松本祐子さんの〈未散と魔法の花シリーズ〉全3巻を、読み終えました。
何度か書いているように、とても勉強になりました。
改めて、児童文学作品の書き方を、問い直すきっかけになりそうに思っています。
この段階で、この作品に出会えたことを、ある意味、必然から運命へ変えようじゃないか、と感じていますが、
本当にそんなものに変えれるかどうかは、
これからの僕の頑張り次第で、頑張らなくては、と考えています。
さて、今回、
この3巻を読んだお陰で、僕の心の中に、
〈モヤモヤとした、名づけられないモノ〉が生まれました。
実は、この「モヤモヤ」で、名づけ難いモノこそが、
大事なんだと最近、思っています。
例えば、詩の場合、安易に言葉のレッテルを貼れないからこそ、
書いて、詩の行が生まれます。
簡単に悲しいとか、寂しいとか、言えるモノなら、
詩にはできません。
モヤモヤして、言い難いからこそ、
書いていて、発見があって、
その発見を読み手に共有してもらえる作品、詩が生まれるんです。
今回、
ちょうどいいぐらいに、
もう既に作品として、出来上がっている300枚のファンタジー世界を、
崩して行けるぐらいの、感じのモヤモヤ度になって濃度が濃くなっています。
今だから、自分にも分かります。
小説や物語を紡ぐには、何とかして、このモヤモヤの名づけ難いものが、
なければならならないんだ、と。
それは、香盤表や構成プロットといったものをいくら作っても、
表面だけをなぞっているだけで、何か足りない、と感じるのは、
これだっんたでしょうね。
詩の場合、このモヤモヤは短く終わる分量なんで、ちょっと済むけど、
物語の場合は、なかなか捕まえられませんから。
この知見や感覚、詩では、理解かつ認識できてたんですが、
物語では、まだ自家薬籠中の物にできてませんでした。
モヤモヤ感を、今ここで、
無理やり、言語化しておきましょう。
以下の通り、
主人公に与える課題やら試練やら、発見すべき世界観と成長。
試練が生む破滅や困難さといった危機的状況と。そこからの脱却。
新たな人物の登場、その関係性の深化と変化。
伏線回収と、プチまとめ、転がり拡大する状況から全ての終息。
うーん、こんな感じかな。
そんなこんなが頭の中で、脈絡なしに渦巻いています。
それを書いていけば、少しずつ整理される感じかな。