小説創作について、何となく見えて来たことがある。
このブログで、何度も書いてあるように、
どうも、「ストーリー展開上の必要な記述情報」以外に、
ブラスアルファが必要ではないか、ということ。
何がプラスで必要なのかと言えば、
直截は文としては書かれていない、
見えない知見、感慨、追体験させる感情起伏などといった、
「言外の到達点」が、各パラグラフに、各段落へ必要ということじゃないだろうか。
そう言えば、
詩を書く場合、
特に現代詩において、僕なら必ず暗喩(メタファー)を入れる。
書かれた通りには絶対しない。
童謡や少年詩の場合ですら、
そこに書かれていないバックストーリーを必ず織り込む。
でないと、読んでて面白くないから。
読み手任せで「書かれていない部分」を想像する愉しみを奪うことは絶対にないな。
メタファーだけじゃなく、
基本、詩は改行するから、そこで余白の美や力を借りて表現するのが当たり前だった。
考えれば、そうなのに、
小説や童話のときは、いくらでも?書けるから、
ラストシーン以外は、全くそうしたことを考えたことなかったのも、不思議だ。
もちろん、
そうした書き方じゃない小説もあっていいと思うけど、
僕の場合もそれでいいのか、というのは別問題。
昨日書いた、日本語って何だろう、という命題とともに、
小説の書き方を根本的に考え直してみるべきなんじゃないかな。