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私は100年後の未来の子供たちが夢や希望が持てる社会つくりのビジョンを持っています。
このビジョンを実現するためには、子供たちが夢や希望が持てる社会つくりを考えるコミニュティーをつくらなければならないと、私は考えます。
すると、私の友人たち、特にエリートと呼ばれる人間と仕事をする友人ほど、「 風流師匠の求めるコミニュティーをつくるためには、土地が必要だね 」と言います。
私は、このようなアドバイスを聞くたびに、私と相手との価値観の違いを実感します。
みなさま、お考えください。
自分と同じ価値観を持つ人間だけを集めた村、これはオウム真理教がやったことですね。
社会とは、自分と違う価値観の人間と共存し、人生とは自分と同じ価値観の人間たちを集め、新しい価値を作り出していくことです。
それを、自分たちと同じ価値観の人間だけを集め村をつくり、その中だけで生活をすることは、反社会的なことです。
要するに、私のように、目先の結果や己の感情に惑わされず、自分の目的のために真っ直ぐに生きている人間であれば、自分と同じ価値観を持つ人間と、自分と価値観が違う人間を、相手の発する一言で見分けることが出来るのです。
そのため、価値観が違う人間同士が暮らす社会生活の中から、自分と同じ価値観を持つ人間だけが集まるコミニュティーをつくることが出来るのです。
相手の顔を見なくても、相手が発する無意識の一言で、相手の価値観を洞察できる能力があれば、インターネットを通じて、自分と同じ価値観の人間を集めたコミニュティーを形成することが出来るのです。
では、インターネットを通じて、コミニュティーをつくるためには、それを運営し、管理するための知識が必要となりますね。
私は、自分と同じ価値観の人間でなければ、私の価値観を発展させるコミニュティーはつくれません。
そのため、相手が、私の考えに共感しても、目先の金や己の感情を優先し、自分に甘い生き方をする人間とは、私は相手とスムーズなコミニュケーションは不可能です。
しかし、このような生き方をした人間でも、私がインターネットでコミニュティーをつくるために必要な知識さえあれば、私が取り組む100年後の未来の子供たちが夢や希望が持てる社会つくりに協力をしてもらえることは出来るのです。
これは、私が、相手に何をして欲しいのかを指示するのではなく、私の考えに共感した人が、自分は何が出来るのかを考えることです。
しかし、私の友人たちのように、私が目指すコミニュティーをつくるには土地が必要だと言う発想だと、私の取り組みは不可能なこととなり、自分が100年後の子供たちのために何が出来るのかを考えることすらしなくなります。
目先の結果を得るために、相手の顔色を伺って生きていては、発想力が乏しくなり、発想力が乏しい人間が子供を育てるから創造力がない人間しか育てることが出来なくなるのです。
私は、100年後の未来の子供たちが夢や希望が持てる社会つくりを具体的に話し合いたいのですが、発想力のない人間と話すと、まずは相手の発想力のない固定観念を崩壊させなければ、私の話が夢物語のお話で終わってしまいます。
現代人を相手にして、私の考えを話し理解させることは、とても難しいし、これを具体的な組織にするには困難なことだと思います。
しかし、だからこそ、私の考えを理解できる、私と同じ価値観を持ち、私には無い能力や知識、経験のある人間と出会うことが出来れば、私の可能性は無限大に広がる取り組みだと確信します。