カントの哲学は、厳格な自由の概念、厳格な道徳の概念を持っています。
その厳格な概念が、人々がカント哲学は難解だと思うことになります。
実際に、ハーバード白熱教室を見ていると、ハーバードの優秀な学生ですら、難解なカント哲学についていけず、大あくびをしながら、講義を聞いている学生がいるくらいです。
しかし、史上最強の哲学者である、わたくし風流師匠は、ハーバードで教えるカント哲学を意図も簡単に理解します。
なぜか?
私は、自分の築き上げた莫大な収入を捨て、100年後の未来の子供たちが夢や希望が持てる社会をつくるために、何年も無欲に努力を続けています。
この行動こそが、カントの言う厳格な自由な概念と、厳格な道徳の概念を兼ね備えた行動だからです。
そのため、ハーバードの教授が説明するカント哲学の一言一句が、具体的にイメージできるのです。
私の知人の中には、某国立大学の医学部を、常に2番の成績を維持していた秀才がいます。
知人の家族は、親、兄弟、みな東大卒の秀才一家です。
しかし、その秀才一家で育った知人ですら、どう頑張っても一番の成績を取ることはできませんでした。
秀才の知人を押さえ、常にトップの成績を維持した人物とは、医者になるために、一から医学の勉強をはじめた、元看護師のおばちゃんだったそうです。
元看護師のおばちゃんは、長年経験した看護の仕事を通じて培った現場の経験を生かし、医学部で教えていることが、実際にどのような場面で、どのように活かされるのかをイメージしながら学べるため、医学の勉強を具体的に吸収できるのでしょう。
そのため、秀才一家で育った私の知人よりも、良い成績を取ることが出来たのです。
厳格な自由の概念、厳格な道徳の概念を実践する、自律した精神性を持つわたくし風流師匠にかかれば、ヘーゲルも、カントも、とてもわかりやすい哲学ですし、釈迦やキリストの言葉が何を意味しているのかを、とても簡単に理解できます。
ただ、今の時代、精神的価値観を知っても、豊かな生活を手に入れることはできないし、精神的価値を推し進めれば推し進めるほど、豊かな生活は遠のきますけどね。
だからこそ、カントは、このように言っているのです。
道徳に関係する性格は、義務の動機だけであり、傾向性の動機ではない。
そして、人が義務によって行動し、傾向性や自己の利益、同情、他人の利益と言った動機に抵抗するとき、人ははじめて自由に、自律的に行動していることになる。
そのときになってはじめて、人間の意志は、外部の考慮事項に決定されたり、支配されたりしていないと言えるのだ。
これが、カントの自由と道徳性の繋がりだ。
まさに、私の考えとカントの考えは同じです。
自分の感情や利益を優先する人間ほど、私の厳しい自由と道徳の概念を無視することで、己の行動の愚かさを改めることをせず、私の言葉のあげあしを取って、私の考えに言いがかりを付けようとします。
次回は、気が向けば、ハーバード白熱教室で説明した、カント哲学を具体的に解説しましょう。