またブログが開きました。
9月から、今まで避けていた人の動画に
ハマって、7日間ほぼ完徹してたのヨ
この話はまた次回。
今回書きたいのは、今更だけど、
パラリンピックの閉会式のこと!
非常によかった!
というか、途中から涙出た!
そして、自分が求める世界のカタチが見えた。
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開会式の物語仕立ても良き❤︎と思ったの。
しかし、閉会式はそれを遥かに超えてきた…!
テーマは
『調和のとれた不協和音』
見どころいっぱい有り過ぎたけど、
イチオシは、様々な衣装でダンスしたシーン!
勝手に涙出てきた。
想いが湧いてきた。
「身障者でも健常者でも、
男でも女でも、
黒人、白人、黄色人種でも、
何がなんだってどーでもいいじゃん。
魂で生きたいんだよ。
ガワで見てくんじゃねーよ、ウザい。
そんなもんぶっ飛ばして
ど真ん中のソウルでいこうぜ。
LGBTQ、何が問題なんだよ。
身障?だから何? だろ?
ど真ん中を見られたい。
そして全てのど真ん中を尊重し、愛したい。
それこそが Wonderful World 、
調和のとれた不協和音 だ!」
ダンスシーンで言語化できた想い。
ひとつやっとスッキリした気分。
開会式もだけど、パラリンピックの方が、
より純粋に大会のメッセージを表現していた。
変な利害が透けて見えなくて気持ちがよいね。
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パラリンピックではインタビューで
周囲の協力について感謝する姿が
本当によく見られた。
身障者は確かに身体機能が一部欠けている。
だからといって、
「与えられる」しかない存在ではない。
そもそも身障者は「ない」ことによって、
健常者には得られない視点や感覚が「ある」。
協力者は「与えて」いるが、同時に、
視点や感覚を「与えられて」いるのだ。
テクノロジーの進化により、
今や目だけでも作曲が可能だ。
思い浮かべるだけで音声化出来る日も近い。
パラリンピックは形だけの大会ではなく、
白熱した見応えある試合ばかりであった。
ならば、支援制度以外の場面で
「身障者」と呼ぶ必要がどこにあろう。
互いが完全なる魂
互いが互いに持ち得ないものを持っている。
それを与え合い、
互いの世界が拡がっていく。
その人にとって不足しているものは何も無い。
必要なものは全て揃えて産まれてきた。
身障者の方々は、乗り越えられる
勇者の魂を持った人達だ。
きっとこれから、多様を認め合う
生きやすい社会が拡がっていくだろう。
パラリンピック競技と閉会式を観て、
そう感じた。
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やっと書けた!
書きたいものが渋滞中だワン
今日もありがとう
よい1日を~!
またねん
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