さて、今朝いつものように、4時起きで朝食の八割蕎麦をゆがいて,キムチお酢納豆と一緒に食べます。
その後は、脇目も振らずに、太宰治賞を書き継ぎました。
昨日の朝よりは、プラス10枚で、46枚になりました。
やっと、小説モードに戻ってこれたので、これをキープしつつ、頑張らないといけません。
他に、断片メモ書きが14枚あります。
一番の難所のリアル生活章を書き上げたので、主人公の背景がしっかり定まった。
これをある種の、因果律のもとにできるはずなので、あとが格段に書きやすくなると予想している。
まだまだ、「全体を貫く何かしらの展開を描かなくてはいけない」という,
間違った思い込みや恐怖感に襲われ、束縛されてしまっている自分がいます。
それが間違い、勘違いだとは、いくら頭で理解しても感覚的には納得できないでいる。
きっと作品を一作、一作完成させて、感覚に納得させるしかないのだと思う。
この8月に書き上げた小説野性時代新人賞285枚、
9月に改作完成させた文學界新人賞150枚と、
その路線で書き上げられたものが二つあるんだけど、
まだまだダメなんだよね。
また、この太宰治賞は、最初に応募しようと考えていた群像文学新人賞だと、
最低応募枚数の70枚をちょっと越した程度に納めるつもりだった。
かなり実現的な表現主体で、展開無視の予定だったから。
けど、
今は小説的な普通の章も併せ持ったハイブリッド表現を考えているから、
120-150枚くらいになりそうかな。
もう無難にまとめようという意識との主導権争いの闘いになっている。
無難なストーリー展開は、次に取り組むエンタメ系作品でやればいいことだからね。
その生活の章は、過去の自分の実際に苦しかった実体験が元になって反映されている。
その頃はもう小説を書いていたけど、
この’25年度のようには俯瞰したり、抽象化思考できたりしてなかったから、
思い出しながら、作品に合わせて変換していると、なんか不思議に感じます。
また、それよりさらに数年前も同様で、詩は書けても、小説がストーリー展開だと信じこんでいた頃があったし、
もっと20年以前に遡ってみると、やっぱり苦しかった時代があったんですよね。
それらの大変さを振り返って、しみじみと思い起こすと、
よくメンタル崩壊しなかったな,と思います。笑
なんか、日々,必死に取り組んだけど、何十年もずっとトラブル処理ばかりな人生でした。
文学創作ができてよかった。
しみじみと、そう思います。
いい小説を書きたいな。
だれかに、書く楽しさを伝えたい。