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私には、物事の善悪の基準が明確にあります。
この基準とは、抜本的に社会を改善するための基準であり、どんな社会環境でも勝ち抜くことが出来るビジネス組織をつくるための基準です。
現代人は、社会が悪くなり、悪い人が増えたのは、社会が悪いとか子供を教える学校の先生が悪くなったからだと言います。
私は、ますます社会や学校の先生が悪くなる状況で、われわれ大人は、いかに強い子供を育てられる大人なれるのかを考える必要があると思います。
私は、このような意識を持っているからこそ、抜本的に社会を改善することを基準にした、善悪の判断基準を持っています。
私から言わせれば、社会が悪くなり悪い人間が増えるのは、国や学校の先生が悪いからだと思っている人の意識自体が、社会が悪くなる悪の根源です。
しかし、みなさま、周りを見渡してください。
あなたの周りは、悪の根源を持つ人間で溢れかえっていませんか?、
この事実を知ることで、物事を悟ることが出来るのです。
すなわち、社会とは悪といかに共存をし、人生とは自分の意識が悪に犯されないように自分の心を強くすることだと、答えが導き出されます。
今、ブログが流行り、いろいろな人が自分の考えを、ブログを通じて発表が出来る時代です。
その中には、物事の善悪の基準をテーマに話をする人も沢山います。
「 人を殺すことは悪いことなのか 」を問題提議し、戦争は人を殺すことを許し、その戦争はなくならないから、人を殺すことは「 悪 」ではないと言い切る人もいます。
しかし私から言わせれば、このような屁理屈ばかりを言っているから、社会や人に振り回されてしまう心の弱い生き方しか出来ない人間になるのです。
私のように、明確な善悪の判断基準を持っている人間は、相手の発する一言で、相手の意識を洞察し、自分と価値観が合う人間か、そうではないのかを判断することが出来るのです。
そのため、悪の意識を持つ人間を利用し、悪の意識を持つ人間と付き合っても、己自身が悪の意識に犯されることは無いのです。
では、善悪の判断基準を持つ私は、とても偉大な存在なのでしょうか?
いいえ、違います。
悪の意識を持つ人間の中にも、善良な心を持つ人は沢山います、
しかし、私のように、善の意識を持っていても、冷徹で非情な心を持つ人間もいます。
このように、己自身の悪い箇所を自覚するからこそ、己自身を勘違いすることなく、自分の出来ることと自分の出来ないことを把握するバランス感覚を持つ人間になるのです。
私の考えに対し、その考えは違うと、意見する人がいます。
私の考えは、物事の基準を持ち、それに対しての善悪の判断ですが、私に反対意見を言う人の意見は、物事の基準がなく、社会や人の言葉に惑わされて生きている人間の意見です。
己の考え方にブレを持つ人間ほど、己自身のことがわからないため、己自身を深く理解する私の考え方に対し反論が出るのです。
それは、仕方がありません。
心が弱い人間ほど、自分の心を正当化するために、無意識に自分と価値観が違うモノを拒絶するのです。
だからこそ、私は、物事の基準を明確にした、共通の善悪の判断基準を持つコミニュティーをつくらなければならないと考えます。
それは、このコミニュティーに参加する人が発言をするときは、嫌でも正しい意識で物事を考えた発言を求められるため、心の弱い己の価値観を正当化した発言ができなくなり、心の強い人間の考え方を知る切っ掛けになります。
自分の心の弱い生き方を正当化するから、人や社会に振り回されるのです。
自分の心の弱い部分を自覚し、正しいことを意識することで、物の見方が変わる切っ掛けになります。
私は、理想論を言っているのではありません。
私の考えは、心の強い人間が育つ環境つくりことが、大金を手にすることが出来る組織つくりなのです。
物事の基準を、どこにするかによって、善悪の判断基準は変わります。
しかし、私の物事の基準は、性別や職種、人種や宗教観を超越した、根本的価値観です。
ますます、社会が悪くなり子供を教える学校の先生が悪くなる社会でも、心の強い真っ直ぐな子供を育てられる親になるには、どうすれば良いのか?
この意識こそが、正しく健全な組織つくりの根本意識と同じになり、正しく健全な組織つくりこそが、どんな社会環境でも勝ち抜くことが出来るビジネス組織をつくる意識です。
「 社会が悪いのは、国や政治家や学校の先生が悪いから 」、「 自分の生活を守るために、組織の不正を見て見ぬ振りをするのは仕方が無い 」、こんな意識の人間と、抜本的に社会を改善する方法や、どんな社会環境でも勝ち抜くビジネス組織をつくる金儲けの話をすることは出来ないのです。
悪の意識が蔓延する環境からは、新しい価値など創造されないのです。