適当であること

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『適当であること』

フォレストという野外活動を
始めて10年がたとうとしている。

最近
ようやく
火が見える様になってきた

雨の中でも
火を扱い

風のなかでも
火を扱い

必死で格闘してきて
やっと
火の動きが
見えるようになってきた

そして
そのやり方というのは
『私のもの』であって
正しいとか間違っているとかではなく
私と火との付き合い方なんだということも
わかってきた

ガラス工房と陶芸の工房で修行をしていた時代
職人さんや先生たちから
『頭で覚えるな手で覚えろ』と言われていた意味が
四半世紀たって
ああ
このことだったのか
さまざまなことで
気づかされる

20代の頃に
渡されたモノが
ようやく今
身についた
そんな気がしている

フォレストの参加メンバーが
ここに来てガラリと変わり
初期からいた人が
とうとう
この春卒業してしまった

私達が
10年
続けてきたことも
新しいメンバーの皆さんにとっては
初めてのことばかり

先日
『ケイコセンセに何聞いても
適当でいいよって言われる!』

参加してるママたちに
言われて

ハッとした。

『その適当がわからないんです!』

と言われて
さらに

ハッとする

笑笑

そして
私は感動する!!

笑笑

私はいつのまにか
『適当』を手に入れていたんだ!!

適当というのは
『最適に当たる』と書く

これは
わたしが
修行時代に
もっとも手に入れたかったものだ!

野外で
焼く
パンの
最強レシピがある

これは
どんな
気候でも焼ける
パンの
レシピ

『教えてください!』
と言われたが

たしかに
配合の割合は
教えることができる


手加減は
教えることができない

手加減という言葉も
ホントにいい言葉だ

晴れている日の粉と
雨の日の粉は違う

夏と冬では
発酵させるやり方がちがう

触ると
手の中で
パンの生地が
教えてくれるのだ
(こうしてくれ)って
だから
手加減する。

私の手が覚えていることを
伝えていく
形にする
そんな作業が始まった

思えば
最初の頃は
パン一つ焼くのに
前の晩から仕込んで
準備して
朝早くに起きて
パンをこねて持っていっていた

温度計をもって
何度も何度も確認していたあの頃

そんな10年があって
『適当』を手に入れることができたのよね

それは
全てのことに当てはまる

20代
30代の頃
とにかく
練習していた
いろんなこと

造形教室だってそう
前の晩から
子どもたちの前で
何を喋るか
台所に立ちながら
娘寝かしながら
練習していたっけねー

年月というのは
知恵なんだな

『天才じゃあなくて
凡人なんだよ

凡人には
凡人のやり方があるんだよ

凡人は
続けなきゃ
それこそ
ただの凡人で終わるんだよ』

『10年続けてからできないって言え』

職人さんに言われたあの頃の言葉が
今蘇る

『10年やって
ようやく立てるんだわ

20年やって
見えるようになるんだわ

30年やって
手が動くよーになるんだわな

30年やったらな
そんでもって
立てんくなるんだわ
目が見えんようになるんだわ
手が動かんようになるんだわ

そっからだわ
職人は

そっから
力抜いて
やれるようになるんだわ

身体が覚えててくれるんだわ

だから
身体で覚えな
使えんのだわ

頭なんか使うな
身体使え

頭で覚えるな
身体で覚えとけ

動かなくなるまで働き続けて
そんでも
今日より明日
もっとできるようになるって思って
死ぬまでやり続けられたら
ものづくりは幸せよ』

30年前の
言葉が
ようやく
意味がわかった

ようやく立てた

ということで
ここからだ

いよいよ
ここからなんだな

さらなる
30年にむけて
生まれ変わろう。