昨日のブログ記事に、ポエム水さんにして頂いたコメントで気づかされたんですが、
僕はずっと物語という花火を打ち上げたいという根源的な衝動があるようです。
映画や、ストーリー・マンガ、アニメーション、小説というさまざまなコンテンツを研究したり、
自分で作ったりすることに、
限りなく喜びを感じる人間なんだと改めて感じることができました。
そのポエム水さんへの返信にも書かせて頂いたのですが、
僕の中では、詩は線香花火のような存在で、それはそれで美しく、嫌いではないのですが、
どうしても、それでは満足できないんですよね。
そうそうと気づきました。
僕は〈花火職人〉だったんだと。
デカい花火を打ち上げて、みんなと楽しみたい。
それが根幹にあるんだな、と。
なぜ、詩だけで満足できないのかは、それが答えなんだと納得できました。
詩や俳句、短歌などは、自分が感じたこと、気づいたことだけで書けるし、自分だけを観客にしていたら書けるけど、
自分にとっての小説は、みんなと楽しむもので、誰かのために作らないといけない。
だから、同じ素材でも、全然、目的が違うんですね。
同じくようには作れない。
エンタメ系のジャンル小説はもちろん、純文学系てあっても同じで、
少し楽しませ方が違うだけ。
〈面白さ〉の方向性が違うだけ。
花火であることに変わりない。
もっと、「読み手のために、面白く」を大事にしよう。
無意識にきつく呪縛されている〈文学性〉という檻に囚われないようにしよう。
そう固く、固く自分に言い聞かせています。
書ける範囲で考えるのではなく、すべては読み手のために。