少し時間ができたので、「輪るピングドラム」の
9~13話をざっと見直して考察し直してみることにしました。

自分の頭の中で話を整理する意味合いも込めて書きますが、
かなり妄想的なものになりそうですね。


なお、マリオさんについての考察は全くできないので
今のところ完全スルーです(笑) 




■ メリーさんの羊

まず最初に晶馬によって語られた「メリーさんの羊」について考えたいと思います。

晶馬のいうメリーさんの羊はよく知られている歌とは関係がないようで、
多分兄弟が作り出した物語、もしくは親が兄弟達に聞かせていた物語なのでしょう。

その意味とは一体何なのか。この当たりはまだきちんと語られてはいません。

それでも、大体この作品とメリーさんの物語の登場人物は一致すると思われます。
羊たちは作中でも語られていた通り、高倉家の子供たちですね。
そしてメリーさん=高倉家の父親ということ、
黒うさぎが眞悧の取り巻き、というのもほぼ確定でしょう。
ここまでは割と、視聴者ほぼ全員の意見が一致すると思います。


そして残された「林檎の木」と「女神様」。
これらはいったい誰に被せて語られているのでしょうか。


・女神様=眞悧?

まず私は、女神=眞悧だと考えます。
これはかなりこじつけなのですが、現時点で高倉家の兄弟達に
罰を与えているように見えるのは彼ですし、今のところこれ以外の選択はないかな、と。

後、1話で妙に気になった「医者は神様じゃない」というセリフ。
このセリフは正直使い古されていて、今使うとどうしても不自然で
視聴者も首をかしげることになったと思います。

でも、その言葉をあえて使ったことに意味があったとしたら、
今回医者として登場した眞悧が神様だということにつなげることもできるような気がします。

「医者は神様じゃないけど、神様が医者として登場したら面白い。」
そういった監督の遊び心があるのかな、と勝手に思っています。


・林檎の木

そして残された林檎の木。これもまだわからないし、こじつけと言われればそうなります。
それに、私の中でもいまいちはっきりと整理できていないので、
今回林檎の木に関してはふた通りの考察をしたいと思います。

林檎には沢山の意味や話がありますよね。「禁断の果実」と言われたり、
はたまた「命の象徴」と言われたり。それが多過ぎるという点からも
かなりこの林檎の木について考えるのは難しいのですが、
今回は「命の象徴」としてみて考えてみます。
作中で「黄金の林檎」という表現があったので、女神が取り合ったと言われる
黄金の林檎の話とかけているようにも見えましたが、
現時点でそれっぽい部分が見えないので今回はとりあえずパスで(笑)


・林檎の木=母親?

本題に入りますが、命の象徴として林檎を見るならあの木が「命がなる木」とも
考えられるということになります。命がなる、というとピンときませんが
命が宿る、と言い換えればなんとなくあの木が母親にみえては来ないでしょうか。

というわけで、私の第一の想像(妄想)ではあの木は高倉家の母親を表しているのだと思いました。
もしくは、母親の子供を宿すために必要な器官と考えるのもアリかもしれません。

もし後述だと考えるのなら、メリーさんこと父親の後ろに付いてきていた羊たちは
まだ生まれてはいない存在だと考えなければなりません。
生物学には反しますが、彼らが精子の状態であったと考えれば…無理ですね(笑)

なので、前述の方がわかりやすいし、ありそうなのですが
「枯れる」という表現がどうも人間の命を示しているようには思えませんでした。

また、羊は貢物または生贄といった意味も持っているようなので、
そこにも着目すればいつか何かが見えてきそうですね。でも今のところは何も見えません。


・林檎の木が枯れる=世界の終わり

これは作中で語られていた内容をストレートに受け止めた考察になるのですが、
あのまま木をからしたままにしてしまうと世界が終わっていた、と考えましょう。

そう考えるなら高倉家の父親は世界を救ったかわりに女神様からの罰を受け、
さらにはそれが息子たちにも与えられる…というまさに理不尽な目にあっていることになります。
この場合だと完全に女神様は悪役ですね。でも、こう考えてみるとどうでしょう。

作中で言われた「世界の終わり」とは単なる父親にとっての終わりであって、
その終わりを免れるために灰を盗んだ=地下鉄の事件というのはどうでしょう。
要するに、自分たちがひとときでも幸せを掴み取るために、
大勢の人々を殺したということになります。これなら悪役は父親ですね。

