「自分の書きたい物語・小説の冒頭シーン、原稿用紙3枚を、
天地人の、状況・キャラ設定・興味を引き立てる謎を意識して書いて来なさい。」
これを書き上げました!
たぶん、このままあと20枚くらいは、
さらりと書けるんですが、
それはやらずに休止。
一応、多めに書いてから、シーンがちゃんと3枚目の終わりで切れるように推敲し直しました。
次に、教室当日、受講生同士でやる勉強会用に読む鏑木蓮さんの小説「イーハトーブ探偵」の短編を読み始める。
これは、童話作家で、詩人でもある宮沢賢治を主人公とした鏑木さんのミステリー小説です。
でも、うーん、僕の中にまだ残ってる詩の創作モードが、
余計なものを見せてきます。
賢治なら、こう感じるよ。
賢治の自然交感は、きっとこんなのだよ、と、
そこに書かれていない「モヤモヤした詩の素案」が漂ってしまいます。
つまり、鏑木さんのストーリーよりも、実在した宮沢賢治の感性っぽいものが頭の中を巡っています。
前に読んだときは、そんなこと、無かったのに。
これは、僕ならこんな書き方をするよ、
こんな風に書くよ、書きたいよ、ってことか。
「詩人探偵」
そんな言葉が頭をよぎります。
詩の感性が滲み出た散文詩の書き方と、純粋な散文としての書き方を融合したもの。
そんな道筋が見えた気がします。
きっと、直前まで読んでいた半田信和さんの少年詩に書かれた柔らかな感性と言葉が、
その自然との交流が、残像として残ってたんですね。
逆に、鏑木さんの書き方が、非常に客観的な散文の書き方、計算が漂っているから、
余計、そう感じるのでしょうね。
僕は、切り替えて、読めるのが、今まで足を引っ張ってたのか。
うーん、何なんだ。