ただ今、休日出勤中。
しかもサービス出勤の早出。
かつ、昨日は帰宅20:30後の夜も、そして今朝4時起きも、クライアントからの無理な注文への応対作業を、家のMacやパソコンでやっておりました。
24時間、働かされてます。
どうなんだろう? このポジション。
疑問が、どうしてもついてまわります。
バカ丁寧な対応が、当たり前の日本文化。
それって、生活の貧しさに直結している気がしてなりません。
お客様は、神様なんかじゃありません。
費用分、対価分の働き以上は無理なんですよ。
来期からの常勤は絶対辞めようと思っています。
残りの人生、〈安心〉のために長く生活を貧しくして、最後は自分は認知症でお金持ちの価値もわからなくなるなんて、
滑稽以外の何者でもない、と僕は思います。
リスクを覚悟しなければ、何も得られない。
今まで、実に数多くの習い事講座を、大学通信教育を受けて来ました。
お金をドブに捨てたな、と感じる科目もあれば、
眼から鱗を落としまくりの講座もありました。
ただ一つ言えるのは、得した講義や先生に当たりたければ、ハズレの講座を受け続けるしかないこと。
これは僕の信念であり、生き様です。
そして、それは僕の創作人生そのものです。
絵本やマンガのコマ割り研究をして、マンガ学会で発表したこと。
絵を描けるようになって、今でもデッサンやクロッキーができること、彫塑をやって、接触感覚やボリューム・立体感覚ができること、アートアニメーションをやって目に見えない動きが想像出来ること。
それは直接、小説書きには結びつかなくても、僕の文学作品にたぶん大きな特色になっているでしょう。
詩のみならず、ここ2.3年、俳句・短歌・川柳と作り続けたこと。
それらも含めて、すべて余分な、余計な寄り道ですが、
その失敗だらけの学びの軌跡こそが、僕自身ですから。
総決算したい。
それがなんでもありなヌエ構造の小説なんだと思っています。
【追加】
高校のとき、限りなく遠い存在だった、宮澤賢治や中原中也。
賢治には、童話で、
中也には、詩で、
少しだけ近づけたこと、その感覚を自分の中に形作れたことは、
それだけでも、あの頃の自分からしたら、ある種の奇蹟体験の渦中に思えるだろうことは、揺るがない事実です。
出来ない自分を責めてばかりいずに、
素直に褒めて、ありのままに書いてみよう。
そもそも、高校時代、描けなかった絵が魔法のように描けることも、奇蹟なんですから。