しかし、その世界の終わり、というのは結局母親に直通しているとしか
思えないのです。出産後に「母子ともに健康」という言葉を聞いて
ホッとしていた父親。これは親なら当然のことかもしれませんが、
もしかすると、ミッションを遂行(生存戦略)しないと母親や兄弟の命に
何かがあったのかもしれません。それを免れるために行なった結果、
結局息子たちに罪を背負わせることになっているのですから、なんとも報われませんが。


中途半端ではありますが、メリーさんの羊の話に関する考察はこれ以上できませんね。
また関連するような話が出てくれば良いのですが…。
まあ出てきたとして、この考察が的外れだってことを実感して終わることになりそうですがw




■ ペンギン帽子の正体

次の考察はほぼ確定じゃないかと私は思っています。
まあ演出が演出だったので、さすがに思わせぶりじゃないと信じたいですが、
まだまだこの作品は気が抜けませんよねw

率直に言いますと、ももかが正体で決まりじゃないでしょうか。

「16年前にここにやってきた」「眞悧と同じ種類の人間」
「世界の進むべき方向が見えていた」「僕の味方にはなってくれなかった」

気になるワードは沢山あったのですが、中でも「16年前」というのは
それを決定づけてくれたような気がします。

次にももかだと思われるのは「世界の進むべき方向が見えていた」というところですね。
彼女はまだ小学生という幼さでいわゆる「未来日記」をつけていました。
これは言い方を変えれば、彼女には自分の進むべき未来が見えていたということで、
なんとなく眞悧のいう言葉と照らし合わせることができます。


そして「眞悧の味方にはならない」という点。
自分の未来はこうすることができる、という信念を持って
書いたと思われる日記。それが意味するのは「運命に縛られない」ということだと思うのです。

運命とは生まれる前から決まっているもので、自分の力では変えることができない。
そういったフレーズがよく出てくる作品ですが、ももかはそれを覆そうとする力を
持っていたと考えられそうです。それが眞悧の味方になれない理由。
眞悧は今のところ、運命を与える役のように見えます。ももかがそれを受け入れてしまっては
日記に書いたことを全て否定することにもなってしまいますからね。


そしてペンギン帽子が苹果の持つももかの日記を欲するのも、
ペンギン帽子=ももかだとすれば納得できるのではないでしょうか。

ももかが「運命は決まっているものではない」という
思想を持っているものと考えて話を進めます。

苹果は13話でやっと日記から開放されたように見えましたが、
それまでは完全に日記という「運命」に縛られていました。
皮肉にも苹果の「運命」として存在するのは
「運命」を否定するももかが書いた日記であって、
ももかは苹果からそれを奪うことが彼女を運命から開放することになると
考えたのではないでしょうか。

しかし苹果は、自分からその日記を手放したあげく、
ももかの書いた未来日記をたどって生きていくのをやめたようです。
よって、これでも苹果は「きっと何者にもなれない者」ではなくなったのかもしれません。
あるいは、後は高倉家を救うために動いたり自分の未来を自分で思い描くことが
「何者にでもなれる者」になるカギになるのかもしれませんね。



■ 最後に

近頃のこの作品には「理不尽だ」と感じさせられたり、
「報われない」と感じさせられることが多かったですよね。
正直、マイナスなイメージばかりで、そろそろ高倉家の兄弟たちが
可哀想でなりません。どうして彼らばかりがこんな目にあうのか、と。

そこで、この理不尽でどうしようもない状態をどうとるかですよね。
どうしようもないからこそ、それを乗り越えた時にきっと神様は
何かを与えてくれる。そんな夢を持てる作品になるかどうかは
今のところ微妙ですが、そうなって欲しいという気持ちは
さすがに多くの視聴者に植え付けられたかと思います。

だからこそ、最後には高倉兄弟が報われるべきであって、
「運命は決まっているものではない」というももかの考えも
きちんと現実に反映されるべきなのです。

要するにハッピーエンドに期待しているのですが、
そのためのカギは間違いなく高倉兄弟が運命と戦い続け、
決してそれを受け入れてしまわないことでしょう。

まだまだ多くの試練が待ち受けていそうですが、
もし彼らがその「神からの試練」を乗り越えた後に幸せがあり、
運命に縛られない「何者にでもなれる者」になれる日が待っているのではないででしょうか。


結局自分で読み返してもまとまっているとは思えないし、
こじつけすぎだと目に余る部分もありますが、この作品に対する思いは
強まったような気がします。最終回まで高倉兄弟を応援し続けたいです。