ここ最近、このブログで話題に触れている、深大寺恋物語向けの原稿は、今日の教室への提出が全く間に合いませんでした。笑
うーん、どうしよう、こうしよう。
いろいろと構想を練ったまま、1字も書けてません。
多分、書き出せば、10枚なので、半日あれば、1次稿は完成できたと思いますが、
ぐだぐだと他のことへ気を取られながら、行動できませんでした。
今日が教室の締切であって、応募の締め切りでなかったことも大きかったでしょうね。
今回、作品にどうしても、描きたいモチベーションの上がる、とある設定を入れたい思いがあったので、それに対して、
読み手を楽しませる非自己満足な要素と、深く人間を描きたい最近の欲求と、10枚ぐらいで収まる感覚と言った、諸々とのせめぎ合いを取る必要がありました。
なんとか折り合いを見つけた気がするので、今日の仕事から帰った夕方から夜に少し書き始めたいと考えています。
とにかく応募作品を書いて応募することよりも、今は自分流の小説の書き方の型を見つけれたら、いいなあと、そこを重視して、考えています。
もちろん、応募イコール入選レベル作品だったら、こんな嬉しいことはないのですが、現状、絶対、そんなことはないですからね。
建設的にアイデアや書き方を目指して悩むのではなく、どう書いたらいいか、わからないといつも意味なく悩む時間が今はまだ多い気がします。
ですから、そこから、アイデアを得るために悩む正しく建設的な悩みになるには、
自分なりの書き方の型を作って、そこから外れるとか、要素を足して、二番、三番と方を増やせばいいと思うんです。
ちょうど、「鬼滅の刃」でいうところの、各柱の使い手が、風の型1番⚪︎⚪︎、2番⚪︎⚪︎とかいうように、ね。笑
詩を書くとき、実はいくつか型を持ってますよ。
別に「1の型何々」とか叫んで書いてませんけどね。笑
本来、自分ありのモチベーションの鍵と、モヤモヤでいいから作品テーマ、それを届ける作品の書き方、と幾つも、必要な要素が小説を書く際には要る気がします。
詩なら短いので、勢いで書けるのですが、小説は最低でも10枚とか詩に比べて長い、ですからね。
(4枚とかのショートショートは、短すぎて、なお勢いでは書けない計算が必要だと思います)
とにかく、この深大寺恋物語も、完成させること、そのために研究することが僕に必要なステップな気がするので、頑張って書き上げてみます。
次々と発見する、こうした創作スキルや気づきが、第1のラスボスである文學界新人賞の100枚原稿への武器になると思っています。
この深大寺が終わると、いよいよ、そいつとの死闘になります。
それが終われば、三田文学新人賞と、群像文学新人賞の、各100枚との対決になります。
どうなることやら。
で、久しぶりに、『文學界』の新人賞号を書いました。
深大寺が終わったら、これを読み流して、挑戦してみます。