詩誌『季刊 びーぐる』を51号、52号、54号と読み返しています。
それは中村不二夫さんの詩集時評のコーナーに関して。
一応は目を通したつもりだったけど、改めて、〈詩界〉って何だろう、と気になって仕方がないんですよ。
(中村不二夫さんには、『詩界展望』という詩論を書かれた著書があって、
何冊かはお読みしていました。
だからこそ、『季刊 びーぐる』へ詩集を贈るとき、相手が中村さんだから、
たとえ、詩集の講評がなくても、読むで頂けるだけで、凄く嬉しかったし、ドキドキものでした。)
意外と、現在の〈詩界〉についての分断状況に年配のプロ詩人の方は公の場では語らないし、
若い人は気づいていないままなのじやないかな。
僕が若い20代の頃は、詩を書く人は珍しくともまだ普通に見かけた気がします。
今は絶滅危惧種どころか絶滅し終わった、幻の生き物に近いと思います。
僕は京阪神のさまざまな詩の教室に行った感覚では、明確にニ種類に分かれています。
詩を書く人の中では、〈現代詩(詩誌『現代詩手帖』的な意味での象徴詩)〉と、
〈抒情詩(ある意味、賢治や中也、朔太郎といった近代詩へ直結した詩〉との二つに。
僕が今、通っている某教室では、いつも先生が「現代詩手帖」的な詩に怒っていますから。
あと何人かの先生も、たぶん同じ側でした。違う先生も少数おられますが。
ただ正直、これも明確に、年齢層で分かれて違う気がします。
かって、吉本隆明が一刀両断したように、詩人荒川洋治の存在を認めるか、認めないかで大きく違う気がするんです。
「口語詩の時代は寒い」と否定する前者か、肯定して反論する後者か。
僕は、詩が好きで、詩集を買って読んでいても、詩の書けなかった20代から、
荒川洋治さんの詩が好きでした。
きっと高校時代に読んだ西脇順三郎が好きでしたから、
実は生まれながらにして、明らかに象徴詩派なんですね。
童話としては宮澤賢治は好きですし、中原中也も朔太郎も大好きですが。笑
(朔太郎には、象徴詩もあり、その感覚は当然、『現代詩手帖』派(?)にも受け継がれていると思います。
西脇順三郎イコール現代詩ではありません。)
僕が若い時に、詩が書けなかったのは、自分の詩的天分と違う近代詩を無理やり書こうとしてからなんだ、と今なら分かります。
そして、歳を取った自分には近代詩的な抒情詩もすっと書けるようになりました。
さて、急に〈詩界〉の話に戻りますが、
大きな詩人たちのグループとしては、日本詩人クラブと日本現代詩人会の二つがあって、
どうやら両方に所属している先生が多いんですが、そこに今まで述べた象徴詩派と抒情詩派の二つが混在しておられるんですよ。
だから、僕のような素人には非常に分かりにくいんです。
詩界でもっとも権威のあるH氏賞ですら、両派の詩集が混在受賞してますから。
(ただ、思潮社がバックな分、象徴詩派が優勢なんでしょうかね。知らんけど。笑)