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みなさま、こんにちは。
私が、史上最強の哲学者であり、世界最高の思想家である、風流師匠です。
よりよい人間社会を築くには、どうすればいいのでしょうか?
それは、人々が道徳観を共有することが大事になります。
では、道徳とは何でしょうか?
辞書には、「 人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。」とあります。
では、なぜ、人々が道徳観を共有すると、よりよい人間関係が築けるのでしょうか?
それは、人々が同じ善悪の判断基準を共有することで、人として正しいことを実践している人間は、「 年齢、性別、職種、社会的地位とは関係なく 」、堂々と自己を主張することが出来る環境が形成されます。
しかし、現代のように、人々が善悪の判断基準を持たない社会になると、正しいことよりも利益を上げる意見の方が重視され、人々は金を得るために、自分の意見を主張することが出来なくります。
人間とは、自分と違う意見に対し、反発をする生き物です。
それは、たとえ、相手の方が正しいことを言っていても、自分にとって気に入らない意見であれば、相手の考え方を批判、中傷してしまいます。
それが、「 人間の愚かさ 」です。
人として、何が正しくて、何が正しくないのか、この基準を持つ人間は、人の考え方を批判する前に、まずは自分自身が正しい考え方をしているのか、自覚することが出来ます。
それは、よりよい人間社会を築くためには、ひとりひとりの人間が、自分自身の習慣・道徳・気質を自覚し、自分がどれだけ怒りを抑制できるかを意識することです。
では、これを、私が示す「 人としての基本 」を使って、具体的に説明しましょう。
人としての基本とは、
目先の欲望や己の感情に左右されない、理性的な生き方をすることです。
なぜならば、 効率良く金を稼ぐためには、目先の利益だけにとらわれない、正しく健全なビジネス組織を作らなければなりません。
心の強い子供を育てるには、子供を育てる親が、目先の欲望や己の感情に左右されず、子供と接することが大事だからです。
では、人としての基本を知ることで、人として正しいことと、正しくないことの、基準を知ることが出来ます。
人として正しいこととは、
自分の周りの人や環境を、目先の金を重視しない考え方に改善する取り組みをすること。
人として正しくないこととは、
自分の周りの人や環境を、目先の金を重視しない考え方に改善する取り組みをしないことです。
人として、正しいことと、正しくないことを知ると、世の中の大半の人間が、正しい生き方をしていないことがわかります。
しかし、それは仕方がありません。
なぜなら、正しいことに取り組むこととは、普通の人間が取り組めることではありません。
正しいことに取り組むこととは、「 人から自分の考えを批判、中傷されても、自分自身を信じられる信念 」と、「 自分と意見が対立する相手とでも円滑な人間関係が築けるコミニュケーション能力 」が必要だからです。
そのため、普通の人間は、なかなか正しことに取り組むことが出来ないのです。
だからこそ、よりよい人間社会を築くには、ひとりひとりの人間が、自分のできることで、正しいことに取り組む意識が必要になるのです。
では、自分の出来ることで、正しいことに取り組むこととは、何でしょうか?
いきなり、会社の上司や見ず知らずの人間に、正しい価値観を教え、相手の意識を変えさせ、正しい環境つくりに取り組むことなど出来ません。
そのため、自分で出来ることで、正しいことに取り組むこととは、まずは「 自分の家族や親しい友人 」に、正しい価値観を教え、相手の意識を変えさせる取り組みです。
自分自身が目先の金や己の感情に惑わされずに生き、活き活きとした生き方を実践するからこそ、自分にとって親しい人は、自分の考えに耳を傾けてくれるのです。
逆を言えば、自分の生き方を棚に上げて、相手の生き方、考え方を否定していては、親しい友人関係を壊すことになります。
インターネットが普及した社会では、自分の生き方を棚に上げて、人の考えを否定することは簡単です。
しかし、このような無責任に自分の意見を主張できる環境が増えれば、増えるほど、自分にとって親しい人に対し、厳しい意見を言える人間が減り、自分にとって親しい人に対しても、自分の言いたいことが言えない人間が増えます。
私は、正しいことに取り組まない人間は否定するつまりはありません。
ただ、自分の生き方が正しいのか、正しくないのかを自覚をすれば、無責任に人を否定するような人間は減るのではないかと思います。
道徳とは、人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。
それは、外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。
自発的に正しい価値観を意識出来ない人間に、正しい価値観を押し付けても意味がありません。
私は、100年後の未来の子供たちが夢や希望が持てる社会をつくるためには、自発的に正しい価値観を意識出来る人たちとコミニュケーションが出来る「 場 」が必要ではないかと考えます。