一度、毛虫にさされて腕が真っ赤に腫れ上がった以外で、
皮膚科にかかったことはない人です。


父も皮膚科には縁のない人です。
何かにかぶれたようなことは見たことがありません。


両親の両親。
つまり私の祖父母になると
今となると全然分かりませんが、
幼少期の記憶で、アトピーっぽい様子や動き?を
見たことはありません。
たぶん、普通の肌だったような気がします。


ということは、遺伝は余り関係ないのでしょうか?


ちなみに、私には兄が2人いますが、
長兄は皮膚科にかかったことはありません。


男のくせに!白くてきれいな細い指が印象的な人です。
ほんっとうらやましい。


日焼けしたあとも
真っ赤になって、皮がむけて、おしまい。
肌トラブルとは無縁です。


次兄は残念ながら、やはりアトピー持ちです。
私と割と似たような感じで
大人になってからも長い付き合いです。


私もですが、
日焼けするとグチュグチュに荒れて
やっと収まってみると
白黒まだらに色が残ります。


かきむしったところの皮だけがとれていて
他のところは黒肌のまま残るから。


きれいに皮がむけるのってあこがれますね~。


また、仕事のストレスが重なってくると
肌もひどいことに…。


…となると、やっぱり私の家系の中に
何らかのアトピー遺伝子?みたいなのが
あるのかもしれませんね。


ばば抜きじゃないけど、
その遺伝子を引かなかった長兄は全くトラブルなし。
うっかり引いちゃった次兄と私はアトピーへ。
そんな感じなんでしょうか?


同じ兄弟でも違うのが不思議。


ちなみに私の子どもたちは
アトピーを発症していません。
アトピー遺伝子は行かなかったかな?


ただ、肌が弱いところはあります。
最近多い、大人になってからの発症にならなければいいなと
切に願いますね。




生後半年ぐらいからアトピーを発症したサラです。




発症した最初がどのような状態であったかは、

私はもちろん覚えていないですが、

母も覚えていないそうです。






たぶん、普通によく見られる乳児湿疹があって

それがきれいに治りきらないで悪化していった

という感じなのだと思います。




生後半年すぎがちょうど夏になるので

今のようにクーラーもない時代、

「あせも」もひどかったんじゃないかな?




そして、ひどく悪化したのがいつなのか

それもよく分かりませんが、

小さい頃から全身がかゆかったように思います。

ちょうど、こんな感じですね。




1歳 かゆい状態





これは1歳半ぐらいの写真ですが、


パッと見は、アトピーによる肌の荒れは分かりません。


少しひじの内側が黒っぽいかな?ぐらい。




でも、かゆみからか、いつもこんな困ったような顔をして

体のあちこちをかいていたような気がします。


あんまりにこやかに笑ってる写真がないんですよね(>_<)




そうそう、首筋とかってかゆいんだよね~。




物心ついてから覚えている状態で


特にひどかったのは




手、腕、足。

手は指から手の甲、手首。

腕はひじの内側。

足はひざの裏側。




このあたりは常にかきむしっていて

すぐ血だらけ。




かさぶたになる前にまたかきむしってと

きれいに治る間がありませんでした。




また、全身のかさつきもひどく

顔はガサガサしていました。

耳の下だけでなく、耳の横や上、


耳と顔のつなぎ目がよく切れていて

痛かったですね(涙)




なんとかかきむしるのをやめさせようと

母はいろいろ努力してくれてました。




寝るときにたっぷり薬を塗ると

手を包帯でぐるぐる巻きにしたり、手袋をしたり。




でも、かゆくてよく動くからか

朝までちゃんとそのままなことはなくて、


手袋はどこかに飛んでいき、


布団の周りに包帯がとぐろを巻いてました。




でも、全部がはずれているんじゃなくて、


包帯の一部が汁の出ている切れているところに張り付いて

はがすと余計に傷口が広がったりしていました。


これがホントに痛かった(>_<。)




お布団に入り、ぬくもってくるとかゆみが増すようで

一晩中、ボリボリ。。。

あまりよく眠れてなかったんじゃないかな。


よく怖い夢を見ることが多かったです。


どこまでも変なヤツらに追いかけられてたりとかね。




そして、朝には掛け布団にもシーツ、敷き布団にも

あるいは枕にも、血や黄色い汁が付き、

白や黄色、黒、赤色など


汚い色のはがれ落ちた皮膚が散らばっていて

ほんと壮絶な状態。




これがいつもの朝の様子でした。







「アトピー歴=年齢50歳」のサラです。


なんだか自虐的な言い方だなぁ…。





最近、昔のアルバムを探すことがあって

赤ちゃんの時の写真を見つけました。



おー、セピア色。おもちゃの人形が昭和な感じです(*^▽^*)




サラ生後6カ月



生後6カ月の私。

額のあたりに真っ白に何か塗っています。




ベビーパウダーでしょうか?

昔ながらで言えばテンカフ。




昔はお風呂上がりにパフパフよくはたいていました。

汗を吸ってくれて、お肌をサラサラにしてくれるんですね。

あの粉っぽい香りは懐かしく、

なんとなく今でも覚えています。




写真が撮られたのはまだ夏前。

梅雨明け前でじめじめとした頃でしょうか。




あせもが出てきたからか、

あるいは出る予防からか、

テンカフをパフパフ盛大にやったのかな?




でも、それにしてはかなりベットリと盛り上がった感じもあるので

もしかしたら、既にお肌に何かトラブルが出て

お薬を塗ったあとなのかもしれません。




以前、母からは「生後半年くらいからアトピーだった」と

聞いたことがあります。

その話ともちょうど合致しますしね。




テンカフ(ベビーパウダー)自体は、商品としては今もありますが、

一時は体に悪いということで使わないのが時流になっていたと思います。




あのフワフワ舞う粉を吸い込むのがよくないとか、

材料に水銀、カドミウム、亜鉛といった不純物が入っていたからとか、

何が本当なのでしょうか。




でも、まだ昭和30年代終わりの頃。

もしかしたらよかれと思ってしたことが

反対に体に悪かったということも

いっぱいあったかもしれませんね。




私のアトピー発症は何が原因だったのでしょう…。

はじめまして。サラと言います。

アトピー性皮膚炎になって50年。そして、50歳の私です。


アトピー性皮膚炎は治らないモノ。

よくなったり、悪くなったりを繰り返すから

その都度、うまく薬で調整して

仲良くつきあっていくモノ。


そう思って長い月日が流れました。


でも、2013年12月。

乾燥しているとはいえ、例年ならまだ肌が落ち着いている時季のはずなのに

肌が大荒れしました。


特に顔と首。

いつになくひどく荒れてしまい

思いっきり凹んでしまいました。

誰にも会いたくない…。


さらに、連日たまらないかゆみと倦怠感。

そして集中力もなくなり、何もできないままに

ほとんど引きこもりの生活になってしまいました。


皮膚科でもらった薬も全く効かず

おかしい。いつもと違う。


これまで何十年もナアナアでアトピーとは

それなりにうまく付き合ってきた気になっていたのに

一気に裏切られた気分。


そして、思ったのです。

これは考えを変えるチャンスなのかもしれないって。


50歳って、多分若い人からいったら

すごいおばさんって年代だと思います。


私自身は気分は若いつもりですが、

体のあちこちにガタは来だしています。


それに気がついたのもつい最近。


これまで、仕事に必死だったり

子育てに必死だったり、

とにかく毎日を過ごすのに必死で

自分自身に余り構ってあげていませんでした。


自分にお金も時間もかける余裕がなかったから

ほとんど放任。


で、ふと気がつくと

お肌ボロボロ、体ボロボロのおばさん街道まっしぐら(>_<。)


これじゃあ、悲しすぎますね。


子育てもそろそろ一段落し、

お金にもほんの少し余裕が出てきた今だからこそ

そろそろ自分の体の声に耳をすまし

長い間の連れ合いだったアトピーに引退してもらい、


私ってきれいじゃん♪

私ってなかなかじゃん♪


って思えるような毎日を過ごしたい。

そう思って、このブログを開設しました。


今までほんとに放任状態で

アトピーについてさえ、何の知識もありません。

いろいろと勉強すること、やっていけることがあると思います。


もう50歳の私ですが、まだ50歳!

どんなふうに変わっていけるのか、

どうか見守ってくださいね。


     2014年2月3日 節分の日に     サラ