昨日、金澤詩人賞へ詩を1篇、web提出しました。
〆切は、11月末で複数OKなので、折を見て、改稿した落選作をもう1・2篇出すつもりで準備しております。
さて、数年ぶりに、大人向けの小説、純文学を出す計画を立てて、
準備のため、三田文学新人賞の入賞作品やら他の小説を読み込んでおります。
実は、小説を読むことすら、なかなか進みません。
自分の中にある、心理的な抵抗感が壁となって塞がります。
僕は趣味読書の活字中毒者なので、(その気があれば?)読むだけなら、単行本1冊を読むのも3時間もかかりません。
ただ、線を引き、コメントの文字を書き込みながらの、分析読みをすると、10数時間はかかります。
必要な集中力も並大抵のものではありません。
今は分析読みをしようと、虫の眼になってみたり、全体を俯瞰する鳥の目になってみたり、大変です。笑
だから、息抜きに詩を改稿してるんですね。
(その作業が楽しくて、意外に面白い作品に仕上がったりして、
ああ。これは楽な方に逃げてるな、と感じたりしています)
今朝、夢を見ました。
自分が18歳ぐらいになって、もう一度、大学のキャンパスへ、しかも全然、別のところへ行っている夢でした。
時々、別の年齢になって、本を手に取りながら、また別の物語も人物として同時進行で別々の時間を、
こちらも自動的に物語っている世界に入っておりました。
どちらもカラフルで、すごくリアルな夢でした。
目覚めたとき、なんだか頭がチカチカするぐらいに。
ああ、僕の中に、語って欲しい物語があるんだな、と感じました。
ここで、立ち止まっている暇はないな、と感じます。
自分の中で、進化を「そんなことをしても無駄だよ」、その努力を「面倒くさいよ。もっと楽なことしようぜ」と囁いては、
ずっと邪魔する壁。
これとの戦いに勝たなければいけません。
これまでも、ずっとこの壁と同じものたちと戦ってきました。
それらを乗り越えなければ、僕は詩が書けなかったし、今のように息をするように、詩を書けるようにはならなかったと思います。
どうせ、この壁への挑戦は諦められません、
だって、越えなければ、ずっと後悔し続けるのですから。
まるで岸田総理と同じように検討するだけで、自分で先延ばしできるのが、難点です。笑
(これ、岸田総理と同じ、というのはキツイな。
自分の中に「すごく嫌だ」という声が即座に発生する。
これは、しばらく、このフレーズで自分を鼓舞できそうです。
「お前は、岸田総理か。検討使めって!」と、何もしない自分へツッコミを入れるんです。
わあお!
鳥肌が立つほど、嫌だ。
自分が最低最悪のヘタレで、不誠実の権化、卑怯極まりない、最低な人間である気がする。
嫌だ。嫌だ。
5分でも、10分でも隙間時間を、誠実に精一杯、人生を生き、頑張りたくなります。
失敗して、惨めさや無能力さ、ダメ人間さを自分に感じる結果でも、あんな人間でいるよりは100倍マシだ。)
そのまま先延ばしだと、だらだら時間だけを浪費して、最悪な結果を続けてしまうんですね。
成功、不成功にかかわらず、挑戦するしか脱出方法の道はないのに。
バカめ! と自分に言う。