昨日やその前にぐだぐだ書いてきた、講談社児童文学新人賞への応募原稿のことの続きです。
講談社児童文学新人賞への応募原稿は、書式ミスで、元原稿300枚を大幅削除して、
225枚にした上での再構成・改稿作業をしてしまったと、昨日、報告しました。
もう元へ戻す気力もなく、行間隔を大人向け小説のように、詰めつめで書いていたのを、
児童向けらしく、読みやすいように、行を空けにしながら、推敲作業をしていました。
すると、259枚になりました。
規定が300枚以下だから、86.3%です。
基本、いつも応募規定ギリギリまで書くのですが、このままでも許容範囲かな、と感じています。
で、通信添削の講座を申し込んでいるので、プロ児童文学作家の先生(オンラインで教室を受講した、その技能・見識ともにすごく信頼している御方です)へも、送付しました。
その講評が返却されたら、それに沿って、最終改稿作業を行い、たぶん、5枚ほど足して(?)応募提出の予定です。
今日の夕方には先生の元へ到着して、勝手に29日ぐらいには返却されると思っています。
もし31日ギリギリ返却や、4月になっても、遅く渡した僕が悪いので、先生のせいではなく、全く文句は言えません。
(その場合は、改稿なしで、そのまま出せばいいだけですから。
どうせ落選なら、なんのコメントもなしで、通信講評の方が、僕には大切です)
そもそも、もう僕には、現状、長編児童文学を書く才能はないのだ、と今回、自覚できました。
ずっと、長編ファンタジーを描いてきたのですが、基本エンタメで、ちょつぴり純文学テイストが僕の持ち味・作風だと認識しているのですが、
もう、自分に向いてない、的外れなことをやっている、この長編の類いを僕はちゃんと書けないのだ、と今回の作業でつくづく思い知りました。
1年間の創作活動で、僕は長い枚数のものを、この’23年度で書き上げたのは、以下のとおりです。
①福島正実記念SF童話賞 60枚
②小川未明文学賞 120枚
③長編児童文学新人賞 225枚
④講談社児童文学新人賞 259枚
本当は、もっと他にもチャレンジできたはずが、実質、原稿用紙(といってもPCモニター)と睨めっこばかりしていた期間が、5ヶ月以上あるので、
これで精一杯でした。
どれも、全くの新規に描いたと言うよりは、元原稿や途中書きのものを元にしています。
原型から、大幅に変わってはいますが。
で、出した結論が、もしかしたら、「長編児童文学は自分に向いていないかも」です。笑
結果は、まだどれも正式には出ていません。
(講談社児童文学は、まだ出してませんし)
が、事前連絡もないので、全落ちでしょう。
それぞれ、1次選考を突破してでもいてくれたら、半分、成功だと思います。
最終選考に近いところにいてくれたら、この考えを否定できるのですが、
それすら99%あり得ないと感じています。
また、この他にも、30枚以下の短い童話や児童文学作品もいくつか書いています。
それらは苦しむものの、それは通常の創作の苦しみで、書きたいことがほぼモヤモヤ浮かんでいる上での作業なので、ただの睨めっこではありません。
比較的、楽しくかけています。
それら短編と、こうした中・長編は全然、違うんですね。
じゃあ、長い物語を書くのを諦めるのかというと、いいえ、諦めません。
生涯、それとは戦い続けます。
だから一度、2年ほど児童文学から離れて、大人向け小説を書こうと決意しました。
この決意も、ここひと月ぐらい前から、繰り返し、このブログでも書いていますよね。
自分に、児童文学より、現代詩に天分があるのは、受賞結果として出ているので、
それは客観的事実としてあります。
現代詩と、純文学に親和性があるのは、両方を書く作家たちが何人もおられることから明白です。
で、そちらの現代詩的な書き方を流用して、小説を書いてみたくなったんです。
その気持ちは、突然思いついたものではなく、ここ数年、ずっとくすぶっておりました。
でも、振り返ると、いつもちょこちょこ児童文学を書いてしまって、そちらへ回すリソース(時間・労力)が全くなかったんです。
どこかで、児童文学の短編はそれなりに書けるから、長編も書けるはずだという思い込みや気楽さ、驕りがあったんだと思います。
だが、しかし、(笑)、それは大きな間違いでした。
ないんですよ、才能は。
もちろん、僕は才能天授説が大嫌いで、無ケレバ、作ればいいの信念に変わりはありません。
でも、大人向け文学の長編を、本格的かつ本腰を入れて書いたことなかったんです。
ですから、試してみたい、そちらを。
現状、長編児童文学は、無い袖をいくら振っても、何も出てこない。
じゃあ、試しに純文学の袖を振ってみようじゃないか、と言うわけです。
もともと、僕の今、息をするように書ける現代詩も、小説の書き方を転用したもので、途中から参加の、片手間でしたから。
何が出てくるかなんて、本気でやってみないとわからない。
自分で言うのもアレですが、
学びオタクで、凝り性な僕の本気は、凄まじいですから。