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愚かな人間ほど、相手に対し自分の心を理解して欲しいと言っています。
心強く生きていける人間は、相手に自分の心を理解して欲しいと思うのではなく、相手に自分の考えを理解してもらうための努力をします。
その努力から学ぶことが、心と精神を強靭にするのです。
本日は、人の感情がどれほど理解し難いものなのかをお話します。
まず、人の感情には、「 好き 」と「 嫌い 」があります。
では、「 好き 」な相手に対し、その好意的な感情を全面に出して相手に接してくる人がいます。
また、「 好き 」な相手に対し、その好意的な感情と裏腹に相手に冷たく接してくる人がいます。
そして、「 嫌い 」な相手に対しても、好意的に接することが出来る人がいます。
さらに、「 嫌い 」な相手に対しては、冷たく接することしかできない人もいます。
人の感情が及ぼす行動が、もっと複雑なのは、嫌いな相手でも、自分にとって利益を及ぼす相手には、好意的に人は接するのです。
人の行動だけでは、相手が自分に対し、どのような感情を抱いているのかはわかりません。
「 好き、嫌い 」の感情だけでもわかりにくいのに、相手が何を考えているのかなど理解できるわけがありません。
それなのに、相手に対し、自分の心や考えを理解して欲しいと言っている人間は、私には愚かにしか見えません。
人は、あかの他人が何を思い、何を考えているのかを分析するほど暇ではないのです。
私の友人、知人は幅が広く、エリートと呼ばれる人たちと社会や環境のために努力をする仕事をしている人から、やくざの大幹部までいます。
その中には、ハンマーで親を殴り殺した友人や、暇つぶしでアベックを襲撃し女性を車で拉致し、どこかの山まで女性を連れ去り集団で女性を犯した後、その女性を山奥に置き去りにする友人など、はたから見るとただの犯罪者もいます。
しかし、このような犯罪者も、友人として付き合うと、とても真面目で良い人たちです。
このように、良い人、悪い人の定義など、人の都合によって違うのです。
だからこそ、よりよい人間社会を築くには、人の感情論を超越した「 善悪 」の基準を共有化するこどが大事なのです。
私にとって、正しいこととは、目先の金や結果よりも、正しいことを重視した意識です。
では、目先の金や結果よりも正しいことを重視して生きた人間の言動と、正しいことよりも目先の金や結果を優先した人間の意識の言動は、まったく違います。
現代社会は、日常生活で他人とのコミニュケーションが問題となり、多くの人が人間関係に苦悩をしています。
そのような社会では、ネットと言う、仮想な社会では、自分に適したコミニュケーションを求める人が多くいるのかもしれません。
しかし、私は、現実社会で自己を主張して生きていても、周りの人間と友好な人間関係を築くコミニュケーション能力があります。
そのため、ネットと言う仮想社会では、よりよい人間社会を築くためのコミニュケーションができる場を求めているのです。
仮想社会で、よりよい人間関係を求める人間と、よりよい人間社会を考える場を求める人間とでは、モノの見方や考え方、求めるモノや感じ方がまったく異なります。
別に私は、相手に対し自分の心を理解して欲しいと思う人間を批判しているのではありません。
相手に対し自分の心を理解して欲しいと思う人の中にも、良い人もいれば、心優しい人もいます。
ただ、このような感情を持つのは、相手と私に人間関係が構築されているのが大前提なのです。
では、見知らぬ人間同士が、自分の意見を主張し合える場をつくるためには、相手に自分の考えを理解してもらうためには、何を話さなければならないのかを考えることが出来る人間同士でなければ不可能なのです。
私は、ネットと言う見知らぬ人間同士が、自分の意見を主張し合える場をつくるために、その場のルール(考え方)を、このブログを通じて説明しています。
それに対し、私の意見にイチャモンを付ける人間は、相手に対し自分の心を理解して欲しいと思う人間です